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慈光通信 第234号

2021.8.1

食物と健康 15
前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

3、食物と健康

 

第2 毒物について

 

食品公害について

 

これも、今日の問題からややずれますが、日本の食品公害は、ようやく最近になって、規制に向って重い御輿を上げ出しました。日本は世界で最も有毒な食品添加物を使っている国の一つです。

防腐剤、色素、脱色剤あるいは発色剤等、色々な添加物が、我々の体の、この複雑な構造のギアの噛み合わせによる回転を悪くし、新陳代謝を障害し、そして、いわゆる退行性疾患、ガンとか白血病とか、あるいは肝臓疾患、また精神病等という病気にしていく。

我々の体が、侵入してきたバクテリアと戦争をするのでなしに、そのままズルズルと腐ってしまうような、細胞が退化を起すような病気が多くなっているのです。

現在日本は、公害の実験場になっております。私はこれまで農薬公害につきまして、最初は一生懸命に、政治家を訪問して、早く規制して頂くようにお願いしたのですが、根本竜太郎先生が、私に大変よい示唆を与えて下さったのです。すなわち「これは、政治家に頼んでも駄目なのだ、政治家は世論によってしか動けないのだから。だから世論を起す運動をしなければならない。一人一人の国民が立ち上がらなければならないのだ。一気に政治的に解決するということは不可能なのだ。だから一人一人に呼び掛け、立ち上がらせるために、それに向って努力をもっていきたまえ」というものでした。これは私にとっては、非常に有り難い示唆であったのです。

 

 

4、健康農法について

 

この五條の地で、わずかの数の協力して頂く農家と手を結んで、慈光会(心と体の健康の会)という会を設立いたしまして運動を致しております。これはまことにちっぽけな集まりですが、これが一つの核になって全国的な運動が起こってほしいと私は願っています。

実は、私、昭和39年ごろは、もう四面楚歌で、まったく気違い扱いされておったのです。その時に、私を支えてくれたのは、私は仏教徒ですので、読んだ一つの有り難いお経の中の話なのです。こういうお話です。

森が大火事になった。すると森のけだものが逃げ場を失って、焼け死ぬような状態になった。その時一羽の鳩が、羽があるから無事に逃げることが出来たが、焼き殺されようとする友達のことを思って堪らなくなり、また火の森に飛び返り、川の中に飛び込んで羽を濡らし、この森に羽の水をふりかけ、また川へ飛び込んでは水をふりかけつづけた。実に愚かなことである。しかし、この小鳩の慈悲の心と、友を思う真心とが天の神様に通じて、神様は大雨を降らし、森の火事を消し窮地に立った動物たちを救い、彼らの上に再び平和が訪れた、というお話です。

私たちの現在の仕事というのは、実にちっぽけなものですが、鳩が羽で水をかけるより、もっとちっぽけかも知れません。ですが私は、偉大な真理のお助けがあることを祈ってこの会をやっているわけです。会員の方の献身的なご尽力を頂いておりますことに、いつも感激しております。

私どもが提唱しています健康農法も、後で触れる自他不二の哲理を農法として生かそうというもので、自然農法、あるいは真理農法といっても、差支えないと思います。要するに、自然の正しい理法に適った農法という意味です。

まず自然の大森林を見ましょう。何万年経っても、次々と大木を育てる地力を失いません。

植物が有機質を生産する、動物がそれを食べる、そして動植物の排泄物や死骸を大地の小動物や微生物が処理し、その最終生産物を再び植物が食物として有機質を生成する。いわゆる自然の生態的輪廻があります。

また、太陽、空気、雨風、様々な動物の生きる地上の世界と、地虫、原生動物、菌類・藻類、バクテリア等々が作っている地中の世界があります。

植物の生存と生育にとって、この二つの世界が何れも同じくらい大切であるという事実があります。

近代農法は、自然の生態学的輪廻を化学薬品によって断つものであり、近代の廃棄物処理法もこの輪廻を断ち切るものであって、植物の死を意味し、したがって動物の死を意味します。また、地上、地中の世界の何れもが、植物の生育に大切であるという意味からも、近代農法は化肥・農薬によって、地中の世界を滅亡し、つづいて地上の世界をも滅亡せしめるものです。

この意味からも、現代の農法は捨てるべき農法です。

さて、健康農法といっても、これは一つの農法ではありません。これは一つの原理であって、この中で様々な農法が生まれるべきであり、これ以外には農法は有り得ないのです。すなわち、上の生態の輪廻の法則に正しく従うこと、また地上と地中の世界を壊さないことです。それにはまず、

1. 土から出たものは、全て土にして、土に返すこと。(完熟堆肥=この完成には半年かけます)

2. 植物の生活できない酸性土壌を中和すること。((堆肥製法に石灰等を用う)

以上が最も大切な点ですが、さらに、

3.太陽・水・空気等を正しく利用できるようにすること。

4. 播種期を正しくすること。(気候に適した植物)

5. 適地適作。(各地に適った作物を作ること)

6. 輪作、または混植の利用。(自然界に単作はありません)

7.病虫害に抵抗性のある品種選定。

を注意します。

以上の原理を各々の地方、各々の栽培土に適したやり方で実行するのです。

 

以下、次号に続く

 

環境に優しい暑さ対策また今年も猛暑、熱中症の文字が目に飛び込んできます。地球温暖化による気候の変動やヒートアイランド現象(都市の気温が周囲よりも高くなる現象)の影響により、夏の暑さは年々厳しさを増しています。特に日本は世界の平均より速い速度で気温が上昇しています。そんな中、コロナ禍で一日中マスクをして過ごさなくてはいけない今夏は、余計に体に負担がかかってしまいます。体にも環境にも優しい暑さ対策を心掛けたいものです。

まず冷房時の室温は28度を目安に。設定温度を28度にしても、外気温が高すぎてなかなか冷えず、室温がもっと高くなっている場合は調節しなくてはいけません。窓のカーテンやブラインドを閉め、直射日光を避けると、室内は冷えやすくなります。

また、冷房中は風向きを上向きに設定すると効率的に室内を冷やすことができます。扇風機を併用して室内の空気を循環させるとより効果的です。エアコンのフィルターも気づかないうちにホコリで目詰まりしていると、温度が下がりにくくなりますので、2週間に一度を目安に掃除をすることをおすすめします。

エアコンが2台以上ある場合でも、なるべく家族が一部屋に集まるようにすると余分なエアコンを止めることができます。ただし、暑さが厳しい時間にエアコンの使用を控えると熱中症を引き起こす恐れがあるので注意しましょう。年配の方は暑さやのどの渇きを感じにくく、知らず知らずのうちに熱中症になっていることがあります。室内に温度計を設置し、30度を超える場合は暑さを感じなくても冷房を入れて下さい。

少し動いただけでも出る汗。かいた汗は洗い流す、あるいはこまめに拭くとあせもや湿疹などの皮膚トラブルも抑えられます。また、凍らせた保冷剤や濡れタオルで首や脇、足の付け根を冷やすと体内温度が下がり、ずいぶん楽になります。熱い夏、こまめな水分補給も忘れず、体調に注意しながらお過ごしください。

 

農場便り 8月

大暑のこの日、一か月前の日々を思い起こす。シトシトと降り続く雨の中でアジサイが美しい花を咲かせる。幼い頃、咲いていたアジサイは青い色のガクアジサイが多かったと記憶する。現在、観賞用のアジサイの種類は319種、原種など色々なものを合わせると約2000種もあるといわれる。アジサイの葉に一筋の光る線を見つける。カタツムリの足跡である。(足がなくても足跡と言えるのだろうか…)。そんなカタツムリの行動を観察する。カタツムリはゆっくり急ぐことなく行動をする。一歩一歩着実に前進し、後戻りは一切しない。こう書くと何だか聞こえは良いが、実はアジサイにとってカタツムリは天敵である。植物からすれば体を傷つける害虫に他ならない。

夏草が生い茂る我が農場のキャベツやレタスの畑の中でもよく目にする。ホームレスカタツムリとも言える、ナメクジの数ほどではないが、5月下旬頃より汗を流しながら栽培をしてきた野菜を「無農薬野菜は美味しいさー!」と一心不乱に食べるこのカタツムリ、ほかの害虫とは違い、目に入ってもあまり敵視する事は無い。彼らが元気なのも、猛暑が襲いかかってくるまでのあと僅か。「お互いボチボチな」と言いたくなる。

この頃になると水田も稲が青々と育ち、水面を覆い隠してゆく。いつも仕事帰りに見る水面に映る美しい夕日も見えなくなってきた。

この時期、恒例の行事になりつつあるのが、カメのレスキューである。毎年ほとんどが中国産のクサガメ、昨年は珍しくも石亀であったがさて今年は、といつものように農場へとトラックを走らせる。朝も早く田舎道の車の量は少ない。大きな池の近くに差し掛かった時、本年もやって来ました日本の夏、カメの夏、大きなカメはまだ起きたばかりなのか、動作が鈍い。さっそく車を止めてレスキューに取り掛かる。近づいてみると今までにないカメの色で、よく見るとミシシッピー赤耳ガメ、現存外来種の中では上位に入る嫌われ者であるが、このままでは車に轢かれカメせんべいとなってしまう。以前、この種のカメは異常な数のサルモネラ菌を体内に持つと聞いた事を思い出し、手で持ち上げるかどうか思案の末、サッカーボールのように足で少しずつ草むら近くに移動させ「さて、どうするこの亀仙人」ということになった。外来種ではあるが、元を正せば人間のエゴで無理矢理連れてこられた挙句に飽きて捨てられ野生化したのだろうな、などと考えた挙句…、どういう行動を取ったかは皆様のご想像にお任せする。毎年ながら、今まで助けた生き物は数知れず、特にカメの数はハンパではないが、今のところ何一つカメからのお返しは無し、この夏は何か良いことがあるかもと期待に腹をふくらませる。

前号でご紹介させていただいた野菜の数々、毎日降る雨で畑の土の中の水分は飽和状態であるが、そのような中でも力強く成長を続ける。今年試作した夏白菜とレタスは、朝は日射しが強く、昼からは雷雨に見舞われるという中で、腐敗を起こすものが出てきた。そこでじっと観察をする。まず定植地の条件、本年これほどの雨が降ることを予想だにしておらず、畝を高くしなかったことがまず第一の原因である。他にも土壌のpHを整える調整、そして元肥の量など畑を眺めながら思いを巡らせ、来年の作付けの参考にと、思いついたことを細かく日誌に記してゆく。

試作第二弾のいんげんはたくさん実を付けた。ただ一本一本の収穫に時間を取られ、一日の作業の計画を大きく狂わせてしまう。いんげんの栽培を本格的に行うには少なくともあと2本の手が必要となる。これからの猛暑の中、どう栽培していけばよいのかが今後の課題となる。

昨年のことを思い出すとまだ腹が立つかぼちゃ栽培、あと少しで収穫という所で鹿の食害に遭い、無念の思いを抱きながら今年も栽培。すでにうちわほどの大きな葉が大地を埋め尽くし、葉と葉の間には若いカボチャの姿が見え隠れする。今年は何とか鹿の食害から逃れたようである。

隣に植えられたひと筋だけのスイートコーンは高く背を伸ばし、最上部では雌花の黄色い花粉が風に乗り運ばれる。鳥や害獣の食害、やたらと多くなったアワノメイガの害に栽培の断念を余儀なくされていたが、今年はどういった具合かほんの少しだけではあるが当園にトウモロコシ栽培がカムバック。倉庫に近い所で育つスイートコーンを毎日のように眺め気合いを入れる。コーンのうす緑のひげが、実が熟するとともに茶色に変化し穂も膨らみ、あと僅かで収穫となった7月上旬、一夜にして何者かに20本ほどのコーンが食害されているのを朝一番に発見。1日の初めにこういう光景を目にすると、その日の気分は奈落の底まで落ちる。思わず汚い言葉を発し、コーンの近くに駆け寄ると、見るも無残な姿になっている。今まで色々作物を食害されたが、半分ほどを食べ、また次の作物へと、中には一口だけを食べるだけと食事のマナーは極めて下品である。今回のコーンも例外ではなく食害に遭っている。さて、この害獣は何であるかと今までの経験をもとに検証を行う。アライグマ、ハクビシン、タヌキ、カラスこの4種に犯人を絞り込む。その中からカラスを外し、哺乳類の仕業とした。早々に知人の家へトラップを借りに行き、話をすると大笑いされ少々腹立ちを覚える。聞いてみると、彼は先日、栽培していたスイカのほとんどをカラスに食べられてしまったとのこと。それを聞き、先ほどの仇とばかりに大笑い、とはならず笑うに笑えない。せめて残りのコーンを守るべく、借り受けたトラップを畑の中に仕掛ける。この害獣たちの共通した好物を箱オリの中に入れる。この好物というのが、また笑えるもので、なんとインスタントラーメン、中でも3分間我慢のチキンラーメンが最高のご馳走だという。どうも現代人と現代獣の食の好みは共通しているようだ。しかし、「害獣よ 市販のラーメンは体に良くないぞ。添加物は怖いぞ。お体を大切に」

トラップを仕掛けてから1日経っても2日経っても、一向に檻のフタが落ちることが無い。その間にまたコーンは少しずつ食害されている。私の経験則はすべて外れ、一番身近なところで「アホーアホー」と鳴くカラスが犯人と判明した。すぐに透明な糸を張り、何とかすべての食害から逃れることが出来た。この事件で私の勘の的中率は極めて低いことが判明した。食害さえなければまずまずの出来、来年はもっと多くの栽培を予定している。その他のほとんどの作物は順調に育ち、逐次収穫を行う。7月中旬、すでに秋冬作の準備も始まった。
コロナウイルス感染が止まらない。それどころかますます強くなり範囲が広まってゆく。連日の報道にもかかわらず、人々はさほど真剣に受け止めていない。もはや対岸の火事というのか、他人は感染するが、まさか自分がと他人事のようである。畑を耕すことしか能のない耕人が静かに考えてみる。前理事長は生前常々、我々が生きる世界にウイルスがいるのではなく、バクテリアやウイルスの中に私たちが生存している。同じ家族の中でもインフルエンザにかかる人とかからない人がいるように免疫力の高い人は発病しにくい。
その免疫力を高めるためには、正しい生活習慣が大事で、中でも最も大切なのが生命の根本となる食生活である。添加物の多いインスタント食品や大量の白砂糖、動物性タンパクの大量摂取、酒、たばこ等は免疫力を下げる。芋・豆・菜っ葉に黒いご飯や雑穀、少しの魚と海藻類を食べなさい、と説いていた。
農業に例えるならば、化学肥料で育つ作物は農薬に守られて生き、有機栽培の作物は自身の持つ免疫力で逞しく成長する。作物が病原菌に冒された時、慣行栽培ではほぼ全滅となるが、有機栽培の場合、病原菌に打ち勝つ確率は高い。すべての生命は免疫力によって守られている、ということである。存命であれば、ワクチンや薬剤についての話も聞きたかったと一人物思いにふける。もう一つ、人間にとって心の持ちようはとても大切で、常に美しく、清い心を持ち続けなさいとも言い続けていた。煩悩のかたまりである私にとっては一番耳の痛い所である。

今も賛否両論あるワクチン、その昔、天然痘ワクチンの開発者で世の救世主となったエドワード・ジェンナー、彼はわが子で実験をして開発をしたと言われていたが、実際は我が子可愛さにワクチンを打つことが出来ず、使用人の子供に打って試したと言われている。それが成功したからよかったもの、大変な危険と犠牲が伴う。人の命に関わるものだからこそ慎重に見極めなくてはならない。

コロナ禍の中での平和の祭典、オリンピックが開催された。何もこの時期に、と思った人は多く、私もその中の一人であるが、学生時代に学業には目もくれず夢中で取り組んだ柔道の試合が気になり、自室でそっと観る。それが導火線になり、他の種目にもつい目が行く。日本人特有の始まってしまえばすべてよしの気質と、大和民族ののど元過ぎれば熱くないの気質がDNAの中に組み込まれているようだ。

しかし、世界でどれだけの人々が今もなお戦争や飢えに苦しんでいることであろうか。何兆円とも言われる大会の費用を飢える子供たちの食糧に変えることが出来たならばと考えてしまう。

雨が恋しい。あれだけ降った雨も今は無い。里芋の葉は強い日射しに焼け、一部に茶色く模様が入る。農場の畑の片隅でひまわりが大きな花を咲かせた。東北の被災地の瓦礫の中で咲いていたひまわりの種を譲り受け、今夏農場で見事に咲いた。力強いひまわりの花が疲れた身体に勇気を与えてくれる。私もひまわりのような大輪とはいかないが、茶花のように地味な花を咲かせ、一人でも多くの人々の健康を願い、秋冬作のスタートを切る。ヒグラシがひまわりに美しい声援を送る。

 

作業中、三波春夫の五輪音頭が頭の中でリピートする農場より