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慈光通信 第259号

2025.10.24

  • 健康と医と農 XIII

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】

 

 

輪廻(りんね)

うちの農場へ来て下さった方は皆さん害虫が少ないので感心して下さいます。私の地方は柿が沢山あるのですが、ほっとけば五月中旬から6月初めにかけて、葉が無くなってしまうほどブランコ毛虫がつくのですが、うちの農場は何にも消毒していないけれども虫がつかないのです。そういう差がでてきます。これが無農薬栽培の原理です。

雑草もそうなんです。今除草剤無しで農業が出来るかとおっしゃるが、私たち直営農場も協力農家も除草剤なんか全く使っていないが、結構旨くやっています。雑草が生えると作物が出来なくなるから枯らしてしまえ、こういう短絡的な考えがいけないのです。雑草をよくみてみると、例えば宅地造成した所では深土がでてくるから瘦せてしまって、畑にしても野菜も何も出来ません。放っておくとやがて瘦せ土に生える根の長い、上の短いのが生えてくる。そしで何年か経つとそれが枯れて腐って土が肥えてくると、それが消えてしまって次は少し肥えた土に生える草が出てきます。だんだんに土が肥えてきて、しまいには肥えた土を好む植物に変わってきます。満州やブラジルでは何にも肥料をやらなくても良く出来る土があるのです。これは何十万年の間雑草が生えてできた良い土です。肥料も何もやらなくても大きな作物が出来るそうです。雑草と云うのは土を肥やすのです。それを化学肥料、除草剤をやって土が瘦せるから、痩せ土に生える強力な草が生えてくる。私たちの食べる作物は大体肥えた土を好む植物ですよ。例外にさつまいものような物もありますが、一般には肥えた土を好むのです。ですからそんな化学肥料で瘦せた土は適さない。だから瘦せ土に生える強い雑草が生えてきて負けてしまう。除草剤をかければかけるほど土が瘦せるからよけい悪い草が生える。堆肥を入れ、土を正しく肥やすと草が段々代わってきてハコベが生える様になる。ハコベが生えると土が肥てきたということで、私たちの地方では「ハコべが生えるまで肥えはこべ」と云うしゃれがある。一時云われたように草が生えても取らなくてもよい、ほっとけばよいと云うのは嘘ですよ。しかし雑草の性質をよく知って旨く利用させてもらうのが農業です。維草は決して敵ではない。雑草というのは土を浄め、土を肥やし、土の流亡を防いでくれる、有難い天の助けです。そのかわり適当にコントロールしなくてはならない。しかしね、土が肥えてきますとそんなに徹底的に草をとらなくても大文夫、草は少々生えていてもよいのです。私の農場では草の中に西瓜がごろごろ転がっていますよ。勿論全く取らなくてもよいと云うのではありません。ではどの様にすればよいかと申しますと、私どもではお米の場合、田植してから苗が活着した後で一回だけ、狭い田では手押しで、広い田んぼは機械でサーッと走ります。それで終りです。その後は稗を抜く時に大きく目立つのだけちょいちょい抜くくらいです。稗は取ってやらねばなりませんからね。それで充分です。草もそうは生えません。ともかく直営農場は畑一丁二反、果樹園二丁五反をたった二人の青年がやっている。いかに手間がかからないかという事です。勿論二人は良く働く子ですけれど、今の農法だったら二人では決して出来ませんよ。トラクターは1台使っているだけです。畑の場合は種から生えてきた時分に追肥の油粕をバラバラと撒いておいて、2週間位経ってサーッと削るのです。削る鍬があるので、それで終わりです。後草も生えますが、土が良くできているから大文夫です。

 

 

有機農法の注意点

皆さんは家庭園芸の方もおられるし、農家の方もおられるでしょうが、ここで有機農法でやるについての注意点を申し上げます。先ず第一は堆肥、分解する微生物に2つあり、空気を好む微生物―好気性、と好まない微生物一嫌気性とがあります。山の落ち葉を掘ってみますと黒くなっていますね、これは空気がよく通って出来た堆肥だから好気性ですね、プーンと良い匂いがして臭くはないでしょう。ところが台所の粕をバケツに入れて、今の時期に一週間も放っておいたら臭いでしょう。水気が多いからビシャーとくっついて空気が通わない、だから嫌気性の微生物が繁殖しましてベタベタの臭い堆肥が出来る。農業に使う堆肥は絶対に好気性でなくてはいけない。だから堆肥を作ってみてアンモニアの臭いがするようなものを絶対土に埋めてはいけない。同様に生の油粕、鶏糞、台所の粕を土にいれますと土の中で空気が通らないから嫌気性堆肥になってしまう。すると病気が出るので駄目です。これは先程の法則からみてお分かりの通りです。好気性に完熟することがもっとも大事な事です。好気性に完熟させるには短くても半年、普通は一年かける必要がある。その間好気性にするためにひっくりかえす、一年おく時は3、4回、半年で使う時はもう少し回数を多くする。そうすると変な臭いのしない好気性の堆肥になる。でももしまだ少し臭いがする時、或は生でまだ充分になっていないのを使わねばならない時はどうしたらよいかというと、その時は埋めない。かなり芽がでた後、土の上に置いておくと好気性に完熟する。未熟とか生とかまだ臭いものを絶対土に埋めたらいけません。特に鶏糞をいけこんだら全滅します。それから皆さん、油虫、アリマキですね、これがわいている時は基本的な誤りがあって生の堆肥が土に入り、処理されていない土の時出てくるのです。例外的には土がずっと瘦せ過ぎているという場合もありますが、これは滅多にない事ですから。大概は生が入った時アリマキが湧いて困るといわれます。基本的な間違いでこれはいけませんと教えてくれるのです。

もう一つ大事な事は、たとえ好気性で完熟していても、これを土に施す時期があります。これを間違うと病虫害が発生します。その時期は秋、落ち葉の落ちる時期です。これは大変大事な事で、これがわかるまで随分苦労したものです。自然が落ち葉を落とす時この時に堆肥を撒いてください。一番正しい方法です。理由は自然のものですから好気性に完熟していても、部分的には生もあり嫌気性のものもあり、完熟してないとこもある訳でから、これを土にいれますと半年はいわゆる土になじまないといいますか、まだ病虫害を発生させる素因をもった土になるのです。秋に土の上にほっておくか、もし埋けるとしても浅くしておく事により好気性状態になり、来年の3月半ばまでに大体土になじんでしまうのです。すると6月の害虫発生期までに3ヵ月あるから、苗もかなり大きくなっていますし、たとえついたとしても大丈夫です。そしてひと夏越して9月になるともうすっかり熟している。9月の虫の発生期には全く心配がありません。こういう理屈です。だから堆肥は年1回落ち葉の落ちる時と覚えて下さい。家庭菜園の方は堆肥を作っていると、近所から臭いと怒られたり色々ありますから、堆肥を作る事が出来ない時は、やはり10月末か11月初めに1年分の乾燥牛糞か何かを畑へ撤いてやります。それでおわり。後肥料がきれてきたら油粕を土の上へおいて下さい。決して埋めてはいけません。適当に石灰は使って下さい。苦土石灰の方がよいと思います。こういう事です。好気性に完熱させることと、やる時期を考える事、撒く時は土の上へ放っておくか、浅く埋ける、深く埋けてはいけません。アリマキのことは先程申しましたが、有機農法をやるともぐらが出てかなわんという人がある。もぐらがくるのは土の中で嫌気性の腐敗を起こしている、堆肥が生の土です。ミミズは農業の本に肥料を作るから多い方がよいように書いてありますが、それはいけない。掘ってみてウジャウジャ小さいミミズが出てくるような土は嫌気性の土で、油虫がわいたり病虫害が出る土です。たまに太いミミズがコロコロ出るような土は良い土です。そういう土にはもぐらがやってこないのです。ただ注意しておきたいのは、畑の一部に草や何かを一杯積んでいますと、そこの下がもぐらの巣になる事がありますから、そんな時はもぐらが出る時があります。これが有畿農法をやる時の注意です。

完熟堆肥は埋けてもよいけれど、生や未熟、臭い堆肥は埋けてはいけない。そしてそれをやる時期は落ち業の落ちる時期、11月末位まで、その要領を覚えて頂いたらよいと思います。悪い土が良くなるのには大体3年かかりますから、それまでに害虫が発生しても、害虫は土の悪い事を教えてくれる指標だと思って悲観せずやって下さい。

(以下、次号に続く)

 

 

 

ゲノム編集食品とは何か

 

「ゲノム編集食品」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。これは、動植物がもともと持っている遺伝子の一部を、人の手で少しだけ「切断したり結合したり」して、より都合のよい性質に変える技術で作られた食品のことです。日本でも、可食部が通常より1.2倍になるマダイや、血圧を下げる働きがあるGABAを多く含むトマトなどが開発されています。自然の中で受け継がれてきた遺伝情報を、人間が選んで変化させることで、病気に強くしたり、味を改良したりするのです。

この技術は、昔ながらの「品種改良」よりも短期間で結果を出せるため、農業や漁業の分野で注目されています。見た目や風味は一般の食品とほとんど変わらないため、表示がなければスーパーで見分けることは難しいでしょう。さらに、販売の際には厚労省などへの届け出は必要ですが、消費者への表示義務はないため、知らないうちに口にしている可能性もあります。

問題はその「自然の限界を越えた操作」が、まだ完全に安全だとは証明されていないことです。遺伝子を切り貼りすることで、意図しない変化が起きることもあります。たとえば、病気に強くしようとした結果、別の成分が増えたり、アレルギーを起こしやすくなったりする可能性もゼロではありません。技術が新しい分、長期的な影響がまだよく分かっていないのです。

ゲノム編集食品と混同されやすいのが「遺伝子組み換え食品」です。遺伝子組み換えは、他の生物の遺伝子を「外から取り入れる」方法です。たとえば、虫が嫌がる性質を持つ細菌の遺伝子をトウモロコシの中に組み込んで、「虫が食べないトウモロコシ」を作るよといった具合です。

一方、ゲノム編集食品は外部の遺伝子を加えるのではなく、もともとその生物が持っている遺伝子の一部を変えるだけです。そのため「より自然に近い」とも言われますが、実際にはどちらも人工的に生命の設計図を操作している点で共通しています。

2021年、京都府宮津市では、ふるさと納税の返礼品として「ゲノム編集されたトラフグ」を採用しました。これは、成長を抑える遺伝子を一部切り替えることで、本来よりもおよそ二倍の速さで成長するようにしたものです。生産効率の向上やコスト削減が期待できるとして注目を集めました。

しかし一方で、消費者団体や市民からは「安全性が十分に確立していない」「知らないうちに家庭の食卓に上るのは不安だ」といった声が寄せられ、反対の動きが広がりました。市への問い合わせや意見提出も相次ぎ、報道でも取り上げられました。

その結果、宮津市はゲノム編集トラフグを返礼品から外すことを決定。現在は従来どおり、地元産の水産物や特産品のみが返礼品として提供されています。

ゲノム編集食品は、見た目も味も普通の食品と変わらないかもしれません。しかし、遺伝子を人工的に変化させている以上、「自然のままの食品」とは言いがたいでしょう。長い時間をかけて自然が作り上げてきた生命のバランスを、人間の都合で変えてしまうことに、どんなリスクが潜んでいるのか。まだ誰もはっきりと答えを出せていません。

編集によって変化した遺伝子が体の中でどのように働くのか、長期間食べ続けたときにどのような影響があるのか。アレルギーやホルモンへの影響、さらには次世代への影響など、未知の部分が多いのが現実です。

だからこそ、私たちは「便利そうだから」「新しいから」という理由だけで飛びつくべきではありません。慈光会では、自然のままの力を大切にし、ゲノム編集食品の取り扱いは行いません。安心できる食を届けることが、私たちの使命だと考えています。

 

 

 

農場便り 10月

 

朝露が草の葉を濡らす。露は水滴となって葉の面を滑り落ち、早朝の光を受けて宝石のようにきらめく。時間とともに山中の涼しさは消え去り、猛烈な日射とともに、夏の農作業は始まる。

お盆の夜空を染めた大輪の花火が静かに消えると、秋の気配が顔を出した。「秋」という漢字の「禾(のぎへん)」は垂れ下がる稲穂を表し、「火」はその穂を天日で干して乾かしたり、火を焚いて害虫から守ることを表し、これを合わせて収穫の季節を表す漢字になったそうである。真夏のような猛暑が続く中、たわわに実った早生米の収穫が始まった。

当園では、夜露もまだ乾かぬ早朝より、きゅうりの収穫が始まる。前号でも書かせていただいたきゅうり栽培、今年も約2ヶ月の間、たくさんの実を結んでくれた。最盛期は8月上旬から中旬、大きな葉は、本夏の死の光のような厳しい日射にも負けることなく元気にツルを伸ばし、花を咲かせている。収穫に向かうと、きゅうりの周りにはすでに色々な虫たちが集まり、我先にときゅうりの花に顔を埋め、花粉を集めている。中には大きな熊蜂もおり、大きな体を右に左にと飛び回る羽音が、私の耳に届く。丸々とした大きな体の熊バチは、スズメバチのような攻撃性は持たず、収穫の際に手を間近に伸ばしても、一向に我関せず、と花粉を集めること、一心不乱である。そんな多数の虫が行き交うきゅうりの森の中、よほどご縁があるのか、毎朝出会い、挨拶を交わすトカゲがいる。耕人の侵入に驚くこともなく、じっとこちらを見つめる。きゅうりの広い葉の上で、大きくまん丸なお腹を揺さぶりながら歩き回るトカゲに、「ケロちゃん」と命名。トカゲなのにケロちゃん。きゅうりの生命が終わるまで、森の中を住まいとし、日々闊歩する夏の友であった。ケロちゃんとの挨拶もそこそこに、たわわに実ったきゅうりを丁寧に収穫ばさみで摘み取る。ほどんどのきゅうりは素直にまっすぐ育つが、中には根性を曲げた者もいる。そういう場合は、花が咲く時点で事前に積み取ってしまうのだが、中には葉陰に姿を隠して大きく育ってしまう強者(つわもの)もいる。耕人の好むきゅうりの食べ方は、シンプルにきゅうりサラダ、次は琥珀色になるまでよく漬けた漬物。さっと塩抜きし、生姜と少々の醤油を。乳酸菌の働きで体全体のバランスを整えてくれる逸品となる。農作業で疲れた体に優しいおいしさで麦汁とともに五臓六腑に染み渡る。きゅうりのおいしさは真っ直ぐでも、曲がっていても胃の中に入れば皆同じである。

話は一転するが、農を営む者は昆虫を見たとき、まず敵か味方かを見極めることが出来る。これは自然と培われた能力である。管理室のテーブル上にそびえ立つ紙のMt.チョモランマ。その裾野にほんの一部の平野がある。その平野が、耕人の活動スペースであり、農業日誌の記入やその日出会った素晴らしい言葉を書き留めたり、慈光通信の農場だよりをしたためる場となっている。その大切な場が、とある侵略者により、占拠された。侵略者はアリ。日増しに兵隊の数は増え、机上を我が物顔で歩きまわる。不届き者たちは日誌を書く私の柔肌もチクりと噛む。なぜこんなところにアリが・・・?夏場の作業中、大量の水分を喉に流し込むと同時に、口いやしくクッキーなどのお菓子を口に運んでいた。幼少より成長のない耕人は、クッキーのかけらを机のあちこちに散らしてしまう。その味を求め、アリが集まったのである。我が家ナンバーワンのこぼし屋、それが私である。思えば食事の折、私のテーブルの下には、降ってくる食べ物を求めて、亡き愛犬は決してその場を離れる事はなかった。一度甘みを覚えたアリは、一夏中、机上を離れる事はなく、秋になった今も、耕人の体には無数のアリに噛まれた跡が赤く残る。おやつの語源は、江戸時代の食生活にある。当時は一日二食。昼間お腹が空く「八つ時」に口にする食べ物、という「八つ時のつまみ」が変化して「おやつ」となったそうだ。口卑しい耕人は八つ時ならずとも、何時でも結構である。

きゅうりの話に戻る。夏を代表するこの野菜も、今や年中お目見えし、まるで季節感がない。近代農法では、ほとんどがハウス栽培であり、当会のような露地栽培は、ほぼ目にしなくなった。今は野菜も見た目の美しさが求められ、ハウス栽培で直射日光を当てず、ビニール越しに光が当たったきゅうりは、確かに優しい色合いで美しく見える。しかし当会の栽培では大量の完熟堆肥とミネラル、有機肥料(油粕や米ぬかなど)で育てることで、ハウス栽培の近代農法にはない味の深い、栄養価の高いきゅうりができると自負している。自由にはびこったきゅうりの森も、9月下旬ともなると今や虫の息となり、その生涯を閉じようとしている。ケロちゃんも姿を消した。聞こえているかどうか、息も絶え絶えのきゅうりに、「お疲れ様ありがとう」と声をかける。

少し戻って、お盆も過ぎた8月19日、この夏一番となる暑さが、作業中の耕人を襲う。体を動かす度に吹き出す汗。頬を水路のように流れ、あご先から地上へと落ちる。空調服の風も熱気に呑まれ、温風がゆらりと体を撫でていく。朝一番の収穫と水やり。まだお日様の姿は山の陰。しかしほどなくして現れたお日様が顔を見せると同時に、容赦ない耕人のローストが始まる。

収穫後は、秋作予定地の堆肥散布作業に入る。何もなかった場所が大根、白菜、小松菜の栽培予定地へと姿を変えていく。この時期は一年で一番多く害虫が発生する。元肥を最少量とし、気温が下がる頃より、追肥で栽培を進める。倉庫の中では、並行してトレイへの播種が始まる。自家製堆肥と有機栽培土を6:4で混ぜ合わせ。白菜とレタスは、128穴のトレイにまず半分まで培土を入れ、たっぷりと水を含ませる。水が抜けきったら、残りの半分に培土だけを加え、上面を美しくならす。それからはそれぞれの種に合った蒔き方を。細かすぎて無骨な指先では捌けないレタスの種は、自家製スプーンで一粒ずつすくい取り、丁寧にトレイへ落とす。有る程度の大きさがある白菜は、耕人の指先でもかろうじて一粒ずつつまむことができるので、直接培土の上へ。まだ日射は強く、直接畑に蒔けない小カブは、トレイに二粒ずつ種を落とし、成長を見ながらの定植となる。なんと厄介なことであろうか。このトレイへの播種は、お日様が南中する頃、暑さに耐えかねた耕人が逃げ込む倉庫での作業となる。よしず越しの明かりと、ほのかに届く扇風機の風に包まれ、その日の計画播種を進める。ただ、野外での力仕事の後だけに、細かい作業には少し不向き。力仕事の後は指先が震えるため、細かい種を指先でつまもうとする時、播種時に一粒のつもりが5粒ほど落としてしまう有様。戦意喪失となり倉庫の中には絶望のため息が漏れ聞こえる。日中は日光を30%ほど遮り、朝夕は100%の日差しを浴びさせ、たっぷりの水を与え、苗は育っていく。中には暑さで芽が出ないレタスの種もあった。しかし、白菜の苗は育ち、9月上旬、準備をしていた畑に定植。と同時に防虫ネットを頭からすっぽりかぶせる。土際にもしっかり土をかけ、水を十分にかけて完了となる。ここまでしても、海千山千の害虫たちは、どこからすり抜け入るのか、しばらくすると、美味しそうに作物にむしゃぶりついている。ただ、蝶や蛾といった昆虫からは、何とか作物を守ることができる防衛隊である。ぎっしりと並んでいた苗場も、畑への定植とともに、一時的にスペースが空く。しかしながら、次々と新たな播種が行われ、すぐにまた所狭しとなる。夏から初秋にかけて集中する播種も、9月いっぱいで終わり。畑への直蒔きも始まり、日一日と苗場は寂しくなっていく。9月20日、初夏の味、赤玉ねぎの種まきを行う。稲作用のトレイにばらまき、しっかり水をやる。芽がそろったら肥沃な畑に並べ、力強く根を張るよう管理作業を行う。育苗していたキャベツ、ブロッコリーの苗が食害を受ける。目を凝らし。犯人を突き止めようとするも、その姿は無い。夕方、苗場より、美しい虫の音。そっと近づくと、犯人はクツワ虫、君が犯人かと手早く素手で捕まえ、お縄、ではなく、空のペットボトルにねじ込み、今季野菜を植え付けていない場所に放って一件落着。さぞ当会のキャベツは美味であっただろう。

南岸を台風崩れが通り過ぎてゆく。雨を期待したが空振りとなった。地域によっては、甚大な被害に見舞われたところもあったようで心が痛む。前日定植を行った苗に雨の恵みは与えられなかったため、仕方なくホースを引き、一本一本水を与えて回る。夕方、美しい夕焼けに、空が染まった。ゆっくり沈む夕日に心が洗われる。同時に、悪しき方向へと進む社会が、沈みゆく夕日と重なり、ナーバスな気持ちになる。和泉山脈の空を真っ赤に染めた夕日は、静かに沈んでゆく。この情景に、頭の中では、ベートーベン第6楽章最終章が鳴り響く。前日定植した白菜の無事を確認し、薄暗くなった農場を後にする。

小カブやレタスも苗が仕上がり、畑へ定植。しかし相変わらず雨には恵まれない。きれいに整地された畑で、播種機ゴンベイが活躍する。大根から始まり、小松菜、ほうれん草と、畑を行ったり来たりしながら、種を大地に落としてゆく。9月初旬に播種した大根は、見事に食害されてしまった。もう少し待てばよかったのか、我慢の足りない私の勇み足となった。小松菜は、暑さに負けることなく、ゆっくりと育ってゆく。10月の声が聞こえる頃には、虫による食害も減り、ゴンベイ様々となる。

お盆を越すと、農業の一年の後半が始まる。前半、何が一番の出来事だったかと言えば、当園自慢の里芋が猪の害にあい、全滅となってしまったことだ。種芋すらも残すことができない状態である。来年からの栽培方法を考え直さなければならない。

暑い夏の午後、孫が虫かごを手に、うれしそうにやって来た。我が家に大型台風上陸である。虫かごの中には4匹のカブトムシの姿。どうすれば元気にカブトムシの飼育ができるか伝授せよとの事。まだ幼き子供に本気で説明。そして、もともとカブトムシは大自然で生きる生き物。ケージで飼われるストレスはいかほどかと、まだ3歳の子供にとくとくと説き聞かせる。飼育期間は1週間だけだと約束し、ケージに最高の環境を整える。1週間、十分に楽しんだ飼育を終え、農場のクヌギの大木へと放つ。放たれたカブトムシは元気に高所へと登ってゆく。その先には、夏の大空が広がり、真っ青な空に浮かぶ入道雲が、美しく湧き上がる。この雲のように、世界中の人々の心の中に美しい心が湧き上がれば、戦争、難民、貧困、そして飢餓は、この地球上より消え去るだろう。などと、カブトムシの放虫から全く違う方向へと心が動く。美しき日本、美しき世界になりますようにと、夏の夕空に祈る。

 

農場だより作成の最後までアリが邪魔をする農場より