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慈光通信 第190号

2014.4.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 13

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

原生林が行う生態系輪廻

 

大自然の原始林では植物が生えて、そして草食動物がそれを食べて繁殖し、その草食動物を肉食動物がまた、それを食べる。そして落葉や動物の死骸や糞が地上へ積って好気性の堆肥になって、そしてこれが地上へ積り、また土の中へ入ったりして、植物に吸われて、また植物が生育していきます。だから何万年たっても、原始林はいくらでも大きな木がどんどん出来、大草原は何万年たっても大草原であって、そこにたくさんの動物や植物が生きているのです。

 

 

砂漠化の原因

 

ところが、この輪廻を切ると大変なことが起こります。今まで過去において、人間が作った砂漠は、家畜を飼い過ぎて草が大きくならないうちに全部食べてしまったのです。すると、ここで生態学的輪廻が切れて砂漠になったのです。ところが、今はどうなっているのか。現在、このアメリカが砂漠化してくるという、あるいは世界に砂漠が増えてくるという大きな原因は化学肥料なんです。化学肥料を撒きますと、土中のミミズが死んでしまうのをご存知でしょう。ミミズがいなくなるということは、たくさんのバクテリアもいなくなることです。ここでこの輪廻が切れるのです。そして砂漠化が起こってくるわけです。

 

 

香りのない味の悪い野菜

 

さて化学肥料を与えますと、土の中のバクテリアもカビも、ぐっと減ります。そして残るのは、あのせん虫(ネバトーザ)という害虫です。こういうような悪い土になり、植物は良い食べ物がなくて、人工的な化学薬品である硫安のチッ素だとか、過燐酸石灰の燐だとか、塩化カリウムのカリウムだとかを吸って薬品で大きくなるわけです。内容は変わっているのです。皆様が嘆かれるように、果物でも野菜でも米でも香りのない早くしぼみやすい、腐りやすい味の悪いものが出来ます。

 

 

正しい農法では虫害は5%

 

正しい好気性完熟堆肥を土に返すことによって出来る良い土で農耕が行われる時には、害虫と益虫とのバランスは、害虫が5%位食べる位しか増えないようになっています。これが人類が今まで栄えてきた原理です。もし自然状態で、害虫がどんどん増えるようだったら、とっくの昔に人間は害虫に食物を奪われて、滅んでいたはずなのです。こうして栄えてきたということは、自然の法則に従って農業をする時には、人間は95%位は自分にいただけるという事実なのです。

 

 

害虫が教えてくれる正しい農作物と正しい栽培

 

ところが、今申した化学肥料をやって出来た野菜の味がまずい、あるいは、亜硝酸を含んで発癌性のあるような、良くない農作物にどっと害虫が増えるのです。そして益虫は増えません。それで農作物がやられるのです。害虫、害虫といって皆さん嫌いますけれど、夜盗虫でも青虫でも黒い虫でも、あれは草食性昆虫です。これに対して益虫と言って、みな喜びますが、これはその草食性昆虫を食べる肉食性昆虫です。だから皆さまの嫌がる害虫もよくよく見てみると、草を食べる動物ですから優しい顔をしている。夜盗虫でも青虫でも優しい。皆様の喜ばれる益虫はトンボでも、テントウ虫でもルーペで見てごらんなさい。恐ろしい顔をしていますよ。猛獣ですからこれらは。草食性昆虫である害虫は健康に作られた、美味しくて香りが高くて栄養のあるものは決してたくさん食べないのです。これはもう理屈じゃなくて事実なのです。これなのです。害虫がわいたら、これは夜盗虫が悪い、これは青虫が悪い、これはあの黒いウジ虫が悪いとは決して言ってはいけないのであって、私達の栽培方法のどこかに誤りがあったことを、この虫たちが示してくれていると、そのように解釈するのです。どこに誤りがあったのかと考えると、きっとその誤りがわかります。
もっと極端にいえば、害虫というものは、「人間様よあんた方、こういうものを食べたら病気になりますから私が代わりに食べてあげます」と食べてくれとるんだと考えたら間違いない。例えて言いますと、キャベツを作るとしましょう。このキャベツに夜盗虫も害虫もたくさんつきます。われわれの所にもおります。けれども正しい好気性完熟堆肥で作ったキャベツには虫は全部外葉におります。決してキャベツの中には侵入しません。これに実験的にうすい硫安をかけたり、根元へ鶏糞を埋けたりしてやりますと、日ならずして、葉は真っ黒になってグワーッと大きくなります。よく堆肥が効いたと人は思うのです。ところが、虫はいっぺんにキャベツの中まで攻撃し、すべて食べてしまいます。
害虫というのは、草食性昆虫である。そうしてこれは我々の栽培の誤り、従ってその農作物の人間に対する健康保持度の低さを示してくれるインディケーターである、指標である、という風に我々は考えております。病菌もしかりです。
(以下、次号に続く)

 

 

野菜あれこれ

 

 

日増しに暖かくなり、桜のシーズンがあっという間に過ぎてしまいそうです。気温が上がると野菜は傷みやすくなり、せっかく購入したのに使い切れず腐らせてしまった、ということはありませんか。そこで、ちょっとした野菜あれこれをご紹介したいと思います。

 

◇キャベツ
キャベツは買ってきたらすぐに芯を切り抜き、そこにぬれたキッチンペーパーを詰めて冷蔵庫の野菜室に入れます。

 

◇レタス
レタスは、包丁で切らず、手でちぎるようにします。包丁の刃が当たった部分から酸化し、変色して味が落ちてしまいます。生で食べるときは氷水に浸してパリパリさを際立たせることが出来ます。浸し過ぎるとビタミンが流出してしまうので、5分以内を目安に。
生食の他に、レタスは加熱してもおいしく食べる事が出来ます。ただ、加熱しすぎると、せっかくのレタスの味わいが抜けてしまうので、ゆでる時は2分位、炒めるときはしんなりしたらを目印に。また、スープの具、チャーハンの具、中華風炒め物、お鍋の具などにも出来ます。
日持ちが悪く、鮮度が落ちると苦味が強くなるので、なるべく早く使い切ります。一度に使い切らない場合は外側から葉をはがして使います。

 

◇青菜
ほうれん草、小松菜などの葉物は湿らせた新聞紙に包み、ポリ袋に入れて冷蔵庫へ入れます。

 

◇大根
大根は冬の野菜の代表と言われますが、種類が豊富で年間を通して出回っています。今の季節の大根はみずみずしく、冬とはまた違った美味しさです。
大根は、根と葉では含まれる栄養素が異なります。根にはデンプン質の消化、吸収を助ける働きがあるので、胃がもたれた時などに食べると効果的です。葉の付け根に近い部分は、根の中で最も甘味があるので、大根おろしやサラダ、酢の物などの生食に向いています。また、ビタミンCは皮に近い部分に多く含まれるため、皮ごと使った方が効果的です。
また、葉は根の4倍以上のビタミンCを含み、根よりずっとすぐれものです。葉付きの大根を店頭で購入されても、葉をちぎって置いて行かれる方が多いのですが、栄養価の高い葉は捨てずにしっかり食べましょう。
葉はさっと茹でてみそ汁の具やごま和えにしたり、ごま油で炒めて、花かつおやちりめんじゃこを入れ、最後に醤油を回しかければ簡単でおいしい炒めものにもなります。葉つきのものは、そのままでは葉に養分が取られてしまうので、首の部分から切り離します。水分の蒸発を防ぐため、ラップで包んで野菜室へ(冬は濡らした新聞紙に包んで冷暗所で保存)。使いかけのものは切り口にもラップをします。
短冊切りや細切りにして天日でよく干せば切干大根に。

 

◇玉ねぎ
便利な常備野菜の玉ねぎの旬は春と秋。この時期に出回る新玉ねぎは、柔らかくて甘みがあります。薄くスライスして水にさらし、水を切って醤油をかけ、かつお節やクリームチーズなどと生で食べるのもおすすめですが、一押しはこの時期にだけしか作れない新玉ねぎのドレッシングです。

 

《新玉ねぎのドレッシング》

 

玉ねぎ  500g
ニンニク 1カケ
酢    250ml
サラダ油 250g
砂糖    50g
塩     20g

 

これらの材料をミキサーにかけるだけ。このドレッシングで野菜がモリモリいただけます。砂糖はお好みで加減して下さい。砂糖を多くすると冷蔵庫で半年ぐらい保存できます。
新玉ねぎは水分が多く、あまり日持ちがしないので早めに使い切ります。
保存はネット袋に入れて吊るすか、紙袋などの通気性のある袋に入れて風通しの良い場所においておきます。
ポリ袋に入れて冷蔵庫で保存するのはよくありません。玉ねぎは呼吸しているので、密閉されると湿気がこもり、芽や根がでて味や保存性が落ちてしまうからです。
薄切りにして茶色になるまでよく炒めてから冷凍保存しておけばカレーやスープに使えます。
みずみずしく、色あざやかな春野菜には、みなぎる生命力を感じます。そんな野菜を身体に取り込んで、元気に生活していきたいものです。自然の恵みに感謝しながら、無駄なく、そしておいしく頂きましょう。

 

 

 

農場便り 4月

 

春の訪れとともに雨の降る日が多くなった。土は雨にぬれる。冬、大雪に見舞われ寒さ焼けしたハコベやフグリが日ごと緑をよみがえらせ、白や青の花を咲かせる。
3月初旬、冬の寒さで地上から姿を消えていたごぼうの除草を行う。生長点の一枚だけ葉を残し、冬を越したゴボウの赤ちゃんは、昨年10月下旬に播種、翌年の夏期に収穫予定の作付けである。晩秋に播種し、芽を出すと同時期に雑草も芽を切り、顔をのぞかせ、共に成長を始める。生命力の強いゴボウは、雑草に負ける事なく成長を続けるが、12月中旬より日本列島を包み込む大陸からの寒気に冬眠に入る。その間、雑草は大陸の寒気にもお構いなく、厚かましくも成長を続ける。年内の除草を怠ると、ゴボウ畑は緑の草地へと変化するため、機械と鍬を使い年内に除草を行う。大まかな条間や通路は小型機械で、細かい所は鍬と素手で作業を進める。冬の間に取り残した雑草は温度の上昇と共に元気に成長してゆく。草の間から小さなゴボウの葉も顔をのぞかせ、春の陽を受ける。まだまだ気温は低く、周りの雑木山は冬の姿を残す中、大木に絡みつく藤のつるだけがやたら目につく。
3月に入り、晩秋に播種をしたキャベツの苗も本畑に定植をする。一本一本丁寧に根を傷めないように植えてゆく。鳥のさえずりと風の音が聞こえる中、「パキン」と乾いた音が耳に入る。気のせいかと作業を続けるが、また「パキン」と音がする。何の音かと音のする方に目をやると、複雑に絡んだ藤のつるに下がる実が音の元であることが分かる。さやがはじけ、実を遠くに飛ばす。あとに残ったさやがひらひらと空を舞い、地上へと姿を消す。長い年月、農作業をする中でこの光景を目にするのは初めてで、小さな自然の育みに小さな感動を覚える。その後、「パキン」という音は一週間ほど続いた。
3月も中旬に入ると頭の中が色々なスケジュールで湧きかえり、パニックに陥る。厳冬期、寒さを理由に「今日出来る事は明日でも出来る」と自分勝手な持論に基づき、ひと冬を越し今日に至ってしまった。冬期に済ませなければならない作業を自覚はするも「明日があるさー」春が来ても「明日があるさー」それもいよいよ切羽詰まって来た。堆肥の運搬、秋冬作の畑の片づけ、これも毎年起こる作業計画パニック。この学習能力の無さは家族も認めるウン十年来、毎年の出来事である。気持ちを入れ替え、秋きゅうりの後片付けから手をつける。畑に張り巡らしたネットを外し、一本一本支えのポールを引っこ抜いてゆく。枯れても根が強く引き抜くことのできないナスは、スコップで根を掘り起こす。後は雑草おさえにと地上に張った黒マルチをめくってゆく。これがなかなか大変な作業である。すみから少しずつ土を除き、マルチが裂けた部分に繁茂するハコベをむしりながら、中腰で半ベソをかきつつ作業を進める。片付けだけで約一週間、苦行は続く。「来年からは先手必勝」と、この時期に決意するのは何度目、何十度目のことだろう。未だ出来ずの私を叱咤するであろう、鬼嫁の顔を思い浮かべながら屈むと、邪魔になるぽっこりお腹に苛立ちを覚えながら作業を進める。
老いたトラクターが畑を耕してゆく。いたる所に錆が浮き、時の流れを感じさせ、車体の凹みも目につく。老機に鞭を打ち、大地を耕す。この時点で既に春ジャガの種イモは植えられ、土の中で芽を育む。春夏用にと畑を耕し、十分な堆肥を入れ、整地。畑の周りにはイノシシ除けのネットも忘れず張り巡らせた。昨年イノシシの猛攻を受け全滅に至ったパプリカ、本年はネットの中で大切に育てる準備を進める。苗は既に5?位にまで育つ。育苗箱は、我が家のリビングの窓際の陽が注ぐ特別席に。2月下旬より我が家の駄犬の定位置はパプリカの定位置となり鎮座する。(家人からの苦情多し)箱入り娘のパプリカも後幾日かで鉢上げし、5月中旬には畑に定植される。完熟の赤と黄、早採りの緑のパプリカ、夏に色々な調理で楽しめる野菜である。後は「イノシシが暴れないように」と手を合わせ祈るだけである。
一年の中でも春に蒔く野菜が多いのは、春が生命力に満ち溢れた季節だからなのであろうか。早春より播種を行う。春作からは直接播種をする小松菜やビタミン菜などの葉野菜は畝ごとすっぽり防虫ネットで覆ってしまう。これは温度の上昇と共に活発化する害虫から作物の身を守るためである。この作業を怠れば風通しのよい野菜になってしまうため、フル回転で作業に励む。畝を立てたさら地に10日もすれば草は芽を出す。これから10月下旬までは草との競争である。草は表土を守ろうと根を張る。人は作物を育てようと懸命に草をとる。雑草を敵視せず上手く付き合ってゆく方法を前理事長は説いていたが、まだまだ青二才の私は作物への執着が強く、生態系を跳ね飛ばす自己中心的な考えが頭の中を駆け巡る。
秋に播種し、採り残した作物が一斉に花を咲かせた。小松菜の黄色、大根の白、白菜も黄色の大きな花を咲かせ、そこにはミツバチや花アブが蜜や花粉を求め乱舞する。「ゴメン」と謝りながら次の作付けのため畑を耕す。昆虫にとっては迷惑な話である。春霞が景色をより美しく彩る季節ではあるが、PM2.5では春の季語にもならない。3月下旬、農場の周りの林にはアセビの白い花が咲く。小さい花の集まりがなんとも可愛く美しい。しかし、この馬酔木(あせび)、この名前は、馬が間違って食すれば毒にあたり、酔ったようにふらつくことから名付けられた。夕暮れうっすらと暗い景色の中にボーッと浮かぶ馬酔木は何とも美しい。華やかな桜にはない美がある雑木である。一枝いただき一輪ざしに生ける。
「春なのに」という曲が流れる。春なのにロシアはクリミア半島へ武力介入を行った。「なぜ今?」と疑いたくなる行動である。平和を叫ぶ中での珍事である。経済至上主義社会が心を蝕んでゆくのであろうか。人の心の奥深くにしみ亘る音楽の世界でも嘘を嘘で固め、名声と経済性を追い求める。生命の源である食品にも同じ魔の手は忍び寄る。大地からのいただきものも毒化し、何を求めて良いのか分からない世の中となった。漆黒の世の中に一筋の光を、と本年も力強く大地に種を蒔く。
大国のお偉方様、一度素晴らしき日本の春を目にし、山桜の木の下で杯を酌み交わされてはいかがであろうか。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
短い人生、一国の長としてもっとしなくてはならない事があるのではなかろうか。

 

日々学習の農場より