慈光通信 第257号
2025.6.16
- 健康と医と農 Ⅺ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】
農薬の悪循環
私の地方は柿の名所ですが、15年前には1年に2回の消毒で充分だったのが現在では8回から10回、場合によると12回も消毒をしないと出来なくなってしまった。おまけに今までは柿の害虫というのは、ヘタ虫、イナ虫の二種だったのが現在はイナ虫、ヘタ虫の他ブランコ毛虫、スリップス、オガ、こういう五種類、最近また一つ増えて六種類になっています。そんなに増えてきた悪循環で、農家は幾らでも沢山農薬を使わなければ出来ないようになります。そのため農薬によって農民の心も体も弱ってきました。そしてそれが労働意欲の喪失となって、よけい土作りするのが厭になり化学肥料に頼るという、こういう悪循環に苦しんでいます。農家の方の仕事は大体自然の中で働くのですから、健康でなければならない筈です。それなのに最近の農村は非常に病気が多い。そして労働を嫌う人が多ぃ。一方この弱った農作物を食べていますと体が弱ります。この悪循環もあります。何れにしてもこの悪循環は土を殺し、益虫を殺し、人を殺すという恐ろしい事です。土を殺すという事ではアメリカでは既に砂漠になってきていますが、日本では雨が多いので砂漠にはなっていないけれど、地力は非常に低下しました。昨年7月NHKで、日本の田畑の土が死んだという事が放映されたのを皆さんご存じかと思います。あのような死米ができてくるような土になってきたのです。ひどい所では藁を土の中へ埋けこんでおいても藁が腐らない。これは土の中にバクテリアがいないからで、こんな土になってしまった。こういう状態だからこういう農法を止めなくてはいけない。これは誤りだという事を昭和27年以来叫んできた訳です。これは絶対やっちゃいけない。ところが更に農薬の害がでてきた訳です。実はこの無農薬農法を研究してきた者でございますが、この無農薬農法と云うのは今まで過去何千年と云う間、人間は農薬なしで農業をしてきたのですからできる筈です。しかし現在の様に農薬を使って昆虫の世界が異変を起こしている環境において、完全な無農薬は可能であるか、可能でないか、またどんな方法を取ればよいか、それからもし可能であるとしてもそれに依って出来てくる農作物の量や質が悪くないかどうか、もし非常に収量が少なく、質が悪かったのでは農家が成立ちません。第3番目に、もし出来るとしても大変な費用や労力がかかるとしたら、これはまた実用になりません。こういう事の実験を過去27年やって参りました。そして答えを申しますと可能であるという事です。よい話ばかりです。既にお米は25年、野菜も25年完全無農薬で立派な物ができています。本当に立派です。それから果樹は、私の地方では挑、柿、梅、蜜柑位ですが、これらの果樹は完全無農薬で過去15年やってきて、全部成功しています。只蜜柑は私のところは寒いので冬1回だけマシン油をかけてやらないと枯れてしまいますので晩秋の頃使います。まあこんなのは農薬の内に入らないくらいの物ですが。そして収量は大丈夫、充分取れます。それから特に米は一番易しい、強い植物ですから全部大丈夫です。只トマトは乾燥地帯の植物ですから日本の様な梅雨の時期に実らそうと思えば、毎年完全にやろうとすると、上にビニールの屋根を作って栽培しなくてはなりません。乾燥地の物ですから梅雨の時に病気になる事がありますが、これは止むを得ません。その他は全部成功しています。こんな訳で結果だけを申し上げます。
輪廻(りんね)
どういう訳で可能であるかという事を申し上げて話を終わらせて頂きます。大体この世の中には一つの法則がありますね。例えば雨が降って地上に流れ、地下に入り、川へ入り、海へ入って、蒸発して雲になって雨になる、水の輪廻がありますね。この輸廻の中であらゆる地上の生物が生きております。この輪廻をどこかで切るとたちまち干上がってしまいますね。ところが同じように私たちが守らなくてはならない輪廻があります。この地上であらゆる有機物を、米でも布でも何でも作ってくれるのは植物です。植物が生産者です。この植物の生産してくれた有機質を動物が食べる。動物は消費者です。肉食動物は間接的に食べる訳です。そして植物の死骸である落ち葉、枯れ木や枯れ草、動物の排せつ物や死骸を徴生物、バクテリアが分解してくれます。この完全に分解したものが完熟堆肥になります。山へ行って落ち葉の積っている下を掘ってみると黒い土がありますね。これが完熟堆肥ですね、これが土にしみ込んでゆきます。そして土の中にいる数限りないバクテリア、1gの土に億単位のバクテリアが入っています。あるいは色々の小動物、ダニだけでも30種位います。動物が土の表面から30㎝位の間に沢山おります。上へいくほど多いです。そして土の中に小宇宙を作っています。これを土中の生態系といいます。土中生態系は完熟堆肥によって養われる訳で、土中生態系を作っているバクテリアがどんどん分裂して出てくる蛋白質、脂肪、炭水化物その他ビタミン、ホルモンや酵素などいろんな物があります。例えばミミズが口から入れる土と尻から出す土を調べてみると、有機肥料度が3倍から5倍になっています。こういう物を植物が利用し吸って、太陽のエネルギーと空気中の炭酸ガスと、吸い上げた水、土のような鉱物質を一緒にして生産する訳です。こういうのを生態学的輪廻の法則と申します。
(以下、次号に続く)
梅雨対策!
洗濯槽をピカピカに
梅雨の季節が近づいてきました。洗濯したはずの衣類に嫌なニオイや黒いカスが付いていることはありませんか?その原因は「黒カビ」である可能性があります。洗剤の溶け残りや衣類に付着している皮脂汚れなどが洗濯槽に蓄積し、湿度が高まるとカビの栄養源となり、黒カビが発生しやすくなります。毎日使う洗濯機でも、定期的に掃除をしないと内部に汚れがたまり、雑菌やカビが繁殖する原因に。せっかくきれいに洗っているつもりの衣類が逆に汚れてしまう事態を防ぐため、今こそ洗濯機の徹底掃除を始めましょう。
まずは、細かい部品を外して洗います。洗剤投入口やゴミ取りネット、乾燥フィルター、排水フィルターをすべて外し、ぬるま湯に浸けて汚れを浮かせた後、歯ブラシで丁寧にこすり洗いをします。
次に、洗濯槽の内部掃除です。洗濯槽の表面がきれいでも、裏側には汚れがびっしりと付着している場合があります。洗濯槽に「洗浄コース」が付いている場合はその機能を活用。機能がついていない場合は、洗濯槽にたっぷりのお湯を入れ、酸素系漂白剤や洗濯槽クリーナー、重曹を使用して汚れを浮かせます。洗いコースを5分ほど運転した後、2~3時間放置して汚れを分解。その後、浮いてきた汚れをゴミ取りネットで取り除き、通常運転で排水します。さらにもう一度通常運転を行えば完了です。
長期間掃除をしていなかった場合、一度では完全に汚れが落ちないこともあります。その際は数回繰り返して汚れがなくなるまで掃除を行いましょう。梅雨前のこの時期に洗濯機をリフレッシュして、気持ちよく洗濯物を仕上げられる環境を整えてみませんか。
農場便り 6月
美しい桜の花が散ってから一ヶ月、山々の木の葉は若葉より色濃く山を染め尽くした。農場への行き帰りに通る道の谷深くに、毎年見事に花を咲かせる大きな山桜の木がある。その桜の大木に勝手に自分の名前を付け花を楽しむこと40年の月日が流れた。美しい春の陽光もつかの間、猛暑が我が身に襲いかかる日はもうそこまで来ている。春の一日、まだ幼い孫が庭で遊ぶ平和な昼下がり、庭に咲いた花を見て「ダンディライオン」と指をさす。しかし耕人は何のことか理解できず「???」のマークが頭の上を飛び回る。横にいた母親が英語でタンポポの事をいうのだと教えてくれる。「This is a pen」から始まった英語人生、人より少々早く卒業してしまったことをこの歳になって悔やんでみても始まらない。漢字にしてもまたしかりである。
美しい春から初夏への移り変わりに目を奪われる中、春作から初夏作の作物の収穫や、次に作付けする夏作の植え付け、管理と忙しい日々を送る。春先から始まったキャベツ、レタスの収穫は6月に入った今も続き、小松菜も収穫を迎えた。5月下旬には玉ねぎ、にんにくの収穫を行った。その収穫に追われる中、3月に播種をし、今は20㎝を越えた冬用のゴボウに夏草が襲いかかる。人間が改良した弱々しい作物と、大自然の中何万年もの歳月を乗り越えてきた野草との共存はどうあがいても難しい。
一回目の除草をする合間、ホッと息をつき空を見上げる。迫る山肌には、京の芸妓が付ける花かんざしのように、長く伸びた藤の花が美しく咲く。そんな美しい花も他の雑木から見れば、悪魔のような植物である。最初は他の木の力を借り、高所へと上り詰める、力強く育ち繁茂したツルは恩ある木を弱め、最後には枯死させてしまう。まさに「軒先借りて母屋取る」と昔からの言葉そのものである。その後、絡みつく木を失った藤の木は地上に崩れ、自らも弱ってゆく。もっとお互いの生命を尊重し合い、共存できないものであろうか。今、私の目の前に広がる、さながら日本昔話のような美しい風景を見ながら嘆息する。
畑では手作業でのゴボウの除草も進み、緑の若ゴボウが一直線に姿を現す。第一回目の除草を無事終え、収穫までにあと2~3回の除草が必要になる。気長にコツコツ作業をすることでよい作物が育つ。5月中旬になると、昨年の晩秋に芽を切ったイタリアンライグラスが畑を緑に変え、穂を持ち上げた。収穫後の畑は肥料が多く残っており、雑草の楽園となる。お腹いっぱい養分を吸い上げ、ひと冬かけて大きな株に育ってしまったライグラスは、やがてその穂から種を大地に落とし、秋はさらなる地獄絵図に。となる前にトラクターで一気に刈り倒してゆく。この雑草の底知れぬ生命力は他をも圧倒する。日本のうどんよりイタリアのパスタの力であろうか。淘汰されたイタリアンライグラスの隣では冬の補助用にと栽培していた小松菜が真っ黄色の花を咲かせ、やがて控えの役目を終え大地へと還ってゆく。これが最後に見せる美しい姿なのであろう。
初夏よりトンネルの中から、時には露地から収穫した結球レタスも残りあと僅か。続いてリーフレタスへとバトンが渡る。結球レタスは3種類を栽培、それぞれが持つ特性を生かし、長期に亘り収穫を行ったが、日射しが強くなると結球の内部が蒸れ、水分が多い結球レタスは中から傷み出す。5月以降に出荷予定のものへの肥料は、肥料過多になればすぐに腐り、過少となれば結球しないため、細心の注意が必要である。リーフレタスの一部は収穫を終えたが、引き続き順次播種をして定植、もうしばらくの間お召し上がりいただける予定である。暑さが強くなってくると葉菜類は山の農場へと栽培地が変わる。5月25日、最後のリーフレタスの定植を行う。既に2回の定植を終え、3回目の小さなレタス苗も気合を入れて行った。ムシムシとした高温多湿の日には冷えたサラダで爽やかに過ごしていただきたい。
生食のレタスと肩を並べるのはキャベツ、柔らかい春キャベツから7月中下旬までの栽培が当園の担当となる。昨年秋に播種し、冬を越して早春より収穫を行った作付けは既に収穫を終え、今から初夏キャベツの収穫が始まる。毎年のようにネットを張り遅れ、鳥害に遭い悔しい思いをする春、初夏キャベツも本年は何が起こったのか、その時期にはしっかりネットを張ることが出来たため鳥害を免れ、外葉は見事な大きさに育った。畝一杯に広げた大きな外葉も何かの役に立たないものかと思案する。下界の畑のキャベツは間もなく終え、レタス同様、山の畑へ栽培地が移る。次の夏キャベツは3月に3回に分けて播種をして育った200穴のセルトレイの苗を圃場へ定植する日が近づく。すでに畑を耕し、肥料も施し、畝も立て用意は万全、あとは腰痛と戦いながらの定植作業のみとなる。そのキャベツも5月下旬には見事に大きく葉を広げ、その上をモンシロチョウが優雅に飛び回る。この時期には鳥害は無いが、うららかな春の陽気に誘われ顔を出すモンシロチョウの幼虫だけには注意が必要である。地力があり、間違った農法でない限り大した問題が起こる事は無いが、小心を自らの自慢とする耕人は一度だけ苗についた青虫を取り、「あとは自分で雑草を食んで力強く生きてゆけ」と逮捕した幼虫を夕方離れた草むらへと放つ。キャベツの成長はまだまだ続く。
時同じくして小松菜が育った。4月12日、清く汚れのない大地に種まきゴンベイが播種をしてゆく。耕人は間抜け面で只々機械を押し、柔らかい土に落ちた種には土が掛けられてゆく。日和もよく4~5日で発芽、ここで一気に成長と行けばよいが、気温は低くビニールトンネルを掛けての栽培となる。そうなると当然自然からのお湿りは無く、3~4日に一度ビニールを取りホースで水を与えなくてはならない。4月中下旬、異常に気温が上がり、トンネルの所々をめくり上げ換気を行う。いたる所に芽を出す憎き雑草が、いち早くトンネル内の温かさを感じ取り、芽を切った。トンネルの中の除草は露地栽培と異なり、トンネルを外し除草した後にまたビニールをかけ直すという厄介な作業を伴うが、これも農の大切な仕事である。色々な作業をしながらも健康に育ち5月24日に収穫の日を迎えた。空は快晴と言いたいところではあるが、早朝より鉛色の雲が空一面を覆い、収穫の作業の中冷たい雨が作業着の背中を濡らす。最悪な小松菜の門出となった。
5月下旬、赤玉ねぎ、ニンニクの収穫を行った。3日続く晴天を見据え、一気に引き抜き地干しを行う。ニンニクは昨年10月、赤玉ねぎは9月下旬に播種、11月中旬に定植を行った。本年は作柄が良く、大きく輝く赤玉ねぎとニンニクを大自然からいただくことが出来た。終日の作業により耕人の腰は悲鳴を上げるが、夕刻の泡の出る麦汁を思うともうひと仕事出来る勇気が湧く。ようやく帰途に就くころの姿は、土にまみれた作業着と色の変わった地下足袋、そして着衣に染み込むフレッシュなニンニクと玉ねぎが混じったコロンの香り。家人へはこの強烈な香り付きの作業着をお土産に帰宅する。すべてのニンニクと玉ねぎは乾燥後、0~4℃の冷蔵庫に貯蔵される。
赤と白のコントラストが美しい赤玉ねぎは生食用で、赤玉ねぎ特有のポリフェノールであるアントシアニンや普通の玉ねぎにも含まれるケルセチンを多く含んでいる。
アントシアニンには抗酸化作用があり、健康維持に寄与し、ケルセチンは抗酸化作用だけではなく抗炎症作用もあり、体調管理に役立つとされている。当会で栽培している品種のアントシアニンの含有量は他の3倍ともいわれている。フレッシュなオニオンスライスで暑い夏に負けることなく過ごせるようにと願う。ニンニクと赤玉ねぎの写真は当会のインスタグラムに載せているのでご覧いただきたい。
畑一杯に育つ各種の野菜に夏野菜も仲間入りしにぎやかな初夏の山の畑となった。今、世間では米問題でてんやわんやになっている。「昭和30年代では米はバカを作り、パンは優秀な人間を作る」などと馬鹿なことをいう不届き者がいた。ダイエットの敵と若者はパンやパスタに走り、「こんなことをしていては米の神様に祟られるぞ」と冗談を言っていたが、その米を経済の悪魔に魂を売った人々によって国民は右往左往している。不作と言われているが、殆どの田ではよく育ってたように思うのだが。今回の米騒動には米価に何らかの意図が働いているようにも思える。私には米作を中心に大規模経営を行っている友人がいる。彼は日頃から「今の米価では機械代にもならない」と嘆いている。世間では嗜好品には高価なものでも惜しみなくお金を出すが、米となるとまた違うらしい。今までの石油、砂糖、トイレットペーパーの時のように、この騒動も時間が解決してくれるだろうが、今は騒がずじっくり待つという事が最も大切である。両親から受けた「一粒の米も大切に」という教えはどの難しい教育よりも大切なことではなかろうか。
東北の震災で強い生命力を持ち大輪の花を咲かせたひまわり、今年も苗を仕立てようと準備をすすめる。昨年秋に種を採り保管していた袋を開けてびっくり、中は種の殻ばかりでそれは周囲にも散らばっている。犯人がネズミである事は必至。冬中、ひまわりの種で生命をつないでいたのであろうと思うと怒りの心は生まれない。20年前うちの子供が大切に育てていたハムスターを思い出す。「デブリン」と名付け、ひまわりの種を主食とし、何でも食する大食漢であった。ネズミも寒い中、脂質の多いひまわりの種はさぞ美味であっただろう。あまり良いものはないが、残った種を土に蒔く。
震災で人の心を勇気付けたひまわりは今度はネズミの命をつなぐひまわりとなった。発芽すれば良いが、しなくても私の心の中にはいつまでも大輪のひまわりが咲き続ける。
これより先は耕人の独り言。今、関西は万博で賑わう。静かな農場とは真逆の世界である。農場でたまに聞こえるのは耕人のおたけびのみ。万博の開催に向け曲芸飛行、ブルーインパルスが花を添える予定であった。浪速の空を飛行する勇姿は圧巻であろう。自らの命を懸け自国を守る人々には日々感謝の心を持っている。その一方、本来はこの機が自衛を目的としたものであることを考えた時、ウクライナや世界で起こっている戦いで悲しみの中にある人々の姿を想い、心から人々の平和を願わずにはいられない。
山の農場の大空高く「テッペンハゲタカ」と鳴きながら飛ぶホトトギスに「だれがハゲや!」と言い返し鍬を振る耕人である。
イタチの子育てがうるさい農場より