TOP > 慈光通信 > 慈光通信 第185号

慈光通信 第185号

2013.6.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 8

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

大豆・海草を多く

 

 

それから我々民族は、明治時代までは世界で1番海草をよく食べた民族です。海草は日本の酸性土壌に欠乏しているミネラル(鉱物質)を1番豊富に含んでいる。従って我々にとって大事な事は、この海草をたくさんいただく事であります。我々の先祖はそれをよく知っていた。ところが明治以来、だんだん海草を食べなくなってしまった。菜っ葉も食べなくなりました。また、我々の食生活の中には大豆はきわめて大事な役割を果たしてきました。ビタミン、ミネラルをも補給する大事な蛋白源です。これを我々はだんだん捨ててしまった。
そして私たちの現在の食事のパターンの構成はすっかり欧米食型になっています。学校給食でも、栄養士さんは何をめどにするか。カロリーと動物性蛋白質です。要するに白米や白パンと肉があれば、これで栄養は足りたとしております。皆様のお食事でも白いごはんとお魚や肉、それにちょっと添えに野菜を食べる。これが大体今の食事パターンです。こういう事をしますと、日本の土地ではミネラル、ビタミンの欠乏が起こって、これだけでも病気のもとを作ります。
お奨めしたい事は大豆、芋、野菜、麦、黒い米(5分つき米や7分つき米)、植物油、雑穀、海草、こういった物を十分に食べ、食事の中心にすることです。病気になって栄養だと言えばすぐに、それ牛乳だ、それチーズだ、それ卵だと言いますが、こんなことをやると病人を殺してしまうんです。
白いパンや白いごはんや肉やら魚やらことに白砂糖をたくさんとっておりますと、病気になります。今の子供を見ていると白いごはんにハムとソーセージと卵以外は食べない子が多いのです。それにチョコレートを食べ、缶ジュースを飲み、これでどうして生きているのだか不思議に思う子がたくさんいるのです。生命の不思議とはこの事だなと思いますよ。理屈から言うと、生きておれないはずの子が生きているですね。しかし、その子らはみな青黒い顔をして「疲れた疲れた」と言ってお母さんに肩をもんでもらっている子です。

 

 

食塩を取り過ぎないこと

 

もう1つ注意しなければならないことは食塩を取り過ぎないことです。薄味の習慣をつけるのがよろしいんでして、現在、我々は食塩を取り過ぎる。日本の北方のある県へ行きますと、ご飯をたくさん食べて塩からいおかずを少し食べる習慣があるのですが、そこでは40歳を過ぎると脳卒中で死んでおります。その県でもたくさん海草を食べる習慣をつけておる所では長命しています。倉敷中央病院長でいらっしゃった遠藤仁郎博士は芋、豆、菜っ葉という言葉をよく使っておられます。日本人は芋と豆と菜っ葉をたくさん食べること。ごはんは黒く、少し少なくする、と。

 

 

動物性たんぱくのとり方について

 

私は過去30数年間、患者1人ひとりの食べ物の話を聞いてきたから、食べ物と病気の関係はちょっとよく知っています。肉をたくさん食べる家庭には大病が多いです。今の若い人は肉をたくさん食べますけれど、将来、大病が出ます。これが私の長い間の臨床経験です。どういう病気が出るかといいますと、肝臓障害、胆石症、胆のう炎、腎臓結石、すい臓炎、心臓血管系の病気などで、長命は出来ないのです。これは気をつけなければいけない。
日本人に1番合った動物性の食物は何かというと魚です。魚が1番、害がないようです。ただし養殖の魚は避けていただきたい。これには、いろいろとおそろしい薬を使います。
それから卵や牛乳、乳製品も適当に食べていただいて結構ですが、卵をあまり食べ過ぎると具合が悪い。養鶏している家で1人当たり日に5個も5個も食べる家がありますが、よくない。
私が出会った患者さんで、1番極端な例は1日に12個以上卵を食べ続けた方です。この方は蛋白ノイローゼでありまして、タンパク質をたくさん食べなければ自分は死んでしまうと信じていました。朝起きるとすぐに4個、生で飲むのです。体の具合が悪く、青黒い顔をして、ほうぼうの医者を回ったけれど、どうしても治らない。大病院で調べてもらっても原因は分からない。ひょっこり私の所へ見えたのです。私の所の特徴は、まず食事を調べることですから、食事を調べて初めて、その方が1日に12個以上も卵を食べているという事実を知ったのです。私は「これが原因だからこれは絶対いけない」と言ってあげたのです。非常に感謝するだろうと思って言ったら、かんかんになって怒り出しました。「何を言うんだ、私はこのおかげで命を保ってきたんだ。それを止めろとは何事だ」というわけです。「いやそうじゃないんだ、このおかげで生きているのではなくて、これで病気になるのだから卵1個だけにしておきなさい」と言ったら、そんなばかなことはないと言って怒りましてね。あまり言うととうとう来なくなってしまった。それから後、その方は死んでしまいました。卵に殺されたのです。非常に忘れられぬお方です。卵はあまりたくさん食べてはいけない。適量は1日1個か、せいぜい2個くらいがいいだろうと思われます。また出来るだけ自然卵がいいだろうと考えております。
(以下、次号に続く)

 

 

梅のある暮らし

 

冬に食べるスイカ、夏の白菜・・など、今はそれぞれの野菜の旬とは関係なく、いつでも欲しい野菜や果物を買うことができます。トマトやピーマン、きゅうりなども本来は夏野菜なのですが、1年中食卓に並ぶため、夏の野菜という感覚があまりないようです。
そんな中でも、梅は昔から変わらず「旬」を感じさせてくれる自然の恵みです。梅には素晴らしい薬効があります。生の梅の実にはビタミンやミネラルなどはあまり含まれていませんが、梅干しになるとクエン酸、リンゴ酸、コハク酸のほかカロチンやカルシウム、カリウムなどがぐんと増え、胃腸の働きを活発にして食欲を増進させてくれたり、疲労回復に効果を発揮します。また、食物繊維を多く含むため整腸作用があり、便通をよくします。お弁当に梅干しを入れるのは、梅干しに防腐・殺菌作用があり食中毒の予防にもなるからなのです。「梅干を日ごと食べれば福を呼ぶ」「梅はその日の難のがれ」など、昔から梅にまつわる言い伝えはたくさんあります。
梅はほんの少し手を加えるだけで美味しい保存食になります。手作りすると味加減もお好みで調節できますし、何よりも安心です。梅が青い時には梅ジュースや梅肉エキス、少し黄色くなると梅干し、完熟の梅になると梅ジャムもおいしく作ることができます。しそ漬の紅生姜にも梅酢が欠かせません。
梅のレシピにはいろいろなものがありますが、今回はしょうゆ漬けと煮梅の作り方をご紹介したいと思います。煮梅は朝日新聞で掲載されたいのちのスープの辰巳芳子さんのレシピです。時間はかかりますが、美味しく出来上がった時の達成感をお楽しみください。

 

 

◇ 梅のしょうゆ漬け
材料 青梅500g しょうゆ500cc

 

1. 青梅は、丁寧に水で洗い、水気を充分にきっておく。
2. ヘタを竹串などで 丁寧にとり除く。
3. 殺菌した保存ビンに青梅を入れ、しょうゆを注ぎいれる。
4. 梅が乾かないように、表面をガーゼでおおう。
このまま冷暗所で保存し、時々、混ぜて様子を見る。20日程でしょうゆに梅の風味が移ると食べごろです。
梅しょうゆは、冷奴や刺身、お浸しなど、夏の食卓で重宝します。梅は、ご飯のおかずや酒の肴に。常温保存なら2から3ヶ月、冷蔵保存すると約1年間 、美味しく食べられます。

 

 

◇ 煮梅
材料 青梅1kg 水5カップ 塩半カップ
ザラメ800gから1kg 水6カップ

 

 

1. 梅を洗ってヘタを取り除く。竹串を突き刺して梅に付き1個につき7、8か所の穴をあける。
2. 分量の塩水を煮立て、冷ましておく。
3. 冷ました塩水に梅を入れ、陶器の皿で落としぶたをして、3日間漬けておく。食べてみて苦みがなく、コリコリした歯ごたえになればよい。
4. 3日経ったら、梅を細い水流で丸1日さらす。(水道の蛇口に布を巻きつけ、その布の先が梅の底に来るようにして水を流す。対流により塩分とアクを抜く)
5. 4をたっぷりの水で、中まで軟らかくなるまで約30分間静かにゆでる。
6. 火を止めてそのまま冷ます。
7. 再び流水でさらす。途中で塩の抜け加減、酸味、苦味を味見して確認する。(酸味、苦味をみて、納得感を限度とする・・これは、辰巳芳子さんの表現)
8. 蜜の材料(水と砂糖)を火にかけて煮溶かし、冷ましておく。
9. 梅を冷めた蜜の中にそっと入れ(この時、手で入れるとよい)、紙の落としぶたをし20分ほど弱火で煮て、そのまま冷ます。
10. 消毒した容器に梅だけを移す。
11. 蜜はアクを取りながら、3分の2になるまで煮詰め、よく冷ましてから、瓶の梅を覆うように静かに注ぐ。
冷蔵して4、5日すると、味がなじんでくる。長期保存の場合は、糖度をあげる。煮詰める時に砂糖を加えれば良い。
残ったシロップはゼリーやシャーベットにすると、美味しくいただけます。

 

 

以上、ちょっと手間暇はかかりますが、この季節にじっくり時間をかけていろいろ作ってみてはいかがでしょうか。手作りして上手にできると、ついついお裾分けしたくなります。そんな時のために少し多めに作るのがおすすめです♪

 

 

農場便り 6月

 

春の柔らかい日射しは去り、盛夏のような厳しい日射しが頭上から容赦なく振りそそぐ。額には玉の汗、首に巻いたタオルもずっしりと重くなった。北の高気圧から南の高気圧に変わり、大気は一気に湿気を含んだ空気となった。
また今年も1年で最も忙しい季節となり、日々、夏作の農作業に追われる。5月の空、風をはらみ力強く泳ぐ鯉のぼりとは真逆にアップアップの農場である。早春より逐次播種して育てた苗を植え時を見計らい、圃場へと植え付けてゆく。畑に直播した小松菜も順調に育ち、頭の上をモンシロチョウの舞う姿が目に入る。きゅうり、パプリカ、赤紫蘇、ゴーヤ、オクラも芽を出し始めた。キャベツは何回かに分けて播種をし、育った順に定植、それも残すところあと僅かとなった。春先に定植したキャベツは大きく育ち、6月下旬頃から出荷が始まる。
新緑も色濃くなった農場の雑木林にほど近い畑にカラーピーマンの苗を定植する。播種は3月初旬、弱々しかった苗も逞しく育ち15から20cmの苗になり、いよいよ門出の日を迎えた。50cmの株間で赤色を160本、黄色を80本、1本1本丁寧に植え付けてゆく。塊になっている土を手でもみほぐしながら根にやさしく土をかけ、最後は両手で根元を軽く抑える。固い土の塊は、前作のゴボウの収穫の際に1m近く掘り起こされた土で、有機質を含まない黄土色の土である。46億年前の地球誕生以来、光を見ることなく眠っていた土が私の手によって深い眠りから目覚め、以後、耕作土として有機質と手を結び、作物を育て上げる土へと変身する・・・などと、農作業中のこんな妄想も私の楽しみであると共に、キツイ仕事もこのような楽しいことを考えながらやると辛さが軽減される。
夏を迎えたこれからのシーズン、スーパーなどの野菜コーナーには清涼高原野菜と書かれた立派なキャベツが並ぶ。夏の高原の地の利を生かし、レタス、白菜、ブロッコリーカリフラワーなど、最近ではホウレン草の雨除け栽培も行い都会へと出荷される。慈光農園で夏キャベツは出来ないものか、とここ数年チャレンジしてみるが、あまり芳しくない結果である。しかし、本年も懲りず、負けるものかと夏キャベツの栽培に挑む。4月中旬から下旬に播種し、5月中旬に定植を行った。今まで何度か栽培した品種を他の品種に変え、あれこれと浅知恵をしぼり、今年こそはと意気込む。本年度チャレンジする栽培法を紹介させていただく。
YR50号という品種のキャベツを128穴のトレイに播種をする。これはかなり以前によく使われた品種で、農薬の使用が絶対条件の現代農業ではまず使用されない品種である。病気に強く、生命力も強いため当会のような荒土でも生育可能である。播種後3から4日で発芽、約1カ月の育苗、終日水分を切らさないように注意をする。栽培予定地には約1カ月前からあらかじめ1年半かけて作った完熟堆肥と石灰を全面散布し、浅く軽く耕運し土となじませる。無農薬栽培での夏作の葉菜類は、完熟堆肥であっても、大量に入れると病虫害発生の元となるためご法度である。害虫が潜む周りの草地もきれいに刈り、片付けておく。
1カ月で苗は育ち、いよいよ本圃に定植をする。予め用意しておいた120cm幅の畝に株間30から40cmで2条に植え込む。この畝は梅雨に大量に降る雨から根を守り、空気の通りをよくするため出来るだけ深い溝の畝にする。定植して10日たった頃から高温多湿の日が続き、条件は揃った、とばかりにいっせいに芽を切る雑草達、軽く10種類はあろうか。そこで、除草ぐわを使い雑草をきれいに削り取ってゆく。この初期作業を怠ると、育った雑草にキャベツが負けてしまう。強靭で生命力旺盛な雑草は一度位削られてもまた発根し、食い下がってくる。しつこい草は手で引っこ抜き畑の外に捨てる。この除草はこの時期かなり厳しいが、後々の草のことを考えると少々の暑さには負けてはいられない。
キャベツは育ち、追肥の季節を迎える。しかし、ここで甘やかせて美味な油粕などを与えると、これまた病害虫を発生させてしまうおそれがあり、敢えて追肥はせず元肥だけのがっちりしたキャベツに育てる。その頃、葉の所々に穴が見える。葉をひっくり返すと青虫、コナガなどの幼虫がしきりに葉を食べている。大きさは糸くず位の太さ、2、3日で2倍の大きさになるのを待ち、そっとつかまえ林の奥へと放つ。
日増しに大きくなるキャベツの外葉に梅雨の晴れ間の強い日差しが降り注ぐ。湿度は上がり、畑の中はサウナ状態となる。キャベツは冷涼な気候を好むので高温多湿は大敵である。そのような彼らにとって最悪の環境の中栽培を試みる。一般で市販されているキャベツやレタスなどの葉物は大量の農薬と化学肥料を使用した薬漬け栽培で、安全と健康を謳ったものでさえも、低農薬や特別栽培のものが多いので、くれぐれもご注意いただきたい。当会の農産物は直営農場、協力農家ともに40年来、完全無農薬栽培で生産されてきた。真夏の食卓にキャベツを、との思いで栽培実験を繰り返す。あとは8月、9月に大きく育ったキャベツをお届けすることが出来るようにと願うばかりである。
ウツギ(うの花)の白い花が濃緑色の山々に色を添える。南から吹く湿った風が山桜の木を揺らす。地上には真っ赤に熟した実がたくさん落ち地面を埋め尽くす。小さなルビーをちりばめたかのように山桜の実は美しく輝く。遠くからホトトギスの声が聞こえる。目にウツギ、耳にホトトギス、大自然の中での労働以外では味わうことのできない4季折々の贅沢な時間である。うの花が夕日に輝き染まってゆく。終日の農の清らかな疲れが体を覆い包み込む。

 

 

あの声で 蜥蜴(とかげ)食(く)らうか 時(ほと)鳥(とぎす)    榎本其角作