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慈光通信 第248号

2023.12.15

健康と医と農 Ⅱ

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】

 

民族の存立

このまま進めばおそらくこれから20年先では、平均寿命が50才になる公算が高いのです。これは農林省の西丸震也先生が早くから現代社会のメリットとデメリットをコンピューターに長く覚え込ませて出した結果ですが、これを聞いて驚きました。恐るべき寿命の短縮化が起こっている。そうなると私たちの民族の存立が不可能になるでしょう。工業面でもエキスパートがいなくなるでしょう。本当に大変な事が起こっているのです。現代医学においてこの慢性疾患の研究は零に近いのです。殊に農薬とか食品添加物による所の慢性中毒の研究は皆無なのです。現に245Tと24Dの合剤である除草剤での枯れ葉作戦でベトナム住民に大変な害や奇形が発生した事はご存じでしよう。そういうことが騒がれているにもかかわらず、今でもどんどん除草剤が使われています。このダイオキシンの問題は大変です。これは水道水に入って人々の口に入ってくる訳ですからね。そんなわけで現在の社会の構造では医学がこういう問題の研究をしていないのです。社会の変化と違った道を歩んでいるとしか考えられない。

皆さん、個人的な危機脱出の方法と共に、民族としての問題を考えて頂きたい。そしてご努力をいただきたいと思うのです。私は農薬の問題から色々公害問題で過去27年ほど努力させて頂きましたが、本当に子孫の事を思うと全くいてもたってもいられない気持になるのです。どうか可愛いお子さんやお孫さんのためにご努力いただきたい。そのためには一気な政治的解決は無理なんです。丁度戦争中に、戦争という大きな歯車がどうしても一気に解決できなかったように、現代の社会機構の中において一気な解決は不可能です。ただ一つの解決方法は民族が立ち上がって、一生懸命にこの健康問題を叫ぶことです。こういうことですから「西条くらしの会」が一つの大きな民族の支えの柱としてご活躍願いたいと思うのです。

 

生命力

私も医者として一言皆さんに何か参考になる事を申し上げましょう。病気になったらお医者さんのとこへゆき、注射をしてもらい、薬を貰って終わりと考える訳ですね。これが当たり前の様に思われますが、仮にですね、火事になったら消防暑に電話したらよいのだと考えて、平生火の用心をでたらめにしていたらおかしいでしょう。それと一緒なんです。現在医学は病気になった時点で如何にして治すかという研究をしているのです。ところが病気というものは生活からでてくるのです。医学の基礎は何であるのか。医学の治療の基本は人間の自然治癒力即ち生命力ですね。自然治癒力を持っている、それが医学の治療の基本なのです。自然治癒力があるから抗生物質が効く訳です。ところが現在医学はその自然治癒力、生命力を抜きにして、丁度ロボットの故障を探しロボッ トを修繕するのと同じ意味で病気という故障を探し、それを薬や手術で治す、こういう やり方をしている訳です。これは決して今の医学が無駄だという訳ではありません。素晴らしい医学ではあるけれども、人間がロボットと同じ状態だと、即ち生命力が雰の状態になったとき救急処置としては素晴らしいのです。例えば普通の状態では盲腸なんかパンクしません。ところが何か悪い生活をしているために生命力がなくなって、ばい菌に負け盲腸に激しい虫垂炎が起こる、昔通では繁殖しない恐ろしいばい菌が繁殖して壊疽をおこし腹膜をおかす。こうした救急の処置としては抗生物質があり手術があります。けれど普通生命力の旺盛な状態ではそんなばい菌は繁殖しないのです。即ち生命力の低下においてそういうことが起こるのですからね。そして生命力を活性化するのが人間の営み、生活です。

 

消防車より火の用心

病気は生活と密接な関係があるのです。これをさておいて病気と云う時点だけで治そうとする、あたかも火事を火事と云う時点だけでみると消防車しか浮かばないでしょう。けれども火事には必ず火元がありますね。火元を考える時には「火の用心」という事が必要な訳でしょう。同じように病気を病気の時点でみると、医者だ、薬だ、手術だという言葉ばかり考えるのですが、病気が生活と密接な関係がある事を考えた時には、生活の矯正により生命力を強化し薬や手術のいらない生活と云うアイデアが浮かんでくる訳です。火事を撲滅するのは消防車ではなく、火の用心なのです。幾ら消防車を沢山作っても火の用心が悪ければ火事はどんどん起こり、終には街は消防車の水で壊れてしまうことがあるように、いくら医学が発達しても生活を正しくしなかったなら病気が起こり、終に薬や手術のために廃人になったり死んでしまう。いわゆる現在喧しく云われている医原病と云う現象、医者の薬や手術で起こってくる病気です。だからこの医学の欠点は病気を病気という時点において治そうとするから問題になるのであって、生活という時点を考えないといけない。一例を申し上げますと、いつも扁桃腺を腫らして毎月1回位はお医者さんへ行き抗生物質をもらわなければ治らないような子供がいます。抗生物質をやると熱が下がって治る、もう随分抗生物質を使っていますから歯も黄色くなっている。こういう子供の生活を調べると決まったようにご飯を食べる時は、卵焼きかハム、ソーセージ位しか食べません。そしてジュースを飲みチョコレートを食ベチューインガムを噛んでいる。こういう子供の生活を変えてやるんですね。これも長く続いていますと、抗生物質の効かないような病気、例えば白血病とか溶連菌症など、こういう子供はよく白血病を起こすのです。そういう子がくると親にこんこんと話して生活を変えるように指導してあげます。勿論生活を良く改めても直ぐには治りません。半年位経つと偏桃腺が起こっても軽くすみ、一年位経つと本当に良くなるのです。ずっと続けていると元気になります。この様な例が沢山あるのです。生活を変えることによってとんでもない難しい病気が治る。あたかも火の用心を教えることにより今まで火事ばかり出していた家から火事が無くなるようなものです。のみならず人間には生命力がありますから大変な病気が治る事があります。例えば膠原病で3カ月か半年で死ぬと云われていた人が、生活を変えて一生懸命やることにより、助かって今10年経ち元気に働いている人がいます。もっと極端な例では5才のときに白血病になりもう駄目といわれた子供が一生懸命生活の改善をやったために良くなり、現在お嫁さんをもらい子供もできているような例もあります。勿論全部がそうだという訳ではありませんがそういう事も有り得るのです。

病気になったら医者にいくのではなくて、生活に気をつける。そして止むを得ず病気になった時は、やはり火事のときは消防車を呼ぶように、お医者さんの世話にならなくてはいけないけれども、その時は生活のどこが悪かったかという事を、反省の材料にしていただければよいと思います。そういう意味で病気というものは、私たちの生活、心とからだの生活の誤りの反省点と考えていただければ結構と思うのです。

        【以下、次号に続く】

 

 

農場便り 12月 

 

枯葉の舞い散る音が秋の終わりを告げる。地上へと落ちてゆく枯葉は夏の暑さに耐え秋を美しく飾り、最期に乾いた葉音で別れを告げる。一枚の落葉が家主の姿が見えぬ蜘蛛の糸に絡み、冷たい北風も手伝い風車のようにくるくる回る。やがてその蜘蛛の糸も切れ、葉は舞い落ちてゆく。大きなカマを武器に、「我に敵なし」とひと夏を力強く生きたカマキリも、日々低くなってゆく気温には勝てず、枯草の上で今にも生命を終えようとしている。晩秋の農場では、そんなフランス文学やシャンソンのような一コマを目にすることが出来る。

遡る事一か月と少々、祭りの笛や太鼓の音が遠くに聞こえ、黄金色に輝いた棚田の稲も刈り取られ、低いトーンの色が景色を塗り替えた。10月、気温の高い日が続き、作業着の背中を汗がじっとりと濡らす。畑作りや各種の種蒔きなど9月の作業計画を振り返る。作業計画表を見ると×のマークが完了の印であるが、まだ×のついていない作業が多く残る。しかしここ数年、悪悟りをした耕人は慌てることなく、残った作業の順番を書き直してゆく。学習能力に欠ける頭で一つ一つの作業のシミュレーションをしながら順を決める。平年に比べ気温は高いが、10月下旬に入ると天候も安定し、ひと夏共に過ごした麦わら帽子の上に鎮座したトンボのフィギュアも管理室の棚の上で来夏まで羽を休める。

11月初旬、作業を終え泥だらけの長靴を脱ごうとするが、ただでさえ脱ぎにくい大きな長靴、そこへ歳を重ねると共に痛感するのが体のバランスをとる難しさで、右に左にとよろけながらもやっと両足の長靴を脱ぐことが出来た。まさにその時、よろける足元に乱雑に置かれた道具の中からガサガサと言う音が聞こえる。怖いもの見たさの好奇心に背中を押され、一つ一つ道具を取り除いてゆくと最後の一つの下から何やら生物らしきものが。黒いブツブツの体から鋭い眼光でこちらをじっと睨みつけるのは何とガマガエル。本年この生物を目にするのは2度目で今回のガマの体はさほど大きくはなく、この春に生まれた子供であろう。直に触ると体から出す嫌な臭いが付くため、スコップで掬い草むらの中へ放す。これが本年御目にかかった最後の珍獣となった。寒空のガマのその姿に他人とは思えない耕人であった。

落語でいう所の枕が少々長くなってしまったので本題に入らせていただく。

野菜の栽培に於いて秋冬野菜は種類も多く、初秋から春の香りが運ばれてくる3月までと長い月日に亘り栽培、収穫が行われる。冬野菜の東の横綱の白菜は極早生から晩生までロングランの作物で、当会での極早生種はお盆に播種を行う。その播種の一か月前の7月中旬にはすでにキャベツ、ブロッコリーの種はトレイに播種され、その後発芽し、双葉は暑さにも耐え育ってゆく。周りを防虫ネットで囲われた苗場には、種が蒔かれた数多くのトレイが所狭しと並ぶ。他にも直接畑に種を蒔く葉菜や根菜類もある。11月から来年3月までに途切れることのないよう計画栽培を行う。

片や西の横綱、真っ白な美しい肌を持つ大根を筆頭に日々の食卓でよく目にする小松菜、続いてビタミン菜や水菜、色々な大きさのカブ等々の種を大地に落とす。しかしこの時期、今が盛りと毎夜宴を繰り返すコオロギやバッタ、オンメ、そして海を渡って参加するアオマツムシなど目に映らないほどの極小さな虫までもが宴の肴にと幼い野菜の芽を食する。これまで何度か紹介させていただいた防虫ネットの中にまでも、この時期はどこから入るのか、細かい虫やコオロギが侵入する。害虫よりももっと恐ろしいのがこの異常な暑さである。幼い芽は照りつける太陽の陽射しに敗け、枯渇してしまう。害虫ならば何割かは残るが、今年の酷暑はすべての命を奪い取ってしまった。苗場で育てた白菜やキャベツの苗も定植後の過酷な環境の下では生き延びることが出来ず、第一弾の作付け野菜は殆どが死滅した。枯死して空になった畑に立ちすくみ、天を仰ぎ思わずお日様に向かって罰当りな暴言を吐く。さすがに8月中、畑での野菜は一休みし、9月に入り再び種の蒔き直し計画を立てる。苗場では逐次蒔かれた各種の苗が育つ。

耕人がこよなく愛し食するレタスも涼を好むため、他の野菜と同様にお日様に焼き尽くされてしまった。それでも第二弾、第三弾と種類を変え、太い指でゴマ粒より小さな種をよしずの陰で一粒ずつ落とす。

9月上旬より、第一弾が駄目ならまた次にと播種を行う。この時期は耕運して4~5日で砂漠のようなカラカラの畑の中でも雑草が芽を切る。直播をした畝には毎日たっぷりの水を与える。防虫ネットの上からこれでもかとばかりにホースを引き回し、散水管から勢いよく水を撒く。私は、作物が頭から水をかけられた時「ありがとう」と言うかのように音を立てて一気に水を吸い込むこの瞬間がたまらなく好きだ。雑草もこのお宝の水を吸って野菜の種とほぼ同じく芽を持ち上げる。そうなると除草鍬の出番となるが、まだ本命の作物は小さく、細心の注意を必要とする。日頃、力任せに荒っぽい作業を得意とする耕人もこの作業ばかりは人が変わったように丁寧に作業を進める。作物の何倍もの生命力が宿った雑草に戦いを挑む気はさらさらないが、初期に敵を抑え込まなければ、後々の作物は惨めな敗北を迎えることとなる。今まで、畝間を軽く耕し小さな雑草の芽を削るだけの簡単な作業を後回しにし、後日、頭を抱え込む事を何度も経験してきた。「上農は、草を見ずして草を取る」初めての授業で恩師が放った第一声である。「下農は草を見て草を取らず」まるで近い将来の自分の事を見透かされたような訓示であった。すべての草の芽を削ることは不可能であるため、大きく耕し、少し生命力が弱った間に作物の生命力を上げ、一気に成長を促す。次々に播種をするため、それに伴う除草作業の計画を立て、終日除草鍬をふる日もある。「雑草との共存」との言葉を耳にはするが、まだまだその域には達していない。

11月に入り山の畑で育てた作物は残り僅かとなった。ゴボウは未だ手付かず、セロリはこの夏の暑さの中で何とか持ちこたえたが、例年のような太い茎には至らなかった。その横で高く育ったブロッコリーは未だ花芽が出ず、一日も早くと願っている。もう少しお待ちいただきたい。サンチュ、小松菜はすでに出荷を終え、他の畑に蒔いた小松菜はこれからも出荷が続く。山の畑では来春の作付け用に大量の堆肥を散布し春になるまで大地は冬眠に入る。

市内3か所にある農場の内の牧野地区の農場をのぞいてみる。ここでは冬用の作物が大量に栽培され、広い畑には作物が健康で力強く大地に宿っている。苗場から移植された白菜の小さな苗は、大きく広く葉を広げ見事に育った。結球した白菜から収穫が始まり、柔らかく結んだ若々しい葉は、料理をよりおいしく仕上げる。残念ながら極早生種は全滅してしまったが、中生、晩生は寒さという調味料が持ち前の味を最大級に引き上げてくれる。近年は鍋料理の種類も多くなっており、ひと冬色々な鍋を楽しんでいただきたい。

寒球キャベツもあと少しで結球、この種も第一弾は駄目であったが、次の作付けは美しく育つ。大根、カブも立派な真っ白な根を大地深く伸ばし、今収穫の真っ最中、大根の入った重いコンテナを奇声をあげながら畑から担ぎ出す。カブも大、中、小と栽培し12月中旬からは千枚漬けの京大蕪もお目見えする。葉菜は2月末までの出荷を予定している。これらのたくさんの野菜はこの冬皆様の食卓へとお届けする。

葉菜の隣に育つニンニクは現在20㎝位まで伸び、これから厳冬に入ると青々とした葉は黄色くなる。ニンニクと共に赤玉ねぎも定植され育っている。

最後は阪合部地区にある農場に目を向ける。ここでは、来春から初夏にかけて収穫をするキャベツを10月中旬より定植を行う。播種時期をずらし、白い根がトレイいっぱいに伸びたら、逐次畑に定植作業を繰り返す。最終の定植は2月を予定し、この時期の病害虫は無いため、冬草だけの管理を行う。この小さな苗も春を迎えると一気に成長し、初夏からの苦手とする高温多湿に備え肥料管理をきめ細かく行う。他には年内に白ネギ、青ネギを定植、本年惨敗した7月のリベンジを、と苗作りに励む。

年内はまだまだ作業が目白押し、どこまでこなせるかと日々あまり役に立たない計画表とにらめっこをする。収穫、管理と並行して来年用の堆肥作りを行う。寒い朝、発酵する堆肥から湯気が上がる。これも自然の力である。この時期、夕方5時を過ぎると農場は暗闇に包まれ、生き物は眠りに付く。柚子を収穫する際、鋭い棘に刺され発する耕人のうめき声も闇の中へと消えてゆく。農作業を終え一日の最後の作業である作業日誌をしたためる。美しい言葉に出会った日にはそれも記しておく。その内の一つ中国の唐時代の詩人・韓愈の漢詩の一節に

「燈(とう)火(か)稍(ようや)く親しむ可(べ)く」とある。これが日

本に伝わり「読書の秋」と言われるようになったという。秋の夜長、美しい音楽は楽しめるが、ためになる高尚な本は10ページも進まぬ間に寝落ちし、そして夢の世界へ。(すべては日中の労働からくる疲れによるという事にしておく)

年の初めは自らを戒め、正道を歩むため、多くの名言を日誌の第一ページに記す。その中の一つに前理事長の「適地適作、自然に逆らうことなく大自然から学べ」と言う言葉がある。本年はこの猛暑の中、無理をした作付けは見事全滅となった。大自然の摂理をもっと大切に、先人の言い伝えは常に頭の中に持ち来年へとつなぐ。そんな愚かで身勝手な私をも大自然は赦し、今畑で青々と育つ野菜を目にし、「天道人を殺さず」を今一度思い返す。

遠く離れた国では母親の愛の温かさを知ることなく、世を去ってゆく新生児を報道で目にする。戦いの中、平和な時間に触れることもなく人生を終えてゆく。この世に生まれるものすべてが、愛に溢れた温かい世界で大自然からの恵みをいただき、健康な体と心で過ごす喜びを分かち合えるようにと願う。

息を切らし泥と汗にまみれ、大地により得た作物で一人でも多くの人の健康を守るため、来る年も皆様に素晴らしい野菜をお届けできますように。本年も当会の野菜を愛して下さいました事を心より感謝申し上げます。どうぞよいお年をお迎えください。

六甲おろしより大根おろしの耕人より