慈光通信 第258号
2025.8.13
- 健康と医と農 Ⅻ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】
輪廻(りんね)
土中生態系は完熟堆肥によって養われる訳で、土中生態系を作っているバクテリアがどんどん分裂して出てくる蛋白質、脂肪、炭水化物その他ビタミン、ホルモンや酵素などいろんな物があります。例えばミミズが口から入れる土と尻から出す土を調べてみると、有機肥料度が3倍から5倍になっています。こういう物を植物が利用し吸って、太陽のエネルギーと空気中の炭酸ガスと、吸い上げた水、土のような鉱物質を一緒にして生産する訳です。こういうのを生態学的輪廻の法則と申します。ぐるぐる回っているのです。これを切っちゃいけない。これがある限り原始林は何万年経っても大きな木をどんどん育ててくれるし、大草原は何万年経っても土を育ててくれるのです。一度この輪廻を切ると、水の輪廻を切ると忽ち地上が砂漠になってしまうように、これを切ると砂漢ができるのです。エジプトや中近東の砂漠は、かなり多くの部分は人間が家畜を飼い過ぎて、生えた植物を食べつくす、つまりここでこの輪廻を切ってしまった、植物が大きくならないうちに早く食べてしまった。エジプトでピラミッドやスフィンクスが砂漠にあるのはおかしいでしょう。もともとは緑野だったのです。今でも大きな根が出てくるそうです。ああいった生態系を無視した家畜の飼い方をやったために砂漠になってしまった。中近東も同じです。現在は化学肥料によって土中の生態系を切ってしまっています。一方化学肥料を使って作った農作物は正しい生態系で作った天然のものではなく、化学薬品と云うインスタン卜食品で大きくなりますから異常な植物ができます。もともとこの完熟堆肥を食べて輪廻の中で育ったものは、これを食べる動物、益虫と害虫を考えてみますと、害虫がそうふえないで、丁度5%位食べるだけなのです。バランスが保たれていて本当に食べないのです。私たちの野菜、こちらもそうだと思いますが、上手に作りますとあまり虫がつかない。お客さんがこれは農薬をかけたのではと疑わないかなと心配するくらい奇麗なキヤベツができてしまうのですよ。うちの直営農場で出来るキヤベツや白菜なんかびっくりするほど奇麗で虫も食べていません。ですが実験的にそこへ鶏糞をいけこんだり、流安をかけたりすると一遍に虫がつく。これは正直なものです。この異常になった物を食べる時、虫の世界にも異変が起こって害虫が増えてくる、そしてこれを食べてしまう。今まで5%位しか食べなかったものが、30%、50%、100%も食べてしまうようになります。だから虫がついているから安心だとおっしゃるけれど栽培方法はまずい。農薬はそう使っていないかもしれないけれど、そんな虫だらけの野菜は作り方が上手ではないのです。これはどういうことかといいますと、害虫は人間の作る植物、食用の作物を食べる草食性昆虫だと申しましたが、調べてみると人間の好む野菜と、害虫の好む植物とは違うのです。おもしろい事ですね。この輪廻の法則によって、好気性の完熟堆肥をいれて上手に作った農作物は、害虫が好まないで5%位しか食べない。キヤベツにしても外側をちょっと食べるけれど芯の方は食べない。ところが間違った栽培法をしますと急に虫がついてくる、こういう事が分かってきています。これが無農薬栽培可能の原点です。だから逆に考えたら害虫が沢山でる事は、その野菜や米の作り方に誤りがあるという事になります。従ってその野菜や穀物は人間の健康にあまりよくないという事を示してくれています。例えば非常に健康なキヤベツは虫もあまりつかない、甘くておいしいですよ。これに流安を入れると葉が大きく黒々してきて玉も大きくなります。とたんに害虫がいっぱいついて穴だらけにしてしまいます。人間にとって味も良く、香りも高くて、健康にも非常によい物は害虫はそんなに食べない。それに対して亜硝酸を含んでいたり、発癌性があったり、栄養欠乏をしていたりするとこれを食べるのです。害虫は私たちの敵ではなく、栽培技術の誤りを示してくれるインディケーター、指標であるという事です。これを私どもの協力農家は堅く信じてます。これが有機農法と化学農法の差なのです。化学農法では虫がつくから、悪いから殺してしまえという事なのですが、我々がじーっとみていると今お話したような事が分ってきました。決して何にでもつく訳ではないのです。丁度今6月で害虫発生期ですね。うちの農場へ来て下さった方は皆さん害虫が少ないので感心して下さいます。私の地方は柿が沢山あるのですが、ほっとけば5月中旬から6月初めにかけて、葉が無くなってしまうほどブランコ毛虫がつくのですが、うちの農場は何にも消毒していないけれども虫がつかないのです。そういう差がでてきます。これが無農薬栽培の原理です。
(以下、次号に続く)
果物の農薬にご注意!
桃、ぶどう、梨など、多くの果物が美味しい季節を迎えました。スーパーや直売所に並ぶ美しい果物は、つい手に取りたくなります。ですが、その見た目の美しさの裏には、いったいどれほどの化学合成農薬が使われているのか、ご存じでしょうか。
ある県の果樹防除暦(農薬の種類や時期、回数をまとめた表)によると、桃では年間に17種類もの農薬が使われ、のべ25回の散布が指示されています。ところが、そのうち有機JASで認められている農薬はたった1種類だけです。この防除暦は、あくまでも目安やガイドラインであり、害虫の発生状況によっては他の農薬を使うことも推奨されています。また、農薬の飛散による周囲への影響を防ぐため、十分に注意して散布を行うよう指示もあります。
このように多くの農薬を使って、本当に「国産だから安全」と言えるのでしょうか。
ここで、代表的な3種類の農薬の例をあげてみます。
まず、「モスピラン顆粒水溶剤」は、神経に作用するネオニコチノイド系殺虫剤で、昆虫だけでなく人間にも神経障害を起こすリスクが指摘されています。次に「ストマイ液剤20」は抗生物質の一種で、長期的に使用されると耐性菌を増やす懸念があります。さらに「ダイアジノン水和剤34」は有機リン系殺虫剤で、神経毒性が強く、急性中毒のリスクも指摘されています。
こうした農薬が多数使われる中で、ある低農薬を謳った農園の防除は、殺虫剤が年間6回(うち有機JAS認定資材の使用は1回)、殺菌剤が12回(同2回)でした。
また、ぶどうの中でも特に人気の「シャインマスカット」は、皮ごと食べられ、種なしで食べやすいことから、多くの消費者に支持されています。しかし、このぶどうも、ある県の防除暦では化学合成農薬等の散布がのべ26回示されています。さらに、種をなくすために「ジベレリン処理」と呼ばれる植物ホルモン剤が使われています。ジベレリンは成長促進剤としての役割を果たしますが、一部では内分泌かく乱作用の懸念があり、人体に与える影響について議論が続いています。こうしたホルモン剤や農薬が直接散布された果物を皮ごと食べることは、決して安全とは言えません。
つややかで美しい果物は、食卓を彩りますが、その裏側には大量の農薬やホルモン剤が使われていることを忘れてはいけません。私たちは、自分たちの健康を守る意識を持つことが大切です。
美味しい果物を安心して楽しむためにも、農薬使用の実態を知り、賢く選ぶ目を持ちたいものです。
農場便り 8月
麦秋は初夏の季語、青々としていた麦畑の穂が黄金色に姿を変えた。隣の水田では植えた早苗が根を張り、日々成長をする。黄金畑は忙しく刈り取りを行った後に耕運、そして水を張り水田と姿を変えた。最近ではあまり見かけない光景である。立秋、そして処暑はまだまだ先、一刻も早くこの猛暑とお友達になり、身体をなじませることが、一次産業に従事する者にとっては何より大事なことである。それにしても暑い…。この気まぐれな天気は6月に入ると暑さから雨、また雨の日が続く。晴天の日は少なく、常に耕作地は水分を大量に含み、作付けをする予定地に機械を入れることが出来ないため、苗は窮屈なポットの中で広々とした畑への定植を待つ。問題児である栽培実験中のトマトの3種類の苗も定植出来ず徒長気味の苗となり、水やりをする度に早く定植をと心が痛む。
もう一方、用水路が流れる畑には今年も里芋と大葉を作付けした。里芋は4月中旬に定植、定植後わずかな日数で白い芽が地上に現れる。しかし少々お日様のエネルギーが強すぎる様ではある。大葉はトレイに播種後、定植を行う。この2種は例年、親孝行者であまり管理を必要としない。幾日かの時が過ぎ、今年も大葉が恋しい季節に突入、そろそろ収穫が出来るかと、夕方他の畑での作業を終え大葉の様子を見に行く。夕暮れの景色の中、青々しているはずの大葉の畝が何かおかしい。近づいてみると、5月の猛烈な暑さの中で小さな大葉の苗は太陽に焼かれ、200株定植したはずの苗が半分にも満たない数になってしまっている。「ガツン」と頭を後ろから殴られたような衝撃が走る。そして隣の畝の里芋は、昨年イノシシに荒らされてしまい、収穫は例年の3分の1ほどにとどまった。そのわずかな収穫の中から親芋を選び、この春、ようやく定植にこぎつけた。これは大量の肥料と水さえあれば少々の放任栽培でも大きく育つが、まだ幼い葉は強力な光と地温でやけどを負い、茶色く変色してしまっている。その光景に耕人は平常心を失い、水路の水を一気に畝間に流し込むが、「時すでに遅し」となった所もあり、畑を前に愕然とする5月下旬の夕暮れであった。農業とは、試行錯誤を重ねてきた営みであり、多少の困難にも動じない、粘り強さの宿る世界である。だが、このエセ耕人は、少しの失敗にも心が揺れやすく、この世界においては、まだまだひよっこである。しかしながら何とか気を取り直し、翌朝には大葉をトレイに播種し直す耕人であった。4月中には定植をと思っていた山芋も次から次へと起こるハプニングで定植が大きく遅れてしまった。よほど前世で悪行を重ねたのであろうか。その山芋も現在は張り巡らせたロープにつるが力強く絡みつき伸びてゆく。
今年は梅雨が短く、雨よりも暑さが記憶に残る6月であった。そんな6月のある日、きゅうり苗の定植を無事に終え、専用のホッチキスでつるをネットに止める作業を行っていた。一本一本立っては屈みを繰り返すスクワット状態、そろそろ足のだるさを感じ始めた頃、目の前5m位のところに動く生物を発見。「何者?」と思い、この時ばかりはさっと立ち上がり、近寄ってみる。そこにはきゅうりの畝間を散歩中の沢ガニの姿。「なぜこんな所に?」という疑問が、熱波で回転していない頭の中を駆け巡る。私がカニの立場ならば「こんな暑い所でいるよりも涼しい谷間で水浴びをしているのに‥」と思うが、なんとも可愛い姿に心が癒された出来事であった。
7月より収穫予定のきゅうりもようやく中旬から少々長さが足りないが実を結ぶようになって来た。きゅうり栽培に大切なのは水と肥料、あっさりと去ってしまった梅雨空から猛烈な太陽が降り注ぐ空へと変化したため2~3日に一度ホースを引き畝間へ水を流し入れる。この水は雌花をたくさんつけるための恵みの水となる。きゅうり栽培は、元肥にこれでもかと言うほど完熟堆肥を入れ、酸性にならないように石灰を少々多めに散布する。元肥はこれだけで極めてシンプルな肥料設計である。そして一か月後米ぬかを施し、管理機で中耕し黒マルチで全体を包み込む。次に1・5m間隔でポールを立てきゅうりのネットを張り、中段と下段にひもを通し、最上部にはビニールロープを引っ張りポールを括り付けてゆく。両隅には鉄柱を土中深く鉄のハンマーで打ち込み、上部のロープを結びつけ風からきゅうりの柵を守る。これで植え付けの準備は万端となる。そして夕方の陽が弱まる頃からきゅうり苗を一本一本定植し、根元に水をたっぷりやり、作業は夕方遅くまで続きようやく完了。定植後一週間位できゅうりの顔立ちが変わってくる。堆肥の養分を体いっぱいに吸い込み、成長点には小さな髭づるも顔をのぞかせる。地上部から50㎝で第1葉の元から出る芽は親づるの成長を助けるため3葉から5葉まですべてを掻き取る。それ以後の小づるは雌花から一葉残して芽を止める。そんな作業を日々行い、親づるを少しでも早く最上部のロープまで上らせてゆく。新づるも50㎝間隔でホッチキスでネットに止めてゆく、少々厄介な作業でもある。葉の色や成長の度合いを見計らい追肥を行う。株と株の間に塩ビパイプを槍のように刺し10㎝くらいの穴を開け、その中に油かすを入れる。油かすの肥効は高く、何より味を良くしてくれる。メロン‥とは言い難いがうす甘さが感じられるきゅうりになる。米ぬかの肥効もまたしかりである。こうして2回、3回と追肥を行い、大量の水も与えながらきゅうり栽培は続く。ちなみに耕人は毎年きゅうりの季節になると日に2、3本のきゅうりを口にし、まさにバッタやキリギリス状態の生活を送る。
6月下旬より、最終の栽培であったキャベツやレタスの収穫を7月中旬まで行った。平年なら雨が多いため多湿で腐りが出やすいが、本年は雨が少なかったため、きれいな夏キャベツを収穫することが出来た。猛暑に耐え育ってくれたキャベツやレタスを収穫ガマで切ってゆく。腐りは無いが、高温で耕人の頭の中が腐る。結球レタスは6月15日、リーフレタスは7月10日ですべて収穫を終えた。キャベツは7月20日でこれもまた前半の収穫はすべて終えた。7月10日、高温に加え超が付くほどの湿度の中、晩秋に収穫予定の第一弾のキャベツの播種を行う。次に少し涼しくなってくる後半になると害虫も食欲が増し、どちらも難題を背負うことになる。リスクは大きいが少しでも、と300株を予定し播種。あとは休んでいる冷蔵庫の中に入れ、発芽を待つ。猛暑ゆえ、一筋縄ではいかぬことは重々承知の上である。昨年も同じ季節に播種を行ったキャベツやブロッコリーの苗が育つ事はなく、日誌には設置場所、日光量、水分に注意とミミズ文字で書かれていた。とは言え11月のキャベツはどうしても欲しい作物、何とか栽培をと本年も浅知恵を絞り、栽培に挑む。前回の苦労も忘れ、予定数をかなり上回るキャベツ作りに励む。
今政府で一押しとなっている野菜はブロッコリー、耕人に言わせると、「米栽培を放棄しておきながら何がブロッコリーや!」である。それより麦や大豆の方が大切であろうに、と思う心とは裏腹に、当園では8月初旬にブロッコリー様の播種を行う。本来は7月中に播きたいところだが、秋に大きく育ったブロッコリーにこれでもかと害虫が襲いかかるため、少し遅らせ、ギリギリの時期に播種をする。
毎年のように書かせていただいている白菜も、8月20日位から9月20日まで逐次播種をする。以前は第一弾の播種はお盆の15日と決めていたが、近年の日本列島を包み込む猛暑のためそれが出来なくなってしまった。8月を越え9月になると畑にはたくさんの種類の野菜の種を直播きし、晩秋から翌年3月まで根菜類や葉菜類など数多くの種類の栽培を行う。耕人一人では手が回らないのは目に見えてはいる。それでも土を起こし、種を播く。「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」マルチン・ルターの言葉をちょっとお借りし「この先、管理で地獄を見ようとも、私は大地に種を播く」などと、ばかげたことを考えながら猛暑の中作業に励む。畑の作物が直接この強烈な日光を浴び続けるのはどれほど苛酷であろう。それでも夏草は涼しげに夏を謳歌する。
先日、ハーバード大学の図書館の壁の落書き名言集を目にした。「今日すべきことは、絶対明日やることはできない」。「今日出来ることは明日でも出来る」これは大自然のお告げともいえる耕人の哲学であるが、少々低俗である事は否めない。今やハーバード大学もトランプの圧力で苦戦を強いられている。アメリカ国民はトランプでジョーカーを引き当てたらしい。お大事に。
今回の慈光通信も、編集から再三の催促が届く。原稿の遅れは毎回の事、今回の通信も昼の猛暑の中での作業、夜は麦汁も手伝い、何をする気力も残らず。以前、友人にこの話をすると「AIの力を借りよ。早いぞ」と、そして「マンネリ文も解消するぞ」との事、マンネリに関しては当たっているだけにグウの音も出ない。この友人は幼稚園からの友、機械に詳しく当会のPCの事でもお世話になった事がある。週に1~2回顔を合わせ、くだらないよもやま話をするのが楽しみの一つであった。その素晴らしいアドバイスをくれた友人も今年1月にこの世を去った。今もその友の事を忘れる事はない。人との出会いと別れ、親友、親しい友というより心友であった。
向かいの金剛の山脈を臨むように、ネズミが残してくれたひまわりが太陽に向かって大輪の花を咲かせる。被災され命を落とされた方々、そして一命は取り留めたが後の苦労を強いられた方々、それらの想いを込め、農場の畑で逞しく育ち花を咲かせる。その側で力強く鍬を振ることのできる喜びを噛みしめ、2025年夏、農の道を歩む。
ヒグラシの音を愛する、夏太りの耕人より