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慈光通信 第231号

2021.2.1

食物と健康 12

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

3、食物と健康

 

第2 毒物について

 

農薬の害について

 

先程来、お話してきましたように、近代農法による農業は、必要な栄養を欠くものであるばかりでなく、さらに有害食品を作っているということになります。この農薬の毒性について基礎的なことを申し上げます。

農薬の種類には、天然の農薬と人工の農薬とがあります。天然の農薬というのは除虫菊やデリスです。これはほとんど農薬禍という問題を起こしません。だから、もし将来どうしても農薬を必要とするというのなら、こういった除虫菊やデリスの研究を、大いに進めていくべきだと考えています。木綿を土の中に突っ込んでおきますと、一年経ったら消えてなくなっています。しかしナイロンを土の中に突っ込んでおいても、いつまで経っても消えません。同様に、除虫菊やデリスは土に落ちると腐って肥料になりますが、人工の農薬は土中に入ってもなかなか消えないものが多いのです。
現在使われている農薬は、有機燐剤、有機塩素剤、有機フッソ剤、有機水銀剤、砒酸鉛等、その他皆さんご存じの通りであります。
それから農薬には、家庭用の農薬と農業用の農薬とがあります。家庭用の農薬について、一つご注意願いたいことは、最近の家庭用の蚊取り線香です。私のところに来られる患者さんに、夜、蚊帳をつらずに閉めきって、蚊取り線香で寝る方があって、原因不明の苦痛を訴えて来られます。
ご存知のように、現在の蚊取り線香は昔のように除虫菊だけではありませので、そこに色々と低毒性の農薬を入れてあるわけです。蚊取り線香というものは、閉め切った部屋の中で使ってはならない、
ということにご注意願いたい。またアースとかフマキラーとかいう、色々な家庭用殺虫噴霧剤があり、また天井から吊るす殺虫剤がありますが、こういうものは、低毒性ではあっても、決して無毒ではないのです。十分な注意を要します。なるべく使わないことです。人畜無害と言いますが、金魚とか小鳥にかかると死んでしまいますから、決して無害ではないのです。私は、やはり蚊は蚊帳を吊って避けなければいけない、と患者さんにいつも申し上げているのです。
つぎに農薬の性質ですが、農薬が植物にかかりますと、浸透性といいまして、単に植物の表面に留まるばかりでなくて、植物体内に浸透していく性質をもっているのです。現在使われている人工農薬のほとんど全部が、浸透性のものです。浸透するだけではなくて、一定時間、その植物体内に残留するのです。その期間のことを残効期間と申しますが、この期間中の農作物は、単なる農作物ではなくて、人口毒農作物なのです。単なるキャベツではなくて人工毒キャベツなのです。残効期間の短いもので数日、長いもので数カ月にわたるのです。
それから、土地の中における残留です。先ほど申しましたように、人工の農薬は土の中に、長いものでは、DDTの如きは平均10年、長い時には50年も残ると言われています。BHCは、3年経ってから土中三〇センチメートルのところを調べてみると、撒いたBHCの一五パーセントがそのまま残っていた、という報告があります。
このように人工農薬は、土の中に残留する性質をもっています。特に塩素系のDDT、BHC、ドリン系が長いのです。
それから、人体にはどう入るのであろうか。人間の体へは、まず口から食物と一緒に入る。そして消化器系統から吸収される。もう一つは呼吸から入っていく。またもう一つは皮膚から入っていくのです。だから農薬散布の時には、皮膚に農薬が付かないように、非常な注意を払わなければならないのです。
以上のような性質をもっているのが、人工農薬なのです。

以下、次号に続く

ヘアカラーの毒性
ヘアカラーをしている女性は全体の60%以上いると言われています。女性だけではなく、今は男性も染めている人が多いので、ヘアカラー率はとても高くなっています。おしゃれのために老若男女誰でも抵抗なく髪を染める時代です。挙句の果てには小児やペットまで染色してしまう人もいます。今やパーマよりヘアカラーの需要のほうが高いといわれています。
しかし、そのヘアカラーには危険な化学成分もたくさん含まれているのです。特にヘアカラー剤のパラフェニレンジアミン(PPD 以下略)という成分が使用されることが多く問題視されています。
PPDとは、ヘアカラーの薬剤を塗布後、黒く発色させるための成分で、血液中のヘモグロビンを「メトヘモグロビン」に換える働きを持っています。メトヘモグロビンはいわば運動能力を失ったヘモグロビンで、
この血中濃度が高まると、血尿などの症状が現れます。腎臓病や血液疾患のある人が白髪染めの使用を禁じられているのはそのためです。また、この成分は重度のアレルギー反応であるアナフィラキシーショックを引き起こす原因となるだけではなく、強い発ガン性が認められ、骨髄などに深刻な障害を与えることが明らかになっています。ジアミン系の薬剤は、1991年にフィンランドで使用が禁止されたのを皮切りに、世界各国で使用禁止の流れが広がりました。ところが日本ではいまだにPPDやアミノフェノール、レゾルシン、過酸化水素等々といった農薬の約140倍もの毒性を持つと言われる体に有害な成分が白髪染めに使われているのです。そのような危険な毒性の強い成分は、今はその影響が表面化していなくても、この先ずっと使い続けていく中で健康に重大な影響を及ぼします。
また、薬剤を浸透させて髪の内側から染色するヘアカラーとは異なり、ヘアマニキュアは毛髪の表面に着色するので安心だと思いがちですが、石油原料から成るタール色素は発ガン性や皮膚病、アレルギーなども指摘され、やはり多くの国々で使用を禁止されています。
大人の場合は、染毛を繰り返すたびにアレルギー反応が強くなり、ある時突然症状が始まることがありますが、小児の場合は化学的な激しい刺激によって初めてでも鼻が詰まり、のどがはれたり、呼吸困難を起こしたりする可能性があるので特に危険です。
止むを得ず、染めなければならない時には、植物性のものを使用して健康に害のないものを選ぶことをおすすめします。ある程度年齢を重ねると白髪も少しずつ増えてきますが、今はきれいな白髪でお洒落をした素敵な人もたくさんいらっしゃいます。それもまた良い歳の取り方ではないでしょうか。

 

農場便り 2月

最後の梵鐘の音が静かに消えてゆく。本堂に手を合わせ菩提寺を後にする。
大晦日、家では家人が漆塗りの黒いお重に祝いの料理を盛り付けてゆく。美しく盛られた大皿やお重は天然の冷蔵庫となる倉庫へと移され、元旦の朝を待つ。盛り付けの様子を横で見ていた口卑しい親父は、そっと手を伸ばして口へと運ぶ。と同時に娘のセンサーがそれを察知し、本年最後のお叱りを受ける。親父は元旦の野鳥のおせち用にとみかんやリンゴ、柔らかくなった柿の実を木の枝に結わえ、これをもって仕事納めとなった。もう既に年は越し、また新しい年の時が刻まれてゆく。
自室に戻り昨年を振り返る。まず最初に頭に浮かぶのは、やはりコロナ騒動。当初は国民が一丸となってコロナに立ち向かうかのように見えたが、時間と共に自分の主張が強くなり、今や社会をコントロールする事が不可能となりつつある。自由主義と
は、本来決まり事の中において自由に発言や行動をし、より良い世界を作ろうと進むはずであるのだが、一部の人間は何を勘違いしたのかすべてを好き勝手に、そしてとどのつまり最後は何とかせよと国家や社会に無茶ぶり。自由主義のあり方の難しさを感じた一年であり、現代人の軽率な姿を目にすることとなった。
社会派ではなく、野生派の私にとって農場では色々な出来事があった。毎年のことではあるが、三が日は美酒、美食に明け暮れ、好きなことだけに時間を浪費した。3日、朝から明日にしようか、今日やるべきかと頭を悩ませるのが、寒空の下で農場に置き去りにされているキャベツ、ネギ、パセリなどの小さな苗の管理である。「31日にたっぷり与えた水分もそろそろ切れ始める頃か、いや計算ではあと一日は大丈夫か」とベッドの中で迷うこと一時間。その結果、早々に仕事着に着替えトラックに乗り初仕事、苗に水をたっぷり与える。
早朝より悩める親父にはもう一つの悩みがあった。いつも部屋の特等席で寝そべる
我が家の愛犬「はな」、元来彼女はあまり散歩を好まず、散歩に出てもすぐ家に帰ろうと駄々をこねる。時には、散歩中ストライキをして歩かなくなった14Kgの彼女を抱っこして家に帰る家人を目にしたこともある。
暮れの31日の夕方、そんな彼女が積極的に歩き、散歩から帰ってきても家に入らず、警戒心を露わにし、我が家の家庭菜園へと短い足を進めた。何事かとその後をついて行くと、そこには害獣用トラップが置かれ、中には大きなイタチがかかっている。はなはイタチに興味を示し、そこから離れようとしない。他の畑で悪行をはたらいたため、通り道になっている我が家の菜園に近隣の住民が仕掛けたようである。驚いてそのトラップの持ち主に電話をし、そのことを伝えたが、役所の係が年明けに引き取りに行くとの返事。市の公務は4日から。ではそれまでこのイタチは・・となった。
オリの中のイタチは我々を最大の敵と見做し、牙を向ける。いつものことながら、見て見ぬふりをできない私ゆえ、肉食であるイタチに正月用にと慈光会で買った鶏肉のかたまりと積もった雪を水代わりにトラップの上部に置いておく。鶏肉は完食、暮れより新年2日まで、囚われの身となった哀れなイタチの世話をする羽目となった。3日、もうイタチも体力、気力共に限界に達してきたようである。苗の管理に行くトラックの荷台にオリを積み込み、山深き所まで車を走らせる。オリを開くとイタチは鬱そうとした林の中へと姿を消していった。振り返って何のお礼もなく・・・。
そのあと小さな苗にたっぷり水を与え、無事帰宅。本年もまた尾ひれをつけて話を盛り家人に報告するが、平素から冷静沈着な家人には話半分にも聞いてもらえず撃沈。昨年のカメのレスキューに続きイタチのレスキューと、春までには金銀財宝を携えたイタチがカメと共にやって来ることを夢に見た正月休みであった。
当会の仕事始めから3日経った朝から積雪、これぐらいの雪ならばとトラックで農場へ向かうが、車のテールは右に左にモンローウォーク。車を止め雪道を徒歩で進む。ギシギシと雪の締まる音が心地よく、思わず童心に帰る。農場についてみると、北風のいたずらか、倉庫前に置いたあったコンテナが風に飛ばされあちこちに散乱している。仕方なく一つ一つ拾い集め、手を洗おうと蛇口をひねるが、凍り付いた蛇口からは一滴の水も出てくることはなく、ホース内に残った水もすべて凍結。最低気温-6℃の凍て付いた農場である。
作業を済ませ別の畑へ移動、山の畑に比べると雪は少なく、野菜に積もった雪を手でそっとかき分け明日に使う野菜の収穫。寒さにかじかむモミジのようなかわいらしいしわだらけの手に気合を入れ作業を進める。この大型寒波により、今まで青々としていた野菜の葉の色が一気に変化した。作物の外葉は凍傷になって日増しに黄色味を帯び、冬野菜特有の姿となってゆく。野菜は寒さに当たると、甘みが増し美味しくなる。煮物などの料理をするときは砂糖やみりんなどの調味料を少し控えるなどの調節が必要となる。
白菜も冬の風でさらに鍋料理がおいしくなった、と大きく胸を張って言いたいところであるが、長年に亘り白菜栽培に携わってきたが、今シーズンほど出来の悪いシーズンは経験したことがない。早生の白菜の出来が悪いときは晩生の出来が良い、といつもどこかで穴を埋める事ができたが、今シーズンは早生、中生、晩生すべての生育が悪く、外葉が出来ても結球が弱く、いつまでもゴワゴワした姿で畑に居座っている。収穫の際は一球一球見ながら収穫ガマを入れるため収穫には時間がかかる。農業はうまくいかないときが最も大切な試練であると考え、次回の作付けに向け研鑽に努めなければならない。そのように頭では理解しているが、心の中ではイライラした気持ちが沸き起こり、つい天候など他のせいにしたくなる。しかしながら、少しずつ結球もしてきているのでご心配なくお召し上がりいただきたい。
昨年の夏に長雨の水没で全滅したあとに育苗したネギも12月に何とか間に合い、続いて育苗しているが、これもまた試行錯誤の毎日である。青ネギ、白ネギは収穫間近なものからまだ絹糸のように細い幼苗までが、茶色い畑の中で唯一深い緑色で畑に色を添える。
キャベツ、ブロッコリーは拾い採り、カリフラワーは1月下旬に大きな花が寒さに当たり、真っ白い花のところどころが茶色く変色。来期は寒さ対策を、と農業日記にしたためる。
山の畑で冬眠している山芋もこの1月から掘り始め、冷たい土の中から歪な形の芋が顔をのぞかせる。出荷用と同時に来期の種イモも掘り出し倉庫で囲う。本年は粘土質の畑で栽培し、粘質が強く濃厚な味を求めたが、粘質土では生育が今一つ悪く、味も他の畑と変わらずであった。スコップで掘るには土が固いために力を入れ過ぎ、山芋がポキッと折れてしまう。少々やり難くてつらい冬の作業となった。里芋はいつもと同じく畑でビニールに覆われ、逐次掘り進める。1月下旬、もうすでに芽が動き始めている。
1月中旬、本年前期の春作から夏作までの半期分の生産計画を立て、各協力農家と打ち合わせを行う。もちろんその中には当園が担当する作物も数多くある。必要とされる作物をすべてリストアップし、各社の野菜カタログを参考に計画を立てる。生産
された作物を無駄にすることなく、必要とされるところに十分にゆきわたるようにと。しかし、自然が相手の農業は大きく計画が狂うときもある。そのときは大きな心でお許しいただきたい。新たなる生産への大いなる期待と不安が同居する時期でもある。
日常的に「有機野菜」という言葉はよく耳にする。有機JAS法が出来た時、有機農業の世界はどう変わっていくのだろうかととても気になった。JAS法のマニュアルは政府のお偉方により事難しく複雑に作成されている。どう見ても調べても、この制度は人が良心のみで行動することが前提として作られており、悪人がこれらを悪用するということに対する懸念など微塵もない。しかし現在、それを悪用して金儲けを企む業者が有機農法の世界を土足で踏み荒らす。前理事長が危惧していたことがまさに今行われている。まやかし物の作物が横行し、農薬を使用して栽培された作物があたかも有機作物のように流通するなど、目を疑う事もしばしばある。
1970年代より人々のため、自然のため、そして自身のために純粋に取り組んでこられた小規模な有機農業者は姿を消し、生命を忘れた経済第一主義の企業の餌食となりつつある。ご自身の人生の大半をこの運動に捧げた同志の方に最後にお会いした時、仰っておられた。「純粋な志をもつ有機農業者はこれから先どんどん減り、本物の有機農法は下火となるだろう。慈光会は最後まで純粋に梁瀬義亮先生の教えを貫き、この運動の灯を消さないで欲しい。完全無化学農薬・無化学肥料の世界を」と。
美しい大地、美しい空気、そして美しい水を糧に、本年も皆様と共に勇気ある活動を繰り広げていきたい。お日様の陽を浴び、広い大地で土にまみれ耕人として働かせていただく喜びを感じながら。
助けたイタチに最後っ屁をかけられ

低い鼻がもげた耕人より