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慈光通信 第192号

2014.8.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 15

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

完全無農薬有機農法の原型と可能性

 

 

だから、どうしても私たちは正しく生態学的輪廻の法則を守って、そして害虫と益虫の良いバランスの中で農業をやっていく。そうすれば、非常に健康に良い、美味しいものがいつまでもいただけるという、これが完全無農薬有機農法の可能性であり、原理です。
個々の作物について堆肥の量は、たくさんやらなければいけないような白菜やナス、キュウリのようなものもあれば、そうたくさんやらなくても出来るキャベツのようなものなど、いろいろあります。それぞれにテクニックはいりますが、原理は一つであります。これをご理解いただきたい。
有機農法で注意しなければならない事は、今ひとつ、ミネラル(鉱物質)の欠乏を起こさないようにする事です。日本の土は酸性でミネラルの少ない土だということを申しましたが、この害がどうしても出てきます。そこで堆肥材料に雑草を使うとか、あるいは客土(山の土)を持ってきて入れたりする。これが大変ならば、製品として水成岩の粉を売ってますから、そういうものを私たちは使います。あるいは、海藻を肥料や葉面散布用に使ったり、苦土石灰やヨウリンを使ったりして、土からミネラルがなくならないよう気をつけるのです。

 

 

ナスの栽培

 

それから適地適作の問題、播種期の適正、こういった事は大事な事です。例えばナスですね。7月の暑い時になるとダニがついたり、テントウ虫だましが付いてナスの無農薬は絶対できないということを人々はおっしゃおっしゃいますが、私たちの農場ではもう完全に無農薬で見事なナスが出来ます。しかも柔らかくて極めておいしいのです。本当に美味しくってびっくりするようなナスやキュウリができるのです。これはなぜか?と言いますと、ナスは肥料が切れたら、テントウ虫だましやダニが出るわけです。だからナスは肥料をたくさんやらなければいけない。
水が切れても肥料が切れたと同じ結果になりますから、水を切らさない。こんな風に作物によってそれぞれの注意は必要です。

 

 

レタスの栽培実験

 

けれども、この生態学的輪廻の法則、すなわち、好気性完熟堆肥の法則だけは絶対に破っては駄目です。一例を申しあげますと、去年の五月に山の農場は涼しいものですから、皆さんに夏のレタスを食べてもらおうと思ってレタスを作ったのです。ついでに同じ農場の中で、ハコベがいっぱい生えている所をそのまま、ロータリーをかけて耕して畝を立てて。要するに生のハコベを土の中につっ込んだわけです。青草をつっ込んだらどうなるか、という実験なんです。同じ苗のうち、200本だけをそちらへ植えました。そして、他の場所は好気性の完熟堆肥をちゃんと入れて正規に植えたのです。この方のレタスは見事に大きくなりまして、キャベツのような大きさになって大変、消費者の方に喜ばれたのです。ところが、ハコベをたくさんつっ込んだ土に植えた方は、初めはぐんぐん大きくなりましたが、しばらくすると、何とも言えない気持ち悪いウジ虫がたくさんわきまして、全滅してしまいました。

 

 

キャベツ 白菜が作りにくい訳

 

私、方々へ行きますと至る所で「キャベツや白菜は作りにくい、虫がわいてだめだ」とおっしゃいます。そういう方を調べてみると皆、堆肥が生です。堆肥が生過ぎます。堆肥作りに三カ月位しか時間をかけていない。だいたい少なくとも一年かけなければ駄目なんです。そして10回位切り返すのです。

 

 

良い堆肥の作り方と施し方

 

私たちは一年以上前にちゃんと積んでおいた堆肥を今使っているわけです。そして次に使う堆肥を今積んでおきます。一年、一年先々にやっていたらいいわけです。それから、いろいろな方法を使って、好気性の堆肥にしなければいけません。
例えば、ドロドロの牛の糞を積んでおきますと、一年たっても表面は堆肥化しても、中は空気が通らないのですから、生のままです。空気を通す工夫をしなければなりません。
私の直営農場では、大量の堆肥が要りますから、オガクズの入った牛の生糞をトラクターのバケットですくい上げて、ダンプへ放り込みます。ダンプは少し走って行ってザーッとあけます。そうすると切り返しになります。こんな方法を考えてやっております。
また動かすのが嫌だったらエアコンプレッサーの古いのを持ってきて、時々空気をつっ込んでやるのも一つの方法だと思います。要するに、好気性に完熟した堆肥じゃないとだめだということを知って下さい。例えば、11月の初めに土の上へ、ずっといろんな有機物を放っておきますと、もう次の年の3月には堆肥化してしまっておりますから、そのまま耕していけるわけです。こういう方法もあるわけです。
好気性完熟堆肥は、他の石灰やミネラルなどと共に一年に1回、11月から2月の末までに施して下さい。(八月には施さないでください。これは9月の害虫の大発生を防ぐためです)。その他は追肥を地上に施します(主として油カス)。

 

 

トマトの栽培法

 

トマトを梅雨時に実らせようとすると、炭素病になったり、青枯れしたりして失敗してしまいます。以前、私の方でもいろいろとやったけれども、失敗したのです。よく調べてみたら、分かったのです。適地適作という事があります。トマトは乾燥地帯の植物だったのです。それを早くから苗を仕立てて、そして梅雨に実らせるというようなことをすることは、有機農業に反していたわけです。
そこで、乾燥地帯を作ってやればいいわけですから、上へビニールの屋根を作りまして、これはイチゴを作った後のビニールを上だけ残しておくのですが、その下へトマトを作りますと大丈夫で、完全無農薬で出来ます。
あるいは、4月の末に種を蒔きまして、そして出てきた苗は、梅雨期はまだ子供です。そして抑制栽培みたいな形になって、梅雨がすんでから実り出しますから、これで露地栽培はできます。
病気になったり虫がついたりした時には、病菌が悪いのでなければ、虫が悪いのでもない。何かわれわれの栽培方法に欠点があるんだ。この事を考えて、研究していっていただいたならば、必ず成功します。
(以下、次号に続く)

 

 

それ、産地はどこですか?
先日、中国で鶏肉の賞味期限偽装事件が起こり、大問題となりました。
しかし、恐ろしい事件が次々と起こる中、偽装が露呈してから数週間で、すでに人々の関心は薄れつつあります。
今、食の安全が叫ばれる中で、食料品を買う時に産地や原材料を見て選ぶ人は多くなってきました。しかし、外食する時も同じように気をつけられているでしょうか。私たちはレストランやフードコート、ファストフード店で食事をする時、使用されている材料の産地を知らずに食べることがほとんどです。従業員でさえ、知らずに提供しています。そしてそれら材料のほとんどは海外から輸入されているのです。
下の表は、日本の有名なファストフード店、コンビニエンスストアで販売されている鶏肉の産地をまとめたものです。

 

 

表のように、国産の鶏肉はほんの一部しか使用されていません。これは一見、食糧自給率の低い日本は海外の原料に頼らざるを得ない、という現状を表しているようですが、それだけではありません。
まず、食の安全において、「産地を見て選ぶ人が多くなってきている」と前述しましたが、関心を持つ人、持たない人、この消費者間の意識の差がとても大きくなっており、残念ながらあまり関心を持たない人が大多数です。そして、そのような人達にとって、一番大切なのは「安さ」です。この5円でも10円でも安い方がいい、という消費者のニーズに応えるため、業者は少しでも安く原料を仕入れられる所をと世界中を探し、その結果、生産加工流通がグローバル化していったという現実もあります。
2011年にアメリカでヒットした「フード・インク」という映画で、大量の鶏を飼育される様子が映されました。生産者は早く出荷するために、鶏に大量の餌と薬を与え、通常の2倍もの早さで大きくします。そのようなあまりにも早い成長スピードに、内臓や骨が追いつかず、数歩歩いただけで骨折してしまうという、ショッキングな内容でした。これはアメリカだけではありません。今回は腐りかけの肉を混ぜたり、極めて不衛生な管理状態が暴かれましたが、昨年は、同じように中国でも鶏肉の飼育時におけるホルモン剤や抗生物質の過剰投与が報じられました。出荷前に死んだ鶏に止まったハエが毒死するという、恐ろしい事実もあります。鶏は体内の抗生物質の残留を防ぐため、出荷7日前から薬の投与を規制されていましたが、実際にそれを守ると、生命力の落ちた薬漬けの鶏はすぐに死んでしまうため、出荷直前まで投与されていたのです。
食の安全を守るのは企業ではなく、私たちの意識です。今回の事件の一番の加害者は偽装した食品メーカーです。しかし、消費者が安さを追求した結果、安全性が失われてしまっているということも自覚しなければいけません。「安ければ安いほどいい」のではなく、多少高くてもここは安全で信用出来る、だから少し高くてもそちらで買うという意識や習慣が私たちの中に根付かないと、今後ますますこのような問題は増えていくでしょう。

 

 

農場便り 8月

 

二十四節季の一つ、大暑を迎えた。水田では土用干しが始まる。満々にためていた水を抜き、4、5日で地表がひび割れを起こすまで乾燥させる。土中に発生した悪性のガスが抜け、稲の根は水分を求めて大地深く根を張る。土用干しを行うことにより、肥料の吸収がよくなり、稲作後半の健康な成長を促す。しかし、水を落とされ迷惑をこうむるのが水生昆虫や小動物たちである。田んぼの中を自由に動き回っていた水生昆虫は、くぼみに残った僅かな水の中で苦しそうにもがき、その後、砂漠に迷い込んだ旅人のように死んでしまう。アマガエルの小さな子供たちは、いち早く稲やあぜ草に身を寄せ強い日射しから身を守る。近年、トノサマガエルが激減していると耳にした。もちろん農薬などの影響もあるが、稲作作業の早期化が原因の一つだそうである。オタマジャクシの時の水管理に問題があり、人為的なことのようである。人類が生きてゆくために必要なことではあるが、稲作だけに限らず、農業全体が小動物などの生物の犠牲の上に成り立っていることを考え、せめてお米や作物を口にするとき、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものである。カエルの話の続きに農場の珍しいカエルをご紹介しよう。
アマガエルの一種、モリアオガエルである。農場には100トンの水を貯める水槽がある。水槽の周りには、クヌギなどの雑木が生い茂り、水槽の上にも枝を伸ばす。気温と共に湿度も上昇する6月、その小枝に泡の塊が現れる。うす黄土色の泡の正体は、モリアオガエルが300から500個の小さな卵を中に産みつけた産卵用のハウスである。大きな泡の塊はソフトボール大となり、揺れる枝の先で日を過ごす。泡の中で育った赤ちゃんは、一定の大きさになると自ら池の中へと落ちて行き、その後、池の中で大きく育ってゆく。それならば初めから池の中に産卵すれば、と安易に考えてしまう私である。
酷暑の農場に目をやる。真夏の野菜は果菜が中心となるが、その中に葉物を、と真夏のレタスやキャベツ、小松菜の栽培実験をここ数年繰り返してきた。キャベツは最終7月末まで収穫をすることができるようになった。しかし、レタスとなると、近年増してひどくなった暑さでは一言で「無理」となってしまい、葉レタスの代わりにサンチュを栽培する。サンチュは葉レタスと味では遜色なく、緑の濃い葉はサラダボールの中で他の夏野菜と相まって色美しく涼を感じさせる。しかしながら暑さに強いサンチュも7月下旬頃までが生育の限界温度、日照時間も手伝い、つぼみを持ち終わりを迎えた。
次に小松菜栽培を紹介させていただく。小松菜の生育の適温は20から25度で低温を好む野菜である。夏季に於ける小松菜栽培は、近年はハウス雨除け栽培や冷涼な高原、東北や北海道で盛んに栽培が行われている。その小松菜を我が慈光農園の気温37度の中で栽培を試みる。
ある大きさまで苗で育て、圃場に定植するキャベツとは異なり、直接畑に播種をする小松菜は、芽をのぞかせると同時に害虫の餌食となるケースが多い。また、潅水をすることにより雑草の猛攻など、今日まで数年これらの敵と一戦も二戦も交えてきたが、見事落城に至った。根本的な面からの反省を踏まえ、計画を練り直す。まずは播種地の立地条件、梅雨後半に降るドカ雨から根を守るため高畝に、そして空気の通りを良くするため1mの細い畝幅とする。まずは水はけを考慮した環境を作る。次に肥料、大飯喰らいの私ゆえ、他の生物にも少々肥料やエサを与え過ぎる傾向がある。我が家の駄犬などコロコロに肥え、一日中冷たい石板の上でゴロ寝する。以前飼育していた錦鯉や金魚(ランチュウ)も他人の目には化けものに写ったらしい・・・。話を元に戻す。そこで小松菜栽培に使用する堆肥は一年半かけて完熟させたビンテージ物を使用する。有機栽培に於いて最も病虫害を誘発するアンモニア系チッ素をバクテリアの力で分解したものである。高温であればある程気をつけなければいけない。キャベツなどの結球野菜も春から初夏、初夏から夏になるほど大玉を目指さず、コンパクトでカッチリした球を作ることで腐敗する病気や害虫から身を守る事ができる。元肥は多少少なめに、追肥も少量を数回に分け、決して未熟有機物を土中に入れない事を守る。他に、石灰を普段より多めに入れ、1mの畝に4条の播種を行う。水分をたっぷり与え、今までは発芽を待って防虫ネットを被せたが、今回は播種と同時にネットを畝全体を覆うようにかけ、発芽すぐに付く害虫から芽を守る。毎日、灌水と芽を切った雑草の管理が続く。高温に見舞われ、所々歯抜けになるも、7月、20?位まで成長する。しかし、ネットを掛けてもどこから入るのか、所々葉には窓があく。雨除けなしでの小松菜栽培、無理を承知での栽培は高温障害での飛び苗以外は順調に育った。後は味、この時期の葉は固く苦いのが常、2、3本持ち帰り茹でてみる。思いの外苦味はなく、味は良い。若干の固さは致し方ない。ビンテージ堆肥での栽培はまずまず良い結果となった。毎年一年生と言われる農業に本年は良くても来年の保証はない。本年の栽培法をベースとしてその年々アレンジしながら小松菜栽培を行う。
まもなくお盆を迎える。年々お盆のあるべき姿を忘れ、ただただ列島は快楽に酔いしれる。先日目にした文の中「最小の労力を持って最大の欲望を満たす事が人間の経済行為の基礎原理である」と記されている。これらの文は国富論の著者、経済学の父、アダムスミスの言葉である。「楽して富を」一昔前の我が国では軽蔑された言葉であった。労を美徳とし、自らの為だけであらずという東洋思想とは真逆である。しかし、わが国も経済第一主義を唱え、金のためなら平和も捨て武器をも他国に売る。そのように様変わりをし欲望を求めた結果、社会は複雑化し、国々に飢えと飢餓を作りだした。「労働者諸君、いいか、人間額に汗して油にまみれて地道に暮らさなきゃいけねえんだ」私の好きな寅さんの名言である。アダムスミスさん、額に汗する尊い労働者の姿はあなたの目にはどう映っていたのであろうか。
4000発の花火が五條の夜空に美しく開く。燈篭がゆっくりと川面を滑るように幻想的な光を放ちながら流れて行く。亡き人を想い、日々の感謝と鎮魂、そして願いを込めて夜空に光の花が咲く。最後の大花が開き、そして漆黒の闇へと消えて行く。目で得た感動と共に訳もなく寂しさと切なさが心の中に込み上げてくる。寂しさと切なさ、それに加えて落胆は美しい夏の夜の翌朝にやって来た。早朝、農場への道すがら、花火大会の会場の脇を通る。人で埋め尽くされた昨夜とは違い、人一人いない静かな会場、そこにはすざまじい量のゴミが捨てられ、ゴミ大国日本をそのまま目にする。日本人のマナーはここまで落ちてしまったのか、と寂しさを覚える。咲いたゴミの花は係員によって片付けられ、「自分さえよければ」の考えが地域を壊し国をも滅ぼす。怒りよりも悲しみに包まれる。寂しさの中、フォーレ「夢のあとに」のチェロの低い音色が心の中に鳴り響く。

 

 

やせがえる まけるな メタボここにあり の農場より