慈光通信 第255号
2025.2.23
健康と医と農 Ⅸ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】
慢性中毒
ここで農薬の慢性中毒について皆様に知っていだきましょう。農薬というのは燐剤とか、塩素剤とか色々ありますが、今一番多いのは低毒性有機燐剤と云われるもの、大体燐系統のものについて申しますと、これは脳の毒なんです。農薬ではなく脳毒です。だからこれの慢性中毒では精神がやられイライラしてくる、そして後頭部からうなじへかけて凝ってしかたがない。次々発想が浮かんでくる。あれもしなくてはこれもしなくてはいけないとやたら発想が浮かぶ。しかしちっとも実行が出来ない、実行力が無くなる。こんな状態がずーっと続き世の中がおもしろくなくなる。うつ病の状態で、何をやってもおもしろくないし元気がない。仕事もつまらない。それが進むと眠れなくなる。寝付きが悪くなったり、夜中や早朝に目が覚めてしまう。発想で苦しみ、昼は眠い、そのくせ夜になると眠れない。こういう訴えが多いのです。それが過ぎるとだんだん人生が厭になり、人の中へ出るのが厭になる。そして自殺を考えるようになり、最後は自殺をしてしまう。こういう経過で慢性中毒が進んでくる例が多いのです。精神的なものがやられる。それから平衡神経がやられますから、乗り物酔いとか立ちくらみが起こる。また口のまわりにニキビのような変な吹き出物がでたり、顔にしみが多くなる。それから胃へきてる迷走神経をやられるから慢性の胃炎、胃下垂、胃かいようが起こります。最近農村に胃下垂や胃かいようが非常に多くなっていますね。腸がやられますからひどい硬秘や下痢が起こります。
それから腎臓のそばに副腎というのがあり、それへ行くところの交感神経が選択的にやられますので、副腎の機能がおかしくなります。副腎がおかしくなると、リュウマチとかぜん息とかアレルギー体質的なものがでてきます。最近アレルギー性鼻炎とかアレルギー性結膜炎が非常に多いですね。あれは杉の花粉が悪いのだと云いますけれども、杉の花粉は何千年、何万年前から吹いていた筈です。今更吹いてきたのではないのですから、これは人間の体質が変わって過敏体質になってきたのです。砂糖の食べ過ぎとかもあるでしょうが、原因の一つは農薬のため副腎の作用がおかしくなったという事が考えられます。おかしいことに、というか当たり前というか、最近人工の副腎皮質ホルモンが効く病気が非常に多いのです。リュウマチ、こう原病、ベーチェットでも、あるいはぜん息でもアレルギー性の病気でもアトピー住皮膚炎でも、みんな副腎皮質ホルモンが効きます。もっと極端な例では、ある医者によると高い熱のでた患者に少しづつ副腎皮質ホルモンを混ぜると早く治るといいます。確かに副腎皮質の機能に異変が起こっていることが考えられます。こういう人は早く年をとります。農薬がここを選択的にやっつけるという考え方は無理な考え方ではないと思うのです。私は早くからホリドール中毒を研究していて、そのころから副腎皮質がやられると提唱してきました。それから有機燐剤によって目がやられることがあるから気をつけて下さい。子供が急に目が近くなった時には、有機燐剤の中毒を一応頭において下さい。この時は不思議に両眼同じようにこないで片目にくる事が多い。私の臨床経験から片方が急に見えなくなる場合が多いのです。こんな時直ぐに止めて、遠くを見る習慣をつけていると治ります。極端な例では、ある40何才の奥さんが梨を一度に二つ食べて暫くすると目がボーッとしてきて、胸が苦しくなりおう吐して、だんだんと目が見えなくなり、しまいに全く見えなくなって担ぎ込まれて来ました。これはホリドールを多く使った時分の事です。診察をしても何か訳が分からない。色々聞いてみると梨を食べてからだという。そこでピンときてホリドールだなと思った。それでホリドール中毒の手当をしてまもなく目が見えてきて大体3、4ヵ月で目が元どおりになりました。しかしひどい人は、治らず一生近眼の人もいます。これは子供ですが、散布していたホリドールが窓からはいってきて中毒を起こし、一生ひどい近眼で治らなかった例もありますから良く気をつけて下さい。それから女の方は男の人より農薬に弱いようです。冷蔵庫を開けて何をしにきたのかなと思うようになったら気をつけて下さい。非常によく忘れるようになったり、子供さんに対してむやみに腹が立つようになったら気をつけて下さい。
(以下、次号に続く)
今、水が危ない②
前回はPFAS(有機フッ素化合物の総称)がフォーエバーケミカル(永遠の化学物質)と呼ばれ、全国の河川や地下水、浄水場などから相次いで検出されており、付近住民の不安が高まっているという事をお伝えしました。国が安全性の目安として定めている暫定目標値の数十倍、数百倍という超高濃度のPFASが検出された場所は一カ所や二カ所ではありません。
2023年10月「岡山県吉備中央町の町内の一部の浄水場から高濃度のPFASが検出され、全国初となる公費による住民らの血液検査を開始した」とテレビや新聞で大きく報じられました。人口約一万人の小さな自治体の出来事にしては異例ともいえる扱いです。安全だとされていた水道水から検出された極めて高い濃度のPFASは、1リットルあたり1400ナノグラム。国が暫定的に定めた目標値である50ナノグラムの28倍にもなります。2024年、血液検査を受けた住人709人からは、最も高い人で1ミリリットルあたり718・8ナノグラム、平均で151・5ナノグラムと、アメリカの指針値である20ナノグラムを大きく超える非常に高い数値が検出されました。
現在、吉備中央町では、水源の切り替えや定期的な水質検査を実施していますが、住民団体からは早期の原因究明を求める声が上がっており、不安は払拭できていません。
アメリカで、PFASとの関連性を示す十分な証拠があるとされる健康リスクは、「脂質異常症」や「腎臓がん」、「抗体反応(免疫)の低下」、「乳児・胎児の発育低下」の4つです。
日本ではPFASのうち、「PFOA」と「PFOS」という2種類の物質について、「暫定目標値」として、1リットルあたり合計50ナノグラムを、「体重50キロの人が水を毎日2リットル飲んだとしても、この濃度以下なら健康に悪影響が生じないと考えられる水準」として設定しました。しかしこれは暫定の目標値なので、水道を管理する自治体に対して、法的な規制はありません。一方、アメリカは、規制値として、「PFOA」と「PFOS」それぞれ4ナノグラムと定めています。
2023年12月、WHO(世界保健機関)は、「PFOA」と「PFOS」の発がん性評価を引き上げ、「PFOA」に関しては、発がん性が最も高いグループに位置づけられました。しかし、日本では指摘されている健康リスクの多くについて、関連を示す証拠が不十分だとしていて評価は定まらず、行政の対応が後手に回っているというのは明らかです。
今やPFASによる環境汚染は私たちにとって身近な問題です。個人の生活を守るためにできることは、まず居住地の自治体の水道の汚染状況を知ること。今はPFAS汚染の相談窓口がある地域もあるので、問題があるならば、浄水方法の改善を訴えましょう。PFAS濃度が比較的高い地域では個人ごとに浄水器を設置するなどの対策も必要です。また、これ以上原因となる有害物質を出さないためにも、使用する製品の材質も気にかけて選びましょう。一人一人が危機感を持ち、自分たちの子供や孫、未来に生きる人たちが安全に暮らすことが出来るよう、これは自分たちの問題であると自覚することが大切です。
農場便り 2月
冬至、冷たくなった北風がたわわに実った柚子の枝を揺らす。金剛の山肌が薄く雪化粧した朝、この時期には珍しく灰色の空に虹がかかる。
僅かに木に残った紅葉を見ながら間もなく訪れる師走に向けての出荷計画を立てる。暮れから新年に向け寒い畑で出番を待つ冬野菜の面々、白菜、大根、大蕪、小松菜、春菊、サラダ水菜、ごぼう、里芋、雑煮大根などの集荷計画を日誌に細かく書き込む。多種栽培を起こってきた中、冬野菜の代表格である大根に異変が生じた。11月から収穫が始まった大根の多くに黒いクセが入る。その原因としては異常気象による高温障害や肥料の配合などが考えられるが、決して耕人の腹黒さが反映されたものではない。なかには中心の部分に穴が開き、真っ黒に墨が入ったものなどもありかなりの量が廃棄となったため、その畑の収穫は諦めて別の畑に収穫の場を移す。正月用の雑煮大根もこんな事になったらと、気が気ではない12月の初旬を過ごす。
本年の4月に播種をし、長期に亘り管理を行なって来たゴボウ、初霜までの間に大きな葉を広げ成長を続けたが、ようやく出番となり出荷が始まる。12月初旬、重機リースの会社にトラックを走らせ、パワーショベル(ユンボ)を借り、トラックの荷台に積み山の畑へと運ぶ。事前に地上部を草刈り機で刈り取り、いつでも掘ることが出来るように準備は整っている。機械を荷台から下し、いよいよゴボウ掘り本番となる。朝一番よりエンジンスタート、途中の昼食以外は休むことなく畑に1mの溝を掘る。何としても一日で終えようと、年甲斐もなくフル回転で作業を進める。パワーショベルでの作業を終えた後は、手掘りで大中小さまざまな大きさのゴボウが現れる。ゴボウの姿を目にし、ホッと胸を撫で下ろすと共に無事に会員の皆様にお届けできる喜びを感じる。ようやく作業を終え帰途に着くが、一日中乗っていた重機の回転運動で少々自律神経の調子がおかしくなり、夜にベッドで目を閉じてもグルグルと目が回り、眠れぬ夜を過ごす。
正月に欠かすことのできない食材の一つの里芋は本年大惨事に見舞われた。4月に定植した里芋の種イモは半月足らずで青い芽を出し日増しに成長を続けた。そのスピードは何時にも増して早く、気温の上昇と共に見る見るうちに葉はうちわから孫悟空の芭蕉布のように大きくなり、作業するため中に入る私の姿をも隠してしまう程に成長した。8月下旬、里芋と言えば「水」という位に「水」なくして里芋は育たない。耕人が好む命の泡のようなもので、里芋は大量の水分を必要とするため、清く流れる水路から谷水を畑に引き入れている。
ある日のこと、いつものようにトラックを走らせ畑に到着。里芋畑に目をやると奥の竹やぶの近くに植えた里芋の葉が黄色く変色している。水切れをしたかなと思案しながら速足で見に行くと、そこには根っこごと持ち上げられ、真夏の日射しに焼かれた哀れな里芋の姿があった。土を掘り、土中の昆虫などの生物を食するイノシシの仕業である。イノシシは執念深く、一度その畑の味をしめると毎夜通う日が続くため、その後も大切な里芋は栽培地の2/3を荒らされ、ほぼ全滅に近い状態となってしまった。その中には今やもう手に入らない、昔から大和の地で栽培されていたという名もない地場の品種を種芋用にと栽培していた一畝もあった。粘りの強い柔らかく大きい大変美味しい品種である。湧き上がる怒りと同時に「さて、どうしようか」という焦燥感が頭の中を駆け巡る。それでも諦める訳にはいかず、瀕死になった里芋にたっぷりの水分を入れ、正月用を何とか確保しなくてはと思案に暮れる。しかし、里芋の隣で栽培していた山芋は無残にも全滅となってしまった。悲惨な山芋畑を横目に見つつ、少量ではあるが生き残った里芋をゴボウと時を同じくして掘る作業を進める。
10月中旬から少しずつ収穫を始めていた冬の青菜各種も12月に入り本格的な収穫作業に入った。白菜も中生から晩生に変わり葉の軸が大きく分厚くなり、大きく丸々太った姿の白菜になる。小松菜は葉の色が濃くなり、次々に播種をし、栽培を行う。そうして畑に何筋にも育った小松菜はふわふわの不織布の布団に包まれ、これから訪れる厳しい寒さから守られる。蛇足ではあるが、この時期になると耕人のバカのつくほどの大足を守る大きな長靴の中では、足を寒さやしもやけから守るためのソックスも二重になる。
畑に育つ中では小松菜が一番多く栽培されているが、他にも多くの品種が作付けされている。寒さに弱いサラダ水菜は、朝霜に震え上がり葉の色が少々薄く褪めるが、歯触りが柔らかく、アクが抜け、高温期の青臭さがなくなる。もちろん他の野菜も霜に当たると糖度が上がる。冬の野菜の甘さは寒さから身を守るためであり、自動車のラジエーターに入れる凍結防止液のような役割を果たし、すべての作物が糖度を上げ春を待つ。
レタス類は、夏の猛暑による育苗時のトラブルでかなり遅れてしまった。9月に入り播種をしたが、遅れを取り戻すことは出来なかった。チンゲン菜は寒さに弱く北風にあたるとすぐにまっ黄色になり腐りが入ってしまう困りものである。そのため他の作物より早くビニールトンネルを掛ける。暖冬という事もあり一月現在は、一部で葉に変化が出たものもあるが問題なく育ち、大きくなった順に収穫バサミで「チョッキン」と地面スレスレの位置で刈り取る。収穫した野菜はそのあときれいに整えるが、特にサラダ水菜は色が悪くなった葉などを株元から取り除ききれいに洗浄をしなければならず、収穫後に大変手間のかかる野菜である。
畑の中心で不織布に守られ眠る大きな白菜、最初の計画では11月上旬からの収穫を予定し、猛暑の中8月中旬に播種、その後10日ごとに播種を繰り返した。残念ながら8月中に播種をした4種類の白菜は全てお日様のエネルギーに焼き尽くされたが、9月初旬からの苗は何とか順調に育ち、12月からの収穫に間に合い、せっせと収穫に励む。
12月23日、最終週の正月用の収穫が始まった。気になっていた雑煮用大根も無事育ち、おめでたい席で活躍できる大根へと成長した。細く短いこの品種は、大根特有の強い匂いや辛味もなく、料理の邪魔をすることがない。ただ作付けは年に一度、出番はお正月のみとなる。本年9月20日に播種をした大蕪も、早朝に降りる霜の力で甘く美味に大きく育った。現代人にはもう一つ人気がないのか大いびきをかき、畑で出番を待ち待機している。作柄はとても良く、美しい肌の大きな蕪である。
冬本番となるこの頃になると山の畑では何やら意味のない叫び声が上がる。たわわに実った柚子の収穫が始まり、三脚を立て枝と枝の間に頭を突っ込み短い手を伸ばして柚子一個一個に傷が付かぬようにと収穫を行う。ご存知であろうか、柚子には長くて鋭い棘が無数にあり、侵入者を寄せ付けないように自身を守っている。こちらも敗けてはならぬと厚い手袋をはめ、完全防備で収穫に挑むが、敵は進入を拒み、身体のいたる所に針を突き刺す。その度に怪しい姿の侵入者は雄たけびを上げ、それは谷を越えてやまびことなる。白菜の塩漬けに柚子の皮、四季の味わいの中での冬の最高の一品となる。一方、キャベツは苗の時点でほぼ全滅となり予定地は空いたまま、その地に来年度の春作からのキャベツの定植作業を進めている。
収穫が進むと畑は寂しい景色へと変わっていく。無事収穫できた喜びと安堵を感じると共に何も残っていない畑を複雑な思いで眺める。28日、無事2024年の収穫を終えた。北風の吹く農場で、宅配でこの野菜の到着を待って下さる方、宅配の配送員が手渡した荷物を微笑み受け取って下さる姿、販売所でたくさんの野菜をカゴに入れ運んで行かれる姿を想像し、心が温かくなる耕人の姿がある。
当会の営業もあと僅か、目の回るような忙しさの中で頑張らなくてはと自分に言い聞かせる反面、いつもこの時期にこれという理由はないが、心が何とはなく鬱々とする。有難く日々の生活を送らせていただいているにもかかわらずである。そんな時、心を奮い立たせるため夜に部屋の明かりを消し、音楽に耳を傾ける。たくさんある楽曲の中「ラフマニノフ」を選ぶ。音量を上げ曲が進むと共に自身の心は底深くまで沈み込んで行く。空になった心に「ベートーヴェン交響曲第5番」で勇気と力を心に注入することでモヤモヤとした心の霧を晴らし、明日からの耕人の使命に全力で向かう。
農作業の疲れか自室の床の上で今宵もいつも通りの大の字。夜更け、目が覚める。歯を磨き、仏壇に手を合わせ、庭で眠る愛犬のお墓に手を合わせる。これもまたいつも通りである。あとは夜空が晴れていれば澄み切った漆黒の暗闇に輝く星を眺める。冬の星座は特別美しく、冬の大三角、光り輝くシリウス、ベテルギウス、強い光を放つリゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、少し離れてレグルス…と時間を忘れ見入ってしまう。輝く星座が「小さなことに心奪われる事なかれ」と話しかけてくれるように感じ、真冬の夜中、寒さが眠気を吹き飛ばし目が冴えてしまう。自室に戻り、ついついPCを開いてしまう。たまたま見たサイトで、医学の父ヒポクラテスの格言が目に入る。「食べ物で治らない病気は、医者でも直せない」この言葉がやけに心に残る。別のサイトを見ると「口から生まれた関西人、その中代表大阪人、大阪人に言葉あり、大阪は口に土で吉となす、土を良くして吉となす」耕人はそこに一言加える「知らんけどな」と。
皆様、明けましておめでとうございます。本年も全力で土に励む耕人の姿を作物としての姿に変え、皆様に健康と共にお届けさせていただきます。本年もご理解ご協力を賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。
炭火にふくらむお餅そっくりの耕人より