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慈光通信 第164号

2009.12.1

食物と健康と農法 3

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和53年(1978年)4月15日 くらしの研究会主催 寝屋川市で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

生命を忘れた医学

 

 

19世紀に入ってから物理学、化学が発達しました。物理学、化学をもとにした工学が発達して工業が大発展して機械文明となり、世の中が便利になった。この風潮に刺激されてあらゆる学問が全部工学的発想と工学的研究方法を知らぬ間に持つようになったのです。工学的な発想と研究方法というのはどんなことかというと、工学の対象は機械なのです。機械というのは時計なら時計をバラバラに分析したらわかり、また元にくっつけたらわかるわけです。こういう風に分析という方法があらゆる学問の中に入ってきたわけなのです。医学でも基礎は全部分析になっています。
それからもう一つ工学の方法は、簡単な条件を一定にしておいてある条件だけを動かして出てくるデータなのです。このように簡単な条件下の実験を沢山合わせていく方法があるのです。医学でも同じような方法をとっているのです。基礎医学をみてみますと、まず、解剖学で人間の身体をバラバラに解剖する。病理解剖学、これは病気を解剖すると同時に組織を解剖する。顕微鏡を利用して組織の世界にまで入っていく。それに細菌学、生理学、これも人間の生きた状態を調べるのでなく臓器生理です。各臓器について生きている状態を工学的に調べているのにすぎないのです
それから医科学、これは分子の世界まで分析を進めていった学問です。衛生学、これも、今申した学問の総合的なものであって、やはり工学的な方法でやっています。分析と単純条件による、分析の寄せ集めということで、何が抜けているかというと、生命というものがまず抜けているのです。解剖は死体の解剖です。生命という一つの事実が見落とされているのです。生命を忘れた医学なのです。工学的な医学なのです。

 

 

生態学的存在ということ

 

 

もう一つ忘れられていることは生態学的という事実なのです。これはどういうことかと申しますと、生態学という学問は今まではバラバラに学問をやってきたわけなのです。機械ですとバラバラに存在しているのですが、沢山の生命の世界を見てみますと、決してバラバラで存在していないのです。土の中にある生命体のおかげで地上の植物が育つわけです。そして地上の植物を媒介にして沢山の動物がお互いに持ちつ持たれつして生存しているのが生命の姿なんです。ただ生命というのは決して孤立していることはできないのであって、沢山の生命の連関の中でしか生きられない。私達人間もそうなので、沢山の人と人との相関関係の中で生きさせてもらっている。決してバラバラでは存在し得ない。ですから学問をする時に今までのようにバラバラにやっていてはわからないのであって、生きた状態のままでやっていく生態学という学問が出てきたわけです。
人間は生態学的な存在、即ち沢山の生命と生命との連関の中に於いてのみ存在する、という事実が抜けているわけです。生態学的存在ということは生活ということです。だから生活を離れて病気というものはないのです。病気というものは生活との関連に於いて存在するものなのです。こういうことに気づいたのです。
これは私の受け持ちの大事な一人娘のお嬢さんが、非常に恵まれたご家庭で、当時は中々手に入らないマイシンをどんどん使って、あまり早く治るので感心していたら、敗血症になって死んでしまった。そういう事実からふと気がついたのです。生命という事実、生態学的存在という事実が今の医学には忘れられている。
ですから病気というものは生活から出てくるものです。生活が正しければ病気は起こらない。火の用心がよければ火事は起こらなくて、消防車は必要がなくなるように、薬というものは生活が悪くてでてきた病気を一時的に化学反応で抑えるだけのものなのです。ところが、一時おさえに成功してもこの薬は毒物なんです。石油化学で作られた毒物なんです。やむを得ず使うわけなのです。だから生活を忘れて病気という結果だけを薬で治しているのです。
具体的にいえば、子どもが扁桃腺になる。抗生物質を与える。1回か3回で治ってしまう。ところがこの扁桃腺は悪い生活からきているのであって、生活をそのままにしておくとまた起こる。また抗生物質を与える。これを繰り返している中にどうなるか。抗生物質によって、腸の中の大事なバクテリヤが異常をおこしてしまう。もっと極端な例は人間の身体の中のバクテリヤが異常になってしまい、カビが繁殖しだして大変なことになります。それで結局薬によって生活が悪くなり余計病気が起こることになります。薬は病気を治す。けれども病人は治さない。病気の元は決して治していない。むしろ病気を治して病人をつくるというという悪い裏があるのです。勿論病気は放っておいたら死にますから、薬を与えて結構ですが、病気には必ず原因があるということを知って、その要因をよく考えねばならないのです。今の医学の欠点はそこなのです。だから薬はやむを得ず使うもの、病気というのは生活の反省のチャンスである、ということを知っていただきたいのです。
(以下、次号に続く)

 

 

正しい食生活が大切であること
〈これは、慈光会の会員さんのアレルギーが治癒したお話をお聞きし、同じような症例で困っている方のために、とお願いして書いていただいた体験談です。〉

 

 

私は小さい頃からずっと慈光会のお野菜や食品を頂いています。
大学を機に実家を離れ、一人暮らしをすることになったのですが、実家から送ってもらう食べ物では足りなかったり、友人と外食する機会が増えたことで、市販の食品も食べるようになりました。そしてどんどん体調が変わっていきました。
まず、風邪をひきやすくなりました。今までは年に一度、熱が出ることがあるかないか、という程度でしたが、年に5回以上、季節に関係なく熱が出るようになりました。また、一度ひいた風邪はなかなか治らず、ひどい咳が2週間近く続くことも度々ありました。
次に、食物アレルギーがひどくなりました。主に果物に対してのアレルギーです。
最初は桃でした。大好物だったのですが、ある時、食べてしばらくすると喉と唇が痛痒くなり、呼吸するのがつらくなる位に腫れてしまったのです。でもその時は食物アレルギーだという自覚もなく、ただの体調不良だと思っていました。しかしその後も食べる度に発症し、6年の間にキウイ、梨、りんご・・・次々に食べられなくなりました。一番ショックだったのが、豆乳を飲んでもアレルギーが出たことです。
毎日たくさん食べ、規則正しい生活はしていたにも関わらず、実家に戻る度に「顔が青白い」と言われ、顔に出来たニキビも「思春期過ぎればただの吹き出物」と注意されました。
この春から実家に戻ることになり、再び慈光会のものを頂くようになってから、この症状はどんどん改善されました。まず、この半年間一度も風邪をひいていません。そして、どんどんひどくなっていった食物アレルギーは完全に無くなりました。顔色もよくなって、肌の調子がよくなり、久しぶりに会う友人には「すごく肌の調子がいいね!どうしたの?」と驚かれます。
特別な事をしたわけではありません。食事は家族と同じものを(肉は少なく野菜がとても多い)、ケールがある時は青汁にして頂いています。ただそれだけなのに、自分の体調がどんどんよくなることに驚いています。というよりも、それまでの体調不良を考えると怖くなってしまいました。
でも本当に怖いと思うのが、それが普通だと思ってしまうこと。食品添加物、農薬がどれ程体に悪いかということが、それらを多く摂取する人ほど自分ではわからないということです。体調不良が続けばそれが当たり前になります。逆に大病さえしなければ自分は健康だと思ってさえいます。私がまさにそうでした。「食べる事」を気遣うのも大切ですが、「食べる物」を選ぶことが最も大切だと気付いたのです。
以前、知人に私が食べ物を変えてアレルギーが改善された話をしていた時、「もちろん無農薬の野菜や無添加の食品を食べることが体にいいことだ、とはわかるけれど、元々添加物食品を食べ慣れている私たちは、そのように添加物で体調が悪くなったと感じることがない。それなら、添加物食品を食べ慣れている私たちは、食べ慣れていない人に比べて、添加物に対しての耐性がついていて、強い体になっているのではないだろうか?」と言われた事があります。その時は「うーん・・・そうなのかなあ・・・」と考えてしまい、きちんと自分の意見を言えなかったのですが、その後、別の知人と話した時、「あ、そうか」と自分なりに考え付いたことがあります。
その知人とは私の先輩なのですが、最近赤ちゃんが生まれ、現在授乳中です。病院の先生にも控えるようにと注意されてはいたらしいのですが、どうしても甘いものが食べたくなり、ケーキやチョコレートをたくさん食べてしまったそうです。そのせいでおっぱいを飲んだ赤ちゃんの肌に湿疹が出来てしまい、「可哀想なことをしてしまった」と、とても後悔していました。
「そうなんだ、それなんだ」と思いました。私は元々強い体質ではなかったので、今回のように、食べ物に体調が左右されました。でも、同じように食べていても特に何の変化もない人もたくさんいます。しかし、例え自分に影響がなくても、自分が摂った添加物や農薬が原因で、次代に続く子供や孫の健康を害してしまい、難病・奇病が増えていくとしたら、それは本当に恐ろしいことだと思います。
今回この体験談のお話を頂き、私には豊富な知識もなく、難しいことも全然わかりませんが、それでも実体験を通して感じたこと、学んだことを少しでも多くの人に伝えることができれば、と思い、書かせていただきました。
本当に安全な食品がすぐ手に入るような世の中になればと、切に願っています。

 

 

 

農場便り 12月

 

師走の雨が、枝に残るわずかな葉をたたく。耐えきれず枝を離れた葉は無情にも地上へと舞い落ちて行く。盛夏には雑木につるを巻きつけ地上高くまで伸びた自然薯(山芋)の葉も深い緑から明るい黄色へ、そして茶色に変わり、たくさんついていた「むかご」もいつの間にか落ちてしまった。静寂に包まれた山中に雨音だけが聞こえる。
残りのページも少なくなった農場日誌、年と共に足早に過ぎ去る月日を顧みる。毎年、新年早々にあれこれと思いを巡らせ、一年の計画を立て、同時に昨年を振り返る。
春の訪れが気忙しく農場を駆り立て、夏の異常な暑さにげんなりし、畑で涼しい秋風に吹かれた時に幸せを感じ、秋の紅葉を目にする頃には残された月日に何かをしなくてはとの焦りの心が生まれるも、吹く北風とともに前向きな心はどこかへ飛んで行く。後は虚しさと寂しさと後悔だけが残り、心の中にぽっかり空いた穴を吹きぬけていく。凡人中の凡人であるが故に時に慰められ、癒され、そしてすぐに忘れる。
これから年末にかけ、収穫や来年用の野菜の管理に精を出す。冬野菜は寒さに刺激され益々美味になっていく。これからの北風に震える冬、冬野菜を使った料理で心まで温まっていただきたい。大根のみそ田楽、里芋の煮物、菜っ葉の煮びたし、そして冬の王道の鍋料理で普段苦虫をかみつぶしたような顔のご主人も思わず目じりが下がること間違いなしである。
この一年を振り返ると特に気になったのは天候であった。春先には安定していた天候も梅雨時より牙をむき、一時に大量の雨が局地的に降り多大な災害をもたらした。農場では、きれいに整地をして播種をした畑が大粒の雨に叩かれ、一晩で表土と共に流されてしまった。生育中の葉物は弱り、その後害虫の食害を受けることとなった。盛夏に入りお盆頃より空を度々襲っていた雨雲の姿は消え、代わりに晴天が毎日続く。畑の土は日増しに乾いてゆき、作物は元気を失ってゆく。水やりのためのホースの引き回しに精を出し、作物を乾燥から守る日が9月中続く。その甲斐があり、小松菜と大根を夏野菜と並行して収穫することが出来、その後には8月下旬に畑に定植した白菜苗が暑さと干ばつにも負けることなく育ち、10月下旬に収穫が始まる。
10月下旬、農場の近くにてシカを発見。向こうもこちらに気付き、慌ててやぶの中に逃げ込んでゆく。食べ物を求め山深くより出てきたのであろうか。11月2日、本年度初の木枯らしが吹く。山は一気に色づき始め、周りの柿山が珍しく真っ赤に紅葉する。この時季になると寒さに害虫は震え食害は治まってくる。木枯し1号が寒さを呼び、日増しに朝夕の冷え込みは厳しくなっていく。この寒さが一年を通じ食するネギのポテンシャルを最大限に引き上げる。
今回は、冬の食卓から外すことのできないネギを紹介させていただく。
ネギはユリ科 ネギ属 原産は中央アジア 中国西部 パミール高原で日本には中国や韓国を経由して入り、奈良時代にはもう食されていた。中国にも葉ネギ、白ネギの両種がある。種類は、主に東日本で利用される千住ネギ(根深ネギ)、群馬特産の加賀太ネギの改良種である下仁田ネギ、西日本でよく利用される青ネギの代表 九条太ネギなど、各地でたくさんのネギが栽培され1年を通じて食卓に上る。
ネギは、土中の湿度過多に弱く酸性土を嫌う。栽培法は、たっぷりの堆肥を入れて土を作り、畝幅90?にて2条植えとする。定植時の苗は、20?25?、葉が3?4枚になった小苗を1.5?20?間隔に数本ずつ植える。定植後は乾燥から苗を守り逐次追肥を行う。完熟堆肥を大量に使用することで当会のネギは一段と甘さを増す。他の野菜も同様であるが、一般に市販されているネギには、殺虫・殺菌剤が多量に使用されており、そのほとんどが化学肥料による栽培である。くれぐれもご注意いただきたい。
ネギに含まれる特有の成分ネギオールには殺菌、抗ウイルス作用があり、風邪をひくとネギ湯を飲んで体を温める民間療法は、理にかなっていると言える。香り成分の硫化アリルの一種アリシンは、ビタミンB1の吸引を高め疲労回復に有効で解毒作用があり、血液をさらさらにし、血糖値を下げる力を持っている。また胃を刺激し消化液の分泌を活発にし、生で利用すると発汗作用とともにストレス解消や肩こり、冷え性にも効果がある。ビタミンA・Cやカルシウム、β?カロチンも豊富に含まれてるが、白ネギよりも青ネギの方がより栄養価は高いとされている。今流行りのインフルエンザもネギパワーで撃退・・としたいものである。
茜色に染まったちぎれ雲が足早に流れていく。時間の経過と共に西の空に鉛色の雲がわき上がり、やがて美しく染まった夕空を覆い隠し、闇がすべての風景を飲み込んでしまう。北風は冷たく、野菜を洗う手がかじかむ。夏季には忌々しく思った灼熱の太陽もこの季節には逆に恋しくなる。サザンカの花が咲く。たくさん付いたつぼみは、時今かと咲く順を待ち、すでに咲き終えた花は、道路上へと落ちこぼれ、色とりどりの花びらは黒色のアスファルトの上で美しく輝き、最後の花を咲かせる。
経済は大きな局面を迎えた。美酒を浴びたこの何十年かのツケは、一気に全世界に襲いかかり、弱小国を貧困の世界へと引きずり込んでいく。
ギリシャの大哲学者ソクラテスは、いたって質素な生活をしていた。広場で寝泊りしていたソクラテスに、大王より使者が送られ、「いかなる希望をも与える。申し上げよ。」と伝えた。ソクラテスの望みは、「今、私の前に立つあなたが、暖かい朝日を遮っている。望みを聞いていただけるのなら、そこをお退きいただきたい。」人は、極めれば物質への欲望は消え去るのであろうか。欲望のみによる世の中の戦争と飢餓は絶えることはない。「哲学とは人々を幸せに導く教えである。」とソクラテスは綴っている。
この1年、皆様の食からの健康を願い農業に従事して参りました。一握りの幸せに感動を覚え、一人でも多くの人に喜んでいただけるよう来る年も全力で土を耕して参ります。どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

 

枯れすすきにカマキリの卵がゆれる農場より