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慈光通信 第199号

2015.10.1

あなたの健康を左右する食生活 今こそ誤れる栄養学の転換を 3

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1973年(昭和48年)4月発行の毎日ライフに掲載されたものです。】

 

 

日本人の食生活

 

 

明治以来日本人は、欧米式栄養学に心酔し、誤解もして動物性食品のみが栄養であると考える風潮ができた。戦後は特にその傾向が強くなり、現在の日本人、特に若い人は野菜、海藻の摂取が大変少なく、白米、白パンと動物性食品を主に食事する傾向が強い。これではビタミン類、鉱物質(特にカルシウム)、X要素において大欠乏を起こしている(最近農林省から現在の日本人は、必要カルシウム量の4分の1しかとっていないと発表された)。
さらに白砂糖の過食は、ますますその欠乏症状をはなはだしくしている。青少年の体格は大きくなったが、体力は低下し、体質は劣悪化して若年から老化現象を起こし、血液は酸性化し、骨折が多く、虫歯や歯槽膿漏もふえている。細菌やウイルスに侵されやすく、常に抗生物質の使用を余儀なくされる。心臓血管系疾患、肝硬変、リューマチ性疾患、腎疾患などの退行性病変やガン、白血病なども若年者にまで多発している。またこのような欠乏食によって、精神的にも自己中心的人間が生まれつつある。
有名なドイツの医学者ベルツ博士は、明治初年来日して、日本の医学界に貢献されたが、博士は日本人についてよく観察し、その体力、気力の優秀さに驚嘆し世界無類とたたえた。それから60年後、メキシコオリンピックの記念事業として行われた国際体力テストでは、日本人の体力は世界最低で、男子の体力は欧米の女子並み、女子の体力は全く問題にならなかった。
最大原因の一つは、食生活の誤りによるものと考えられる。各民族は、その住む土地の気候、風土、民族の体質に応じてそれぞれ独自の最適食生活がある。日本の土地は、大部分火成岩性の酸性土壌で、鉱物質、特にカルシウムの欠乏が起こり血液は酸性化し易い。人間の先祖は長い経験と直感から、独自の食生活を持っていた。麦飯を食べ、野菜、海藻を多くとってビタミン鉱物質を補い、血液の酸性化を防ぎ、植物油にて脂肪をとり、タンパク質は、大豆製品を中心にし、少量の魚を添えていた。いろいろの欠点も、無知もあったろうが、ともかくその強い民族的生命力(気力、体力)は今日の日本人の比でなかった。
私は25年間以上患者の食生活を詳しく調査して、次のような確信を持っている。野菜特に青野菜と海藻と大豆は日本人に不可欠である。これに加えて、動物性食品としては適量の(多すぎない)魚、卵、乳および乳製品をあて、肉はごく少量にする。白砂糖はやめて黒砂糖にし、甘い菓子や人工飲料の代わりに果実や自然の飲物とすれば(ただし現在の野菜、果物は農薬汚染を、海藻類はPCB汚染について注意)、生命力は強化され病気は大変少なくなる。ただこの際注意すべきは、咀嚼(そしゃく)を十分にすることである。
東北大学の名誉教授近藤正二先生は30年にわたり日本全国の長寿村、短命村、多病村、健康村の食生活を調査されたが、大体同じご意見である。また食べるばかりでなく、その円満な消化環境のため十分な咀嚼、肉体運動、深呼吸、皮膚の鍛錬なども大切な栄養である。また食べるばかりでなく、その円満な消化環境のため十分な咀嚼、肉体運動、深呼吸、皮膚の鍛錬なども大切な栄養である。一、二、実例を記すと、昭和18年夏、私は京大無医村診療班の一員として、瀬戸内海の島を訪れた。北江口島は大きく本土との交通も盛んで、島民の食生活は白米を主食とし本土と概ね同じであった。その健康や疾患の状態、徴兵検査の合格率も本土と変わらなかった。
その隣の鷺島は小さく、本土との交通は不便で、地形上水田はなく、島民は麦や甘蔗を主食とし、野菜、海藻魚などを食としていた。島民の健康状態は大変よく、壮丁の徴兵検査の合格率は、ほとんど100%であった。他の条件は同じでも、食習慣の差でかくも健康上の差があるのに驚いた。
印象深い患者例をあげると、昭和35年の夏、五歳の男子を白血病の疑いで血液学の大家のいる病院へ入院させた。果たしてそうで、半年以内の寿命だと退院してきた。その子の食生活は、全く白米と白砂糖と肉だけであった。ダメだとは思いながら私は母親を説得して、白米、肉、白砂糖を廃止させ、米は三分づきとして、生野菜をうんと食べさせ、大豆と昆布をよくとらせた。次第に血色がよくなり、出血も止まり、半年もすると死ぬどころかすっかり回復した。血液学の大家も不思議がった。彼は、今元気な大学生である。
(以下、次号に続く)

 

 

危険な人工甘味料

 

「人工甘味料」をご存じでしょうか。
近頃、糖質ゼロ、低カロリー、ゼロカロリーなどと謳った製品が多く見られます。そういった食品には人工甘味料を使っている場合がほとんどです。また、ほぼすべてのガムやミント菓子、漬物などにも入っており、ダイエット食品に興味がなくても、知らず知らずのうちに口にしている可能性があります。
人工甘味料は、「カロリーゼロなら太らないからいいや」、「お砂糖を使ってないなら身体にいいだろう」という誤解を逆手にとり、まるで健康食品のように取り扱われていますが、実際は身体に有害な食品添加物です。「ゆっくりと人を殺す毒」と言われることもあります。
人工甘味料には様々な種類があり、日本では5種類の使用が認められています。その中で特に多く使われているのはアスパルテームです。あまり聞き覚えのない名前ですが、「パルスイート」という名前は一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。パルスイートは、某食品会社がアステルパームを主原料に作り上げた人工甘味料です。
アスパルテームは通常の砂糖の200倍程の甘みがあり、極少量でも十分な甘みが付く為、カロリーを抑える目的だけでなく、コスト面からも食品業界で重宝されています。
現在、多くの研究者がアステルパームは危険だと指摘しています。その中でも一番懸念されているのは神経毒性についてです。アステルパームの成分にはパーキンソン病に見られる脳の中枢神経を損傷する危険性や気分障害(うつ病)などの神経系の問題を起こします。虫が多いアメリカのフロリダ州では、この特性を活かし、殺虫剤として使用しています。また、生殖機能にも影響があることがわかってきました。アステルパームを投与したマウスは、水だけを与えたマウスと比べて、形が正常で直進する精子の割合が低くなったのです。妊娠中の胎児への影響も報告されています。他にも腎臓機能低下のリスクや発がん性、白血病の発症など、多数の副作用があります。
これほどに有害であるにも関わらず、使用が許可されたのは、アメリカ政府と開発メーカーの癒着によるものであったといわれています。
殺虫剤に使われる成分を健康的なものだと認識させるなど、あってはならないことです。
食品を買うときには、原材料の表示をしっかり確認しましょう。子供が大好きな駄菓子にも入っているのでご注意ください。そして、私たちが料理に使う際は、人工甘味料を避けることはもちろんのこと、白砂糖でなく、なるべく精製のされていない黒糖やきざらなど、ミネラルを多く含む甘味料を選択しましょう。
ただし、糖類の過剰摂取はやめましょう。

 

 

農場便り 10月

 

窓越しに家人と見た、夜空に咲く大輪の火の花。夏祭りから2カ月の月日が流れた。今夏、多くの出来ごとに一喜一憂し、大自然からは多くの感動をいただき、暑い夏は夜空の花火と共に去って行った。
夏の終わり、秋への門は開かれ。時折吹く風も涼しげな風へと変わって行く。水田も早生種から色付き始め、一面の真っ青からパッチワークのように水田が一枚一枚別々の色に変化してきた。この時期は夏作を反省する時期でもある。
7月初旬より収穫を開始した秋きゅうりは連日の雨で弱り思いのほか収穫量も伸びず、8月に入るとどこからともなくカメムシが飛来しきゅうりの幼果から養分を吸う。吸われた実は中が空洞化し茶色く変色、集荷の喜びを半減させる。それでも自然からは最低限の作物を提供され、何とか皆さんの食卓を飾る事が出来た。
7月は秋冬作の播種が始まる。秋冬作を真夏以前に、とはファッション界のようである。11月以降に収穫が始まる冬野菜の定番であるキャベツ・ブロッコリー・カリフラワー、この3種は、酷暑を迎える7月10日から8月10日に播種を行う。200穴トレイに小さな種を一粒ずつ落としてゆく。種が見えなくなる程度に土をかけ、その上にもみ殻を播くことで乾燥から種を守り、たっぷり水分を与える。そうすると2,3日で土の中から芽をのぞかせる。虫よけネットで作った3畳ほどのスペースに棚を作り、播種後のトレイを隅から並べてゆく。上部の黒い寒冷紗が強い太陽のエネルギーから、そして防虫ネットが外敵からの攻撃から赤ちゃんの芽を守ってくれる。
暑い時期の播種を嫌う厄介者のレタスは、25℃を超えると休眠状態に入り発芽しなくなってしまう。そこで少ない智恵を振り絞り、100%無理と言われる発芽に挑戦する。
農場の倉庫にはじゃが芋、玉ねぎ、キウイ等を年間を通して保存し、逐次出荷するための2つの大きな作物保存用の冷蔵庫がある。今現在はキウイ用が空の状態、隣の冷蔵庫の冷気により庫内は20℃に保たれ、レタスの発芽にはもってこいの温度である。さっそくトレイに播種をし庫内へ運ぶ。3日で黄色い芽が吹き、それを戸外へと移し、涼しい場所で育苗を行う。雨のため畑の準備が出来ず定植が遅れたりと、すべてが後手に回ったが、なんとか秋の光で順調に育っている。このスイッチが入っていない冷蔵庫を利用するアイディアを「天才だ!」と誰もほめてはくれないので、自身でそっとほめる事にする。
寒冷紗は、雨や曇りの日は外し、晴天の時には掛け、とせわしない作業を余儀なくされる。レタスの苗が本葉をのぞかせる頃、キャベツ・ブロッコリー・カリフラワーの苗は土を覆い隠すほどまでに成長し、次の作業工程へと進む。小さい穴のトレイから大きなポットへと一本一本植え替える。全ての作業を終えるにはたっぷり3日はかかり、通知表に6年間「落ち着きと根がない」と書かれ通した私にとって苦行のような作業が続いた。大きなポットに鉢上げされた苗は根を伸ばし、生き生きとした姿に代わってゆく。この作業と並行してキュウリやナスなどの収穫と管理作業が行われる。
ポット上げした苗は地上から50cmの台に整列させ、本葉3,4枚の中苗まで仕上げてゆく。以前は小さいままの苗を直接圃場に定植していたが、アウトローがうろつく畑では定植した翌日には苗の姿が消え「苗は何処へ?」となっていた。こうなるのは早生種であり、時期的に晩生種などは小苗でも十分育つ作付けもあるが、出来るだけ安全な場所で大きく育て定植する事をお勧めする。それでも何%かの苗は食害にあってしまう
キャベツなどの苗をポット上げする作業に時同じくして早生白菜の播種が始まる。同じく200穴トレイに一粒ずつ播種し、外敵から身を守る。安全なところで約1000本の苗を育ててゆく。白菜の成長は早いためうっかりしていると定植場の準備が遅れてしまう。勢いよく茂る夏草を絶やして2,3日で、強い夏の日射しは雑草をカラカラに乾かす。その上にたっぷりの堆肥を(キャベツ地は少なく)撒き、続いて酸性雨から作物と土を守る石灰を撒き、軽く中興しておく。
4,5日も経つと夏草の芽が切り始める。10日位で約20cmに伸びたところを見計らいトラクターでまた中耕。運転席では、小さな心の持ち主が土の中に姿を消してゆく憎き雑草の姿ににんまりとする。あと20日で白菜は畑の本起こしをし、間もなく押し寄せる台風に備えて排水を考え、出来る限り高い畝に仕立て定植をする。早生の白菜はポット上げを行い、出来るだけ大きな苗に育て上げておく。
8月中旬には大きく育ったキャベツ苗を定植、たっぷり水を与えた後定植した畝に支柱を渡し、防虫ネットで畝ごと覆ってしまう。秋冬用の作物は害虫に阻まれることが多く、そのリスクを軽減するため手間ではあるがネットを利用する。これは早生の白菜も同様である。
トラクターのスロットは全開、黒煙を上げ大地を真っ直ぐに割りながら進んで行く。上部をレーキでならし定植の準備は万端、夏の厳しい日中の日射しを避け気温が下がる夕刻より定植を行う。120cmのベッドに2条植え、40cm間隔で苗を植えてゆく。夕方とは言え気温はまだまだ高く、額から汗が流れ落ちる。腰の痛さと喉の渇きで家人が持たせてくれた水筒から冷たいお茶を一気に喉に流し込む。疲労と腰の痛さでキャベツ苗が憎らしく見えてくる。作業は畑が闇に包まれコオロギの鳴き声が聞こえるまで続く。
定植されたキャベツの苗はネットの中でスクスク育つ。ここ最近、当園でも防虫ネットを使用するようになった。以前はネットを使用しなくても少しのリスクを負えば立派な冬野菜が出来ていたが、近年は生態系の変異か早生系の作物が年を追うごとに育ちにくくなった。虫の食害がひどい年など、夕方に丹精込めて植えた苗が翌朝には3分の1になっていたこともあり早生の作物や少し時期をずらしての栽培にはこのネットが重宝される。作物の中で特に害虫に侵されやすいのが白菜である。晩生種は作り易いが、お盆頃に播種をする早生種は特に害虫のターゲットになり易い。早生の白菜はポットに植え替え半月で大きく育つ。白菜はキャベツと同様、120cmの畝に2条、35cm間隔で定植してゆく。苗は圃場へ定植後すぐにネットで覆う。苗はネットのトンネルの中でさらに大きく成長し、涼しくなる頃にネットを外し、自然の環境で結球を待つ。本年は雨が多かったので、定植後すぐに活着し日増しに大きく育っている。
早生種の次は中生、晩生と幾種類ものキャベツ・ブロッコリー・カリフラワー・白菜などが日々定植され、空いていた畑に賑やかさが戻る。9月下旬、すべての苗が畑に植え付けられた。秋冬作が支障なく育ってくれるよう願う。
9月20日玉ねぎを播種する。1週間の時間を掛け、小さな芽が頭を持ち上げた。近年、玉ねぎの球の中心部に近いところが腐る病気が発生し、北海道や淡路島などの産地は頭を抱えているそうである。当会でも一部に発生し、農業研究会に於いて本年の玉ねぎの育成について話し合った。9月初旬から大根、カブ、そして葉物などの播種に追われる。発芽と同時に雑草も芽を切る。「ヨーイドン」で生育が始まる生命力豊かな雑草には到底太刀打ちできない。そこで、私の「ゴッドハンド」で雑草から作物を守る。「今日出来ることは明日でも出来る」と言う甘い心に打ち勝ち、こまめに除草を行う。
9月26日農作業を終え道具を片付ける。外気温は下がり、心地よい風が頬を撫でる。周りはうす暗くなる。山の中からツクツクボウシのか弱い鳴き声が聞こえる。最後の力を振りしぼり、秋の空に響くセミの声、あと何日かで絶える小さな生命。夏には浮かんでくることのない寂しい思いが胸を締め付ける。農場便りの締め切りが近づく。机の上に書きかけた分はまだ20行あまり。9月28日 農作業終了後、農場の管理室で少ないボキャブラリー、教養の一片も宿らぬ頭を絞り、一字、また一字としたためてゆく。
漆黒に包まれた山の中、静けさがより秋の夜を感じさせる。全開の窓から風が吹き込み、倉庫の横に植えられた金木犀の匂いを運び込む。蛍光灯の光が窓の外のススキの穂をぼんやり映し出し、空には十六夜の月がまん丸い姿を現す。煌々と照らす月光、漆黒の闇が光によって周りの景色を映し出す。先日新聞に掲載されていた詩が思い出される。
『幸せはあまり大きくなくていい。手のひらの上に乗るぐらいでちょうどいい。落とさないようにしっかり握りしめていられるから』
山の中での作業は清らかな心を宿らせる。しかし清らかな心は、町の雑然とした空気に触れると共に消え失せ、沸々と邪心が生まれ湧き上がる。「どうか秋冬作が無事育ちますように。」

 

十六夜の月を仰ぐ農場よ