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慈光通信 第261号

2026.2.8

 

有機農法について

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1975年4月「自然保護」に寄稿された文です。】

 

化学肥料と農薬を主体にした近代農法は、土を殺し、天敵を殺し、欠乏かつ毒性があるその農産物は人を殺す、いわゆる「死の農法」である。有機農法、すなわち「土から出たものは土にして、土に返せ」の原理に基づく農法は、生態学的輪廻の法則に忠実な農法で、人間の農法はこれ以外にない。つまり堆肥農法の中にのみ農はあり得る。堆肥の材料の蒐集法と、堆肥の作り方の工夫の中にのみ農法の進歩があると私は信ずるのである。

私は16年前、残留農薬による日本国民の総慢性中毒化が進んでいる事実を知り、これについて啓蒙運動に乗り出したのであるが、同時に10年先には、必ず無農薬農法の必要な時が来ることを確信してその基礎的研究を協力農家と行って来たのである。そして今までの有機農法の失敗の最大原因が分かった。

今まで「土から出たものは土へ返せ」といわれて、生の有機質が土中へ埋められて来たが、こうすると酸素が少ない土中では有機質が嫌気性の腐敗を起こし、そのガスが根を傷めるので、病害虫が出る。必ず地上で好気性条件下で発酵させて「土にして」から土に返す必要があることを確かめた。「土から出たものは土にして土へ返せ」あるいは「完熟堆肥は土の中、未熟堆肥は土の上」という標語が有機農法の「土つくり」のテクニックである。

このようにして有機質で土を肥やすと作物は病虫害が少なく味よく、持ちがよい。他面生物界のバランスという意味で「害虫」のある程度の存在を大切にするという事も有機農法の特徴である。害虫は益虫の餌である。害虫がなくなれば益虫が滅び、益虫が滅べば害虫が大発生をする。作物の5%は害虫にくれてやる事が、人間が健康な食を得る為に必要である。このことは、人間の食物は5%ぐらい虫がついているのが正しい食物であるということである。少しの虫食いも許さぬ、形と色のみで農作物を評価する現市場では、有機農法を推進し日本民族を守ることが出来ない。

私は財団法人慈光会を興した。これは無農薬の有機農法を実践する協力農家と、正しい食を求める需要者と、正しい流通機構の役をする慈光会健康食品販売所(これに五ヘクタールの直営農場が付属する)を擁した一つのモデルである。日本の現在の毒の洪水の中のノアの方舟第一号で、このあと次々と同じような方舟が全国にできることを祈るのである。それをやっているうちに有機農業とは、単に化学肥料の代わりに有機質を使う農法では無いことがわかってきた。もっと深い哲学的意味のあることを。

今まで私たちは「大自然」を人間と断絶した一つの「物」と考えてきた。そして自然からいろいろ取ってきて人間が幸せになると考えてきた。ここから自然破壊が起きるのである。また人間と人間、人間と動物、及び植物の間に「断絶」の直感があった。これが、近代思想の特徴である。しかし自然を破壊して人々は知った、自然が生きていることを。大自然は生きている、その大きな生命の営みの中に多くの生命が生かされている。そして各生命は互いに有機的に結ばれて生かされかつ生かし、そしてまた生かされているのである。このことに認識による感動とこの感動に基づく愛と慈悲の精神とその実践、これが有機農法の基本である。今までのような大自然の生命を忘れた自然観と各生命の断絶の思想に基づく行動の中で、有機農法は行われず早晩「死の農法」に転落する実例を私は多く見たのである。大自然に対する畏敬と感謝、一切の生命に対する愛と慈悲心、の中に日本農業の再建がある。

先日テレビで某地の有機農法の集いを見た。一人の若い農民が怒鳴るように叫んだ。「消費者は俺ら農民の苦労を知っているか」彼の暗い顔を見ながら、私は私の協力農家のご婦人の明るい顔と言葉を思い出した。「私がこうやって美しく健康な自然の中で働かせてもらい、できた農作物を消費者の皆さんが食べて健康になってくださる。私は本当に幸せ者です」消費者も農家に感謝の念を厚くしている。有機農法は明るく楽しく健康である。

 

リンゴで始める健康習慣

 

イギリスのことわざに「一日に一個のりんごは医者を遠ざける」というものがあります。これは、毎日りんごを食べることで医者にかかる頻度が少なくなる、という意味です。同じようなことわざは他の国にもあり、世界の広い地域でリンゴが体に良いとされています。

リンゴにはビタミンCはそれほど多く含まれていませんが、ペクチンとカリウムが豊富に含まれています。ペクチンは主に野菜や果物に含まれる食物繊維の一種で、体内の余分な脂質・糖・ナトリウムなどを吸着し、体の外へ排出する作用があります。その結果、血中コレステロール値を下げる、血糖値の急激な上昇を抑える、腸内の善玉菌を増やして腸内環境を整えるなどの効果が期待できます。リンゴは果物の中でもペクチン含有量が多いことで知られています。ペクチンは果肉よりも皮に多く含まれているため、皮ごと食べるのがおすすめです。また、食物繊維には便のかさを増やし、便通を整える働きもあります。

さらに、適度な歯ごたえのあるリンゴは自然と噛む回数が増えるため、満腹感を得やすく、体型維持にも役立つとされています。よく噛むことは脳細胞の活性化にもつながり、記憶力の向上や脳機能低下の予防にも効果があると考えられています。

ただし、あまり胃が丈夫ではない方には「皮ごとガブリ」と食べる方法はおすすめできません。その場合は、すりおろして細かくすることで胃液と混ざりやすくなり、ペクチンの整腸作用が高まると言われています。また、リンゴを煮てジャムにする際も、皮を残して煮ることで、きれいなピンク色のジャムに仕上がります。

一方で、果物には果糖が多く含まれているため、食べ過ぎには注意が必要です。リンゴに限らず、果物の摂取量は1日200g程度が推奨されています。

リンゴは必ず無農薬のものを選びましょう。栄養満点のリンゴも、農薬がかかっていては健康効果が損なわれてしまいます。

 

 

 

 農場便り 2月

 

一年の終わりの大晦日を迎えた。私の恒例行事である庭掃除と家の外回りの作業を終日行い、日が暮れてからは屋内の掃除に移る。日頃は手の回らない所まで、一年の締めくくりにこの日だけは真面目に行う。一年かけて育った庭木からのプレゼントである枯葉は、驚く程の量を地面に散らせ、それを熊手でかき集め、米を1トン入れて運搬するための大きな袋にどんどん詰め込んで行く。袋が満杯になると最後の一手として袋によじ登り、上から私の軽めの体重を全力でかける。袋からこぼれそうになっていた落葉はプレスされ、体積が半分にまで減った。まだその上からこれでもか、とばかりにかき集めた落ち葉を入れてはさらに踏み込みながら押し込んで行く。時間の流れは早く、薄暗くなった頃に次の作業へと場所を移す。

次に待っているのは屋内の作業、その前にのどが渇き水を飲みに台所へ。室内ではストーブの中で薪が赤い炎を上げ、外とは別世界の暖かさである。その中で家人と私の天敵である娘が正月の祝いの食を作る。私が部屋に入ってきたことに気付き、すぐさま「テーブルの上の料理をつままぬように」と一言釘を刺す。私の行動をいち早く読むことが出来るのか、まだ手も出していないのに、と思わず感心してしまってから不満が顔を出す。テーブルの上には、前日に家人が搗いた鏡餅が三方に載せられ、お正月に向けての準備が進む。前日に食べた搗き立てのお餅のことを考えながら、朝からまだ何も口にしていないことを思い出す。日頃、農作業をする手は遅いが、この時ばかりは目にも止まらぬ速さでおせちの一品をさっと口に運ぶ。その一口を活力に仕事を再開し、床の上をモップで走る。手抜きも織り交ぜながら二時間をかけてようやく室内を美しく拭き清めた。

夜の7時30分となった。私にとってまさに大晦日のメインイベント、テレビでベートーヴェンの第九交響曲が始まる。自室にこもりテレビの前に鎮座し、始まりを待つ。静かな出だしの第一楽章の音に、背筋に電気が走り、畑では経験することが出来ない感動を覚える。徐々に盛り上がり、世界で最も賛美されるフレーズへと続く。そして、世界で最も静かで美しいと言われる第三楽章に入る。そんな美しいメロディをかき消すかのような不協和音。その正体は、蕎麦。第二楽章が終わると同時に家人から出前が届き、ベートーヴェンを取るか、蕎麦を取るかの葛藤の末、お察しの通り蕎麦を選び、耕人の口にすすり込まれる「ズルズル」という音が美しい音楽の中に鳴り響いた。ベートーヴェン先生が後世の人々のために遺された第九交響曲と美味な蕎麦の味に感動のひと時であった。

本年最後の仕事として、当会の事務所と販売所の二階へお鏡をお供えに行く。街中は、一昔前なら日付が変わる時間まで人の動きが絶えることはなかったが、今こうしてバイクで走る夜道は人っ子一人目にすることはなく、真っ暗な中にファミレスの灯だけが寂しく目に映る。お鏡を飾り、一年間の感謝に手を合わせ外に出た時、まさに新しい年が明けようとしていた。

元旦、寒さ厳しい中、家族一同が揃い仏壇で手を合わせ、無事に一年過ごせたことを感謝、思いは口にせず心の中でささやく。お参りが終わると大人4名、孫3名、プラスじじい(耕人)1名、お酒も入りテンションは最高潮。孫たちの頭の中は年中クリスマスかお正月かというくらいエネルギッシュである。私にとって正月休みは一年で唯一の長期休暇、寝てはいられず毎夜朝方までゴソゴソ、新聞配達員のバイクの音と共に一日が終わり、冷たい布団に潜り込む日を過ごす。

夜中、小腹が減りリビングへ。ストーブの火は落ち、熾火(おきび)だけが赤く光る。キッチンの棚の上にリンゴを発見、真っ赤なりんごが私に手招きをする。すぐさま太短い指で皮をむき大きな口でパクリと食べる。12月、協力農家の山口さんと電話で話したことについて考える。生態系がおかしくなった今、リンゴ栽培はウルトラ級に困難になってきた。高温、強風、高湿など中央アジアやコーカサスを原産とするリンゴにとって、昨今の日本の気候は全く不向きである。それに加え、さらなる大きな受難が待ち受けている。今、日本中を震撼させるツキノワグマが山口農園に鋭い牙を向ける。冷え込む北の大地で熊からリンゴを守るため、夜通し車の中で張り込みを行っているという。既に三頭のクマを捕獲しているが、まだまだいるようだ。まさに命がけのリンゴ栽培である。夜中、我が家のキッチンで耕人は手にしたリンゴを見つめ、山口さんのご苦労を想い、心より感謝し、また一切れ口に運ぶ。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がり、おせちも良いが、リンゴで体を清める元旦の深夜であった。

2025年は米の価格で揺れた一年であった。私の青春期、ジョーン・バエズが歌う「Where Have All the Flowers Gone」「花はどこへ行った」。我が国では「米はどこへ行った」ついに日本人の主食、神仏からの授かりものでもある米が経済の悪の手により、どこかの倉庫に拉致されてしまった。前年と同面積の栽培であったはずなのに米が足りないという。私には米作りを中心に営農をしている友人がいるが、彼は「米作りは、作れば作るほど経営がひっ迫し、大変だ」とこぼしていた。年々すべての経費は上昇しているが、米価は低値安定となっていた。消費者は米価が何故今回、急に高騰したのかわからないであろう。しかし、そこには長年、価格を上げることが出来ずにいた生産者の存在がある。生産者はそれを具体的な数字で示し、米の価格が上がる理由について、消費者の理解を得ることも大切ではないだろうか。消費者の理解と共に、国も血税を無駄なことに浪費せず、生産者と消費者が共に納得できるよう考えるべきである。令和の米騒動に国民、そして農民も悪徳商の策略に巻き込まれてしまったようだ。悪人の頭には、私達凡人からすれば想像を絶する悪魔的発想が浮かぶ回路が宿っているようだ。米は日本人の魂であることを忘れてはならない。

師走の農場を振り返る。12月15日、柚子の収穫を行った。昨年は柚子にとっても受難の年であった。5月、風に乗り柚子の花の甘酢っぱい香りが多種の昆虫を呼び寄せ、昆虫たちは蜜や花粉を運ぶ。芳香を放っていた白い花が散り、中から小さな実が姿を現し、不順な天候の中でも成長を続けた。8月、実がキンカン位の大きさまでに育った頃、表皮に灼熱の太陽が襲いかかった。表皮は熱傷でケロイドのようになり、真っ青な小さな実の一部が茶色く変色した。それに耐えられなくなり生理落下も始まる。本年の冬は柚子の香りに心が癒されることはないかと一度は諦めたが、後に「天道人を殺さず」と、残った実が大きくなり、小ぶりではあるが必要な分だけは収穫が出来そうである。ホッとしたのもつかの間、収穫に入った耕人の身体に強い針で「チクリ」。まさに「いくつもの日々を越えて」のゆずである。

年が明け、いちだんと寒さが厳しくなった農場で、春の訪れをジッと待ちわびる。冬作野菜も寒風吹きすさぶ広い畑で出番を待つ。晩秋、頭からすっぽり掛けた寒さ除けの不織布が強風に波打つ。向こうが透けて見える薄い布ではあるが、北風から作物を守っている。しかし、この不織布は弱く、すぐに破れる割には高価である。私の冬の寝具よりも高価なこの不織布の上を、イノシシは遠慮のかけらもなく歩き回り、あとには大きな穴だけが残り、穴からは作物の顔がのぞく。他にも寒さを苦手とする作物を寒波から守るため、一定の温度がキープできるようビニールトンネルを使用する。このトンネルの中でひと冬をかけてじっくりと成長し春の到来と同時に一気に成長をする。しかし、このトンネルも夜間の荒れ狂う強風に吹き飛ばされ、50メートルのビニールがはためき、もつれ、まるで竜の如く夜空に舞い上がる。一部は隣の畑まで出張している有様である。風の力は強力で、ビニールを支え押さえている支柱は敢え無く抜かれ、百本以上の支柱が天に向け起立する。またこれで8畝のビニールの張り直しとなり、それに丸一日を費やす。

勝手なもので、大自然から受けた恩恵は右から左へとすぐに忘れ去るが、我が身に降り掛かった災難はいつまでもしつこく忘れることが出来ない。

7、8分まで結球したレタスはひと晩寒風にさらされ、半凍りとなったため、今後の成長を見守ってゆく。一方、小松菜は強く寒さに耐え元気に育ち、大きくなり過ぎないかと今からハラハラしている。冬の王様、白菜は大きな体をギュッと丸め、北風に立ち向かう。大蕪は地表ギリギリにまん丸な身体を宿し、今この寒さで最高の味を醸し出している。この蕪を使い、家人の作る味噌田楽は、寒い夜に身体と共に心までを温かくする一品で、すりおろした柚子の香りが味噌と相まって最高の冬の味となる。今秋冬栽培においても、思い通りには進まないのが農業で、また無農薬栽培となれば尚更である。

1月下旬、強力な寒波がまたしても農場を包み込み、1月21日の最低気温はマイナス8℃となった。作物に与えるための水を送るホースは凍り付き、終日使用不可能。それでも寒さに敗けじと早朝より畑に行く。有機質でふかふかの畑土も今朝は凍り付き、私の体重をもってしても沈むことはなく、長靴の底から、痛みとも感じられる冷たさが伝わってくる。土を触れない時の作業は畑への肥料の散布。陽の光が暖かくなり、畑作業が活発になる3月に向かって、こんな時は土作りに専念する。大量に撒いた完熟堆肥をごく浅く土と混ぜ、酸素の多い土中で好気性バクテリアの力を借りて土となじませる。バクテリアは凍り付く土中でも元気に活動し、その働きが私たちに素晴らしい作物を届けてくれる。

お正月休みから早一ヶ月が過ぎた。春の準備がぼちぼち始動する。色々な種類の種子も届く。その中一袋の裏面の説明書きに目を通す。伝統野菜で全国区、知名度の高い京ネギの九条太ネギである。細かく書かれた説明の最後に採取された国名の記載があり、そこには何と太い字で「チリ」と書かれている。何百年の歴史を持つ日本の品種である京ネギが地球の裏側、南米のチリから海を渡り日本へ。驚きと共に、世も末かとため息をつく。外は氷点下、心まで寒い一日であった。

もう何十年も前の事であるが、私がまもなく16歳になるという春、1970年万国博覧会で世間はお祭り騒ぎとなっていた。私は親元を離れ、高校の寮へ入寮した。その学校で私が最も尊敬する北村静子先生は、現代国語を担当しておられた。出身が非農家で学校に慣れない私に、事あるごとに声をかけて下さった恩師である。冬になり、あと僅かで正月の帰省となったある日、先生の「お正月はどう過ごしますか」という問いに「親元でダラダラした日々を過ごします」とは口が裂けても言えず、モジモジ。 先生は「私は、長年お正月には万葉集を読みます。それが何よりの楽しみです」と。16歳の少年は、頭をハンマーで殴られたかのような恥ずかしさとショックを受けた。その先生には茶道の手ほどきも受け、「教養の高い人間になりなさい」。今でもはっきり覚えている先生の一言である。毎年師走になるとこのことが思い出される。

正月の休暇も過ぎ、休みボケから目覚め、雪が舞い寒風吹きさらす畑に立つ。遠く大峰の山雪を目に、鶯の初音(はつね)を待ち侘びる。

本年も皆様の健康のため少しでもお手伝いできるよう願いつつ、有機農業の運動が絶えることのないようにと、地道に一歩一歩農に励む。

小器われ晩成もせず永らえて凡器を抱き安らかに生く

本年も締め切りに追われるであろう耕人より