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慈光通信 第157号

2008.10.1

生命を守る正しい農法の追求 8

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和47年8月20日 財団法人協同組合経営研究所主催 第2回夏期大学における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

まずくて腐りやすい米や野菜

 

第二は材料そのものの欠乏です。このごろの米はずい分まずいですね。昔の米は、台所で炊いていますと、玄関に入ってきたら、プーンと米のにおいがしたんですが、いまの米はそんなにおいはしないです。お酒でも灘とか伏見のいい酒屋さんは、全部今の化学肥料と農薬を使った米では作っていないんでして、いい酒は全部昔ながらの堆肥で作った米でやるんです。そうでないとこくのあるいい酒はできないんです。
野菜にしても、まずい、そして腐りやすい。果物もまずくて腐りやすい。果物屋さんにおうしん行きますと泣かれるんですよ。西瓜なんか、昔は置いておくと中からずるけてきたものです。このごろの西瓜は外から腐ってしまうんです。じきに腐ってしまう。そしてまずい。りんごでも、外は見た目にどうもないが、中を切ってみると、アン入りというのが多くなりました。中が真黒になっているのです。これは腐りやすいのみならず、分析的に見ても非常に鉱物質やビタミンが少ない。たとえばトマトのビタミンCは、最近のものは堆肥で作ったものに比べると非常に少ない。半分もないという報告をたくさん聞いています。白菜のビタミンCでも半分以下です。
このように、たつえたくさん野菜を食べても、材料そのものが欠乏をおこしているのではどうにもならない。女の方に貧血が多いというのも、そういうところに原因がある。女の方はメンスがあり、鉄が失われるのが多い関係で非常に貧血が多いんです。
なぜ農作物にこういって欠乏が起こってくるか、これは近代農法の誤りにある。現在の化学肥料と農業を主体にする農法の誤りから起こってくるということを、私は主張しているわけです。私は材料の組み合わせをやかましくいっている間に、農作物の栽培方法によって、ずい分その味や、腐り方や成分が違うことに気づいたのは昭和二十七年でして、それから農業に興味を持ち、農家と協力して農業の研究をやってきたものです。
これまでの農業は、量を多くとる。いわゆる企業として金を儲けようというためにだけ農業が遂行されてきた。しかし農の本来の姿、本来の目的はわれわれの生命を養う材料を作るということにあります。だから生命ということを忘れて、ただかっこうだけ、ただ目方だけということに専念してきた。そこに非常な誤りがあると考えるのです。
そもそも化学肥料という概念は、今から一二〇年前に、ドイツの化学者リービッヒが、植物を引き抜いて、乾かして、焼いて、そしてその灰を分析して、窒素と燐とカリを見つけたのです。
彼は化学者であって、農学者でもなければ百姓でもなかったんでありまして、逆にこんなことを言い出したんです。灰を分析すると、窒素と燐とカリがでてきた。だから、窒素と燐とカリの化合物を土に施せば、植物はそれを食物としてよく繁殖するんだ、と。こういうことをいいだした。植物無機栄養説というのがこれでございます。その後、分析の結果これ以外にもたくさんの微量要素、硼素とかマンガンとかが必要な事が分かってきて、付け加えられましたけど、根本的な考え方、植物を乾かして、焼いて、灰にして、それに酸やアルカリや熱を加えて分析して、その結果でてきたものを化合物として植物に与えれば、植物は大きくなるんだという概念は同じなんです。ここに誤りがある。これは無機農業の根本的な誤りだと思うんです。

 

 

[ここにご紹介する一文は、1977年刊の京大医学部機関紙「芝(し)蘭(らん)」に掲載されました医学博士遠藤先生のお書きになられたものです。遠藤先生は日本の青汁療法の創始者で、この青汁療法は慈光会前理事長故梁瀬先生も積極的にその治療に取り入れておられました。現代では難治と言われる様々な病気に多くの治癒例をみた、と伺っています。現在、アトピー、アレルギー、農薬中毒、化学物質過敏症など、現代医学の対処療法では完治しにくい病に悩んでおられる方も大勢いらっしゃると思います。慈光会の協力農家や職員の中には梁瀬先生のご指導の元、青汁療法で完治した者も大勢おります。ご参考にしていただけましたら幸いです。尚、この文章は、医師を対象として書かれていますので、少し注釈を付け加えさせていただきました。]

 

 

青汁の事 (1977年 芝(し)蘭(らん))
遠藤仁郎(倉敷中央病院院長)

 

 

ユニークなことをやっているようだから、何かを、とのことである。多分、30数年らい興味を持っている、というよりは、むしろ憑かれているというほうが当たっているかもしれない、青汁のことだろうと思われるので、ともかく、あらましを書いてみることにした。何分にも、憑かれたもののたわごと、通俗的な雑文、叱られるか、嘲(あざわら)われるのがオチであろうが、ごかんべんいただきたい。

 

 

青汁はナマのナッパのしぼり汁

 

 

ただし、これが、50?60年も前西欧でいわれた、液状菜食や、戦後入ってきたハウザー食、あるいは、最近ブームの生野菜汁と違うのは、これらがいずれも、ナマの野菜・果物の絞り汁であれば、何でも良いのに対し、私のは、緑のナッパ、それも、質の良い、つまり、すべてのビタミンにとみ、吸収されやすいかたちのミネラルにもとんだ緑のナッパだけにかぎられた、文字どおりの青い汁であることである。
なお、この生葉汁の応用は、今にはじまったことではなく、搗(つき)汁(じる)、檮(とう)汁(じる)、杵(しょ)汁(じる)などの名称で医(い)心方(しんぼう)(編注:わが国最古の医書;982年)や本草綱目(ほんぞうこうもく)(編注:中国の薬学著作;1578年)にも数多くの記載が見られる。
ねらいは、これによって、食を完全にし、食の誤り(欠陥栄養)のための体調不良をのぞき、ますます健康になり、病気を防ぎ、治りをよくしようというもの。

 

 

現在の習慣食

 

 

現在一般に、精製穀物・動物食にかたむき、野菜のとり方が少ない。しかも、高度に加工され(精製・調理)、濃厚に味付けされた贅美食の飽食。酒、菓子類の乱用。
ために、熱量、蛋白質が多すぎ、これらに釣り合うべきミネラル・ビタミンは甚だしく不足するという不完全(欠陥)栄養になっており、あまつさえ、不自然・不合理な生産法、加工食品の氾濫のため、食品自体すでに劣質化し、有害有毒化さえしている。
その他、環境の汚染、運動・鍛錬の不足、ストレスの過剰、喫煙・強烈な嗜好品・薬品類や放射線の乱用等、あまりにも不自然・不合理な日常生活にもあずかって、代謝は不完全となり、血のにごり(瘀(お)血(けつ))をまねき、これが不健康や厄介な病気の多発を原因しているのではないか、と考えられる。                                (以下、次号に続く)

 

農場便り 10月

 

からす瓜が秋風に揺れる。青く澄んだ空には、いわし雲が偏西風に乗り西の空から東の空へと流れてゆく。農場の畑や草むらのいたる所に張り巡らされた蜘蛛の巣も朝露に濡れ、秋の深まりと共に糸は太く硬くなる。夏の疲れは秋風に癒される。今年の夏を振り返ってみる。
7月下旬 日本列島は猛暑に見舞われた。日照りが続き、天からは一粒の雨も落ちてこない。川の流れも水位を下げ、用水路の水はチョロチョロとしか流れず、カエルが気持ちよさそうに水浴をする。作物に引く水も中々回って来ず、乾燥に弱いナスが夏バテを起す。弱ったナスにテントウムシダマシが付き、食害が始まる。葉はボロボロになり、その害は小さな実にまで及ぶ。木は益々弱り、花も付かない状態となる。いつもなら作物の紹介をさせていただくところであるが、今回は憎きテントウムシダマシについてレポートさせていただく。
テントウムシダマシ類ではニジュウヤホシテントウとオオニジュウヤホシテントウがよく知られる。テントウムシの代表のナナホシテントウがアブラムシ(アリマキ)を食べてくれる益虫なので、テントウムシはみんな益虫だと思われているが、ニジュウヤホシテントウはナスやジャガイモを激しく食害する?大害虫?である。テントウムシとは似て非なるという意味で?天道虫騙し?と呼ばれる。正式な名前は、28個の星がある天道虫という意味で、ニジュウヤホシテントウ(二十八星天道)と呼ばれるが、俗称のテントウムシダマシの方がよく知られている。成虫は体表面が細かな毛に覆われていてナナホシテントウのような光沢がなく、幼虫も成虫と同様に作物を食害する。成虫の体長は6?7mmで、幼虫・成虫ともに表皮を薄く残して葉裏や果肉を食害し、食害痕が階段状に残る。ナス以外にナス科のジャガイモ、トマト、ホウズキでも被害が多く、カボチャ、スイカ、キュウリ、インゲン、ササゲなどでも加害する。
害虫とは人間の立場から見たもので、自然界や生態系から見れば「生命が弱った生物は淘汰される」というごく自然な姿である。害虫に負けないためには、生物を弱らさないよう、より努力をしなければならない。しかし、ここで諦めないのが当農場である。少ない水を引き入れ、弱った枝葉を切り取り、日々の観察を続ける。その甲斐あってか8月下旬には力強い花が咲き始め、秋ナスとしてたくさん収穫をする事が出来た。8月にはゲリラ雨が全国各地を襲う。当農場にも黒雲に乗った風神雷神が押し寄せた。雷光、雷鳴と共に近くの山林に落ちてゆく。大粒の雨は大地を叩き泥水へと姿を変え勢いよく畑の中を流れる。きれいに立てた畝も野菜の種と共に大自然の猛威に飲み込まれてしまう。1?2時間も経てば、黒雲は去り雲間より光が射す。2?3日後、泥水の猛威から逃れた種が芽を吹き、土を持ち上げる。しかしその数は少なく育つには至らない。
30年間の農業人生に於いての初の挑戦であるパプリカとオクラの栽培、3月に種を蒔き、苗を仕立て圃場に定植し、成長の過程を見守った。盛夏、大きく成長したわわに実をつけた。真っ青な大きな実に色の変化が現れ始め、2?3日で赤や黄色に美しく着色したものを収穫バサミで切り取る。初の収穫というものは何ものにも変え難い農の悦びである。そのバカ喜びしている姿を隣の畝からオクラが見ている。成長したオクラは、葉の付け根に花を咲かせ実をつける。花の咲き終わりから2?3日で細長い実を収穫する。これも初挑戦、実の成長を見計らって無防備な姿で収獲に入った。2?3個収獲した頃、顔が何やら痒くなって来た。次に首すじ、手の甲など露出しているところがみるみる真っ赤になり、とても痒く我慢の限界である。背丈が2メートル以上に育ったオクラの葉や幹、実にはびっしり毛が生えているため、それが柔肌を攻撃するらしい。初作品の収獲にケチがつく。それでも何とか収獲を終え、家に逃げ帰り、例の如く話に尾ひれをつけ何倍にも大げさに話をする。同情してもらえると思っていた家人の反応は、「あら、知らなかったの?」・・・何で言ってくれなかったのか・・・。その答えは普段の私の生活態度にある、と反省した。翌日からのオクラの収獲の時の出で立ちは、真夏にヤッケを着、大きな顔には頬被りにマスク、知らない人が見たならば完全に怪しい人である。こんな姿での収獲が10月まで続く。
夏が去り、初秋へと季節は移行してゆく。夏、我が物顔で伸びに伸びたキュウリのつるも今は枯れ、雑草の中から寂しげなコオロギの声が聞こえる。この夏はたくさんの実をいただいた。枯死したキュウリ畑に向かって感謝の気持ちを伝える。これから畑には秋冬の葉菜が育ち、会員の皆様のもとへ届けられる。秋が育ててくれた野菜の芋、豆、菜っ葉で食卓を賑わせ、秋の夜長をほっこりした気持ちで楽しんでいただきたい。黄金色の中、真っ赤な曼殊沙華が田圃のあぜに咲く。4?5日で盛りは過ぎ色あせてきた。お百姓さんが手間ひまをかけ育て上げた稲穂、刈り取りを終えると苦労が喜びへと変わる。美しい日本の農村風景である稲刈りとは裏腹に、輸入事故米の記事が紙面を賑わせる。日本の食糧事情は嘘と偽装で溢れかえる。日本国民の美徳と教えられた道徳心は何処へ行ってしまったのであろうか。20数年前のバブル景気と共に泡と消えてしまったのだろうか。刈り取られた後の田圃には切り株だけがきれいに並ぶ。秋の落日、夕日が美しく西の空を染める。田畑の隅ではコスモスの花が夕日に映える。時折吹く秋風は人々の心の中に詩(うた)を運んでくれる。

 

 

 

コスモスが秋風に揺れる農場より