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慈光通信 第195号

2015.2.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 18

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

産地直送における生産者・消費者の心構え

 

 

生態学的輪廻の法則を守れば、農作物は立派にできるのです。ですが、必ず5%ぐらいは害虫にあげてやらなければならないのです。その5%を奪おうとするから、人間が癌になったり、情緒障害になったりしなければならないのです。人間は健康で、おいしいものが食べられるのです。しかし5%ぐらいを虫に食べられた農作物は、現在の市場では通らないのです。こんな無茶な流通機構は世界中ありません。それで、産地直送の形式をとっていただきたいのです。あるいは特殊な流通機構を作ってあげて下さい。私たちは、生産者と消費者との間に、財団法人慈光会の健康食品販売所という流通機構を持っていて、生産者と消費者の間をいつも調節しながらやっております。生産者と消費者の両方の利益になるように、いろいろと工夫してやっているわけです。
こちら熊本にも流通センターがありまして、皆さん、うまくやっておられますが、どうか生産者は消費者のおかげで農業を続けさせていただけ、生活させていただいている。消費者は生産者のおかげで健康と生命を保たせていただいているという、いわゆる同志としての意識をまず第一に考えて、それから第二の問題として、経済問題を考えるという、この基本態度を大事にして下さい。得てして経済、金の事が先になってしまって、争いを起こす機会が非常に多くなります。これは、くれぐれもご注意いただきたいと思います。
私はいつも、生産者である農家の皆さんに言っています。「完全無農薬有機農法の農作物だから、形が悪くても、虫食いでも食べてくれと言っちゃだめだぞ。あなた方は、市場の物に負けない、虫の食わない立派な、おいしい物を作らなきゃ出荷しないという決心でなければいけない。形が悪くても虫食いでも、これは自然の物だからというのは、消費者が言うことで、生産者が言ってはだめなんだ。生産者は良い物をと、いつも心がけなきゃいけない」と。
生産者は、自然の物だから、曲がっていようが、虫食いだろうが、これを食べろ、同じ値で買ってくれと言う。消費者は、こんな形の悪いものを、と不平を言う。ここで間違いが起こるのです。この言葉は逆になって欲しいのです。

 

 

農業研究会で心の交流とテクニックの交流

 

 

私共では毎月一回、生産者が全部集まって農業研究会を行っています。お互いの経験を語り合い、私が毎回、有機農業の原理を皆さんに話し、その後は、テクニックの交流と同時に人間の交流、お互いの愛情の交流、同志の感覚の交流ということを行っていただいています。これは非常に良い事だと思っています。

(以下、次号に続く)

 

 

癌が増えています!

 

完全無農薬有機栽培の野菜(菜っ葉、根菜共)には、癌を防ぐ強い作用があります。イモ、マメ、菜っ葉、海藻などをしっかりお召し上がり下さい。

前回は、「イモ」と「マメ」についてお話しさせていただきましたが、次は「菜っ葉」です。
菜っ葉を食べる事は、米食する民族には極めて大切です。野菜に多く含まれるビタミンやミネラルは、エネルギーの燃焼やホルモンの分泌、細胞の代謝などを促進し、体調を整えてくれる大切な栄養素です。欠乏すると、体調不良や病気など様々な症状となって現れます。野菜は、大きく分けると「緑黄色野菜」と「淡色野菜」に分けられます。いわゆる「菜っ葉」が多く含まれる緑黄色野菜が体に良い事はご存知の通りですが、最近注目を浴びているのが淡色野菜です。淡色野菜とは、表面の色が濃くても中が薄い色の野菜で、セロリやきゅうり、白菜、大根、レタス、玉ねぎ、キャベツなどが挙げられます。火を通すと比較的クセがなくなり、甘くなったりうまみが出たりするものも多く、子供にも食べやすいのが特徴です。また、生で食べられるものが多いので手軽に食べることができます。
淡色野菜はわき役的存在で、今まであまり脚光を浴びる事はありませんでした。ところが、この淡色野菜にはビタミンCや食物繊維が多く、近年では淡色野菜に含まれる栄養成分が白血球の働きを高める効果や体の免疫力をアップさせ、ガンや生活習慣病に効果があることがわかってきました。このように、淡色野菜は緑黄色野菜と同じくらい大切な効果を持っているのです。
しかし、最近では、野菜はお皿の飾りのようになってしまいました。サラダにすると一度にあまり多くの量を食べることが出来ませんが、火を通すとカサが減り、食べられます。一日目標摂取量は350gと言われている野菜。慈光会で販売している菜っ葉は1束が約200gですから、だいたい2束分位と意識してしっかりといただきたいものです。もちろん、野菜に農薬が使われていては逆効果です。無農薬のものを選びましょう。
最後に「海藻」。昔から日本人は直観と経験から毎日のようにワカメやヒジキなどの海藻を食べていました。海藻は、カルシウム、リン、亜鉛、ヨード等の日本の酸性土壌に欠乏しているミネラルをきわめて豊富に含んでいます。さらに、ビタミン類やタンパク質など果物に少ないものもバランスよく含まれ、低カロリーであるため、まさに「栄養の宝庫」と言えます。海には生命に必要な成分(タンパク質・糖質・繊維・ミネラル・ビタミンなど)が全て存在していて、海藻はそれらを凝縮しているのです。しかし、だんだん野菜と共に海藻も食べなくなってきました。これではビタミンやミネラルの欠乏が起こり、病気になってしまいます。
そこで、工夫して毎日の食事に使ってみてはいかがでしょうか。例えば、インスタントみそ汁やカップラーメンに乾燥ワカメを一つまみプラス。炊き込みご飯に野菜と一緒にヒジキやワカメを少々。ワカメを戻して生野菜と一緒に海藻サラダに、カリカリのじゃこをトッピング。ヒジキの煮ものを多めに作って、炊きたてのご飯に混ぜるとひじきご飯に、卵焼きにネギと共に混ぜると彩りもきれいに。ひじきの煮物はお弁当のカップに入れて冷凍しておくとそのままお弁当に入れて持っていくことができます。これはほんの一例ですが、一工夫で簡単に食事に取り入れる事ができます。
海藻には日本人に足りない食物繊維がたっぷり含まれています。例えば、干しヒジキ一食分(5g)には2.2g、乾燥ワカメ一食分(2.5g)には0.8gの食物繊維が含まれています。海藻は一食当たりに食べる量は少ない割には、中に含まれている食物繊維の量は意外に多いのです。
食物繊維とは一言でいうと「体内に入っても消化されずに出てしまう成分」のことで、体内で様々な働きをしていることが知られています。この食物繊維は昔からご飯などの穀物を食べることにより多く摂取していました。しかし食生活の欧米化により、肉や乳製品の摂取が増え、摂取量は減少しています。また雑穀や玄米ではなく精米された白米を食べるようになったことも減少の理由と考えられています。
食物繊維には、水に溶ける「水溶性食物繊維」と溶けない「不溶性食物繊維」があります。水溶性食物繊維を多く含む食品は果物やこんにゃく、海藻類などで、海藻類の中でもヒジキやワカメは特に食物繊維が多いといわれています。水溶性の食物繊維は水分保持能力が強く、どろどろと粘りのある状態にし、有害物質を吸着して排泄させます。粘着性により胃腸内をゆっくり移動するので、お腹がすきにくく、食べすぎを防ぎます。また糖質の吸収を緩やかにして、食後血糖値の急激な上昇を抑えます。他にも腸内環境が良くなり整腸効果があります。
一方、不溶性食物繊維は、穀類や豆類、ゴボウや切り干し大根などの野菜類、芋類、きのこ類などに多く含まれています。不溶性の食物繊維は腸内で水分を含んで数十倍に膨らみ、腸壁を刺激して腸のぜん動運動を高めます。それぞれ効能が違うので、バランスよく摂ることが大事です。摂取する割合は不溶性2に対して 水溶性1が理想とされています。
食物繊維は、便の量を増やして便秘を防ぐほか、最近では、心筋梗塞、糖尿病、肥満などの生活習慣病の予防に役立つこともわかってきました。ただ、このように非常に優れた働きをする食物繊維ですが、残念ながら日本人の平均摂取量は、摂取目安量の1日当たりの半分にも届いていないのが現状です。
私たちも先人の食生活を見習い、イモ、マメ、ナッパ、海藻、黒い米(五分づき米や七分づき米、玄米)、植物油、雑穀、こういった物を食事の中心にし、もう一度日々の食事を見直したいですね。
 

(以下、次号に続く)

 

 

農場便り 2月

 

2014年12月 金剛の山脈に厳冬の朝日が当たる。薄く積った木々の雪に朝焼けの光が輝き、オレンジ色の山はだとなる。農場は冬景色に包まれ、葉を落としたクヌギやホソの木が鉛色の冬空へと高く枝を伸ばす。寒風吹きさらす中、可愛い小さな鳥たちは元気に枝から枝へと飛び回る。
凍りつく畑では、冬囲いの中で正月用の野菜が今か今かと出番を待つ。12月下旬、ようやく収穫最終日を迎えた。白菜・大根・金時人参・ゴボウ、里芋といった正月野菜を中心に、他にキャベツ・ブロッコリー・小松菜・水菜・ビタミン菜等を並行して収穫作業を行う。冬型は強まり、時折吹く北風に身が縮む。
29日、職員全員が出勤した。店舗での接客・倉庫での作業・清掃の3部門に分かれ、一斉に作業を始める。本来ならば4部門と言いたいところであるが、農場は蚊帳の外。一人寂しく寒風吹きさらす中、農場へとトラックを走らせる。車から降り立ち、まず掃除の順番を決める。悩むこと10分、朝に家人が持たせてくれた水筒のお茶をカップに注ぎ、気温0℃の農場に立ち上る湯気をじっと見つめる。「ポリシーを貫き、何も考えず手当たり次第行動に移す」これに決定。
不要になった大型の紙袋に詰め込まれたゴミはトラックの荷台一杯になった。よくこれだけ貯め込んだ物だと感心しきり。後にこのゴミは焼却場へと旅立った。
次は農作業の道具の片づけ。「使ったら元に戻す」幼い頃より両親に言われ続けてウン十年、未だその教えは右から左へと抜けて行ったまま帰ってこない。学習能力も皆無で、「今年出来なかった事は来年も出来ない」と当初からあきらめムード満載、我ながら困ったものである。片付ける道具は畑で使用する農具から機械工具、その他諸々でその数は半端でない。時折、探していたものが道具の間から顔を出す。「やあ、久しぶり、こんなところに隠れていたのか」と声を掛ける。「君がだらしないからだ」と睨まれながらも、散乱していた道具たちを所定の場所に収めてゆく。いよいよ倉庫内の最終作業、コンクリート土間の泥出し。トラクターや他の機械が持ち込んだ倉庫内の泥を角スコップを使って人間ブルドーザーで外へ押し出す。コンクリートの肌が見えてきたところで水を打ち、竹ぼうきで最後の仕上げに入る。見れば竹ぼうきもメイドインチャイナ、PM2.5ならぬ立ち上がる土煙にビクともせず、チャイナの力を借りて土間は美しく掃き清められた。次は倉庫内にある管理室、管理室と言えば聞こえは良いが、「サボリの間」とも人は言う小さな部屋。お弁当をいただく小さな空間で、床には農業関係の書物や野菜の種子、農業資材のカタログ、そして農器具のマニュアルと所狭しと置かれる。小さなテーブルの上にも物や本が高積みされ、チョモランマ状態、いつ何時、雪崩が起きても不思議ではなく、触るには少々勇気がいる。いつも農作業が終わり薄暗くなった頃、この小さなテーブルで農業日誌や農場便りをしたためる。これで倉庫は美しくなり新年を迎える準備が整った。
次に待っているのは少々難易度の高い作業である。農場の最高地、海抜450mで金剛山を背景に五條を一望、東に大峰山脈の稜線を仰ぎ、西は紀州の里まで望める地。その地にある前理事長の碑を清掃する。秋には、11月中にこの場所までの道の草刈りをして、12月中旬までにはすべてを済ませ新年へ、と計画を立てるのだが、それとは裏腹に、道路やその周りは身の丈ほどの草が伸びる。まずは草刈りからスタート。刈り取った草をフォークで休園中の果樹園へ、この量たるや半端ではない。真冬にシャツ一枚、額に汗。周りの雑木山から飛んできた落ち葉をレーキ(熊手)で集め、これも休園地に投げ込む。石碑やその台座に積もった枯葉も竹ぼうきで掃き集める。辺り一面を美しく掃き清め作業は終了する。その頃にはもうお日様は山の向こうに姿を消し、吐く息も白くなる。碑に向かい一年の無事を感謝し、畑にも手を合わせて農場を後にする。
販売所は暮れの活気に包まれ、職員があわただしく働く。6時を回り、一年の労をねぎらい、来る年に備え声を掛け合い、各家庭へと帰途に就く。
30日は我が家の餅つき、協力農家の川岸さんのもち米を蒸し上げ、お鏡や丸餅につき上げる。もちろんそこまでは家人一人での作業であり、私はつき上がった餅を大根おろし・きな粉・焼き海苔・あんこ等をつけた湯気の立った餅をひたすら口に運ぶ作業を行う。 平和・・・。
真っ赤に色づいたつるし柿が軒先に下がる。暮れの空の下によく似合う光景である。このつるし柿に目を付けた野鳥がけたたましい鳴き声を上げながら群がり、毎年食害を受ける。追っ払っても隙を狙って柿にくちばしを向ける。食害された実は3個、その3個を庭木の枝に残し、後は場所を変えて食害から守り、冬の味覚として家族の口に入る。鳥用にと傷んだみかんを2、3個枝に刺しておく。素早く見つけた鳥は美味しそうに食し、冬の空へと帰ってゆく。
31日、ベートーヴェンの第九で私の一年は幕を下ろす。息を凝らしてじっとテレビに見入り、美しい曲に聴き入る。曲はクライマックスを迎え最高に盛り上がり、大拍手の内に番組は終わる。第九の余韻がまだ耳の奥に残る11時45分、和の最高の音である梵鐘の音が遠くの寒空から聞こえてくる。奥深き音に一年を振り返り、反省、そして新たなる年への誓いの気持ちがふつふつと湧いてくる。菩提寺にて合掌。一年が終わる。
元旦、家族全員が集いささやかな祝宴を設ける。忙しさを言い訳に、家族が集まり、ゆっくり会話をすることがめっきり少なくなった。祝いの膳に美酒、自然と会話は弾み、心行くまで時間を楽しむ。のんびり食しては飲みの日々、体の中に怠け虫が住み着いたようである。
新年の作業が始まる。毎年恒例、旧販売所の屋根掃除、積もった落ち葉を取り除き、周りの道や向かいの斜面の枯葉もきれいに掃き集める。道の隅に祭られたお地蔵様の上の落ち葉も取り除き、周りは美しくなる。販売所ではきれいに掃除された棚に商品が並べられ、明日からの開店に備える。作業初日、体を動かし働く大切さを改めて実感するが、毎年正月三が日は怠け虫の育成に努めてしまう。学習能力のなさは本年も健在である。
畑には、多種の野菜が大寒の寒さに負けることなく静かに眠る。寒さに耐え出荷された野菜は、各家庭の食卓を緑で飾る。年の初め、毎年思い出される前理事長の言葉「『イモ、マメ、菜っ葉』と少々の動物性タンパク、そして心を清らかに持ち、健康で素晴らしい人生を」。
2015年、フランスでは新年早々テロリストの悪しき行動が全世界を震撼させた。宗教的見地の違い、国民的文化の違いが一線を越え、大切な人の命を暴力によって奪い取る。他宗教を絵によって風刺し、茶化し馬鹿にする。何があろうとも人の心を逆なですることはいかがなものか。逆に逆なでされたからと人の命を殺めることは許されることではない。子供の喧嘩以下である。真の宗教とは何であるかと問いたい。近代の農学に於いても、ほとんどの学者は害虫が発生するとすべてを殺して結果を得る。人類にリスクを与えるものはすべて抹殺し身を守るという発想の近代農法。すべての事に於いて、人類は智恵をしぼり、正しい世界観を持ち、素晴らしい社会をつくることは可能であるはずである。
新しい一年、一歩でも平和な世界へと近づくことができるよう、そして農への思いも込め心から祈る。私にとって年に一度の休暇が静かに明け、また農の道へと一歩踏み出す。一人でも多くの人の健康と平安な日々を願いつつ。

 

 

頭の中は年中正月気分の農場より