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慈光通信 第233号

2021.6.1

食物と健康 14

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

3、食物と健康

 

第2 毒物について

 

農薬の害について

 

それから、先程もお話がありましたが、農薬の蓄積問題です。これについて、私の見解を述べさせて頂きます。
現在、塩素系統の農薬(DDTとかBHCとか、エンドリンとかアルドリンとかディルドリン等々)のみが人間、動物体内に残留するからという理由で、悪者にされています。ところが、私の臨床経験からいって、実際に有機燐剤ばかり使って、塩素系農薬を全然使っていない方にも、慢性中毒の方がたくさんいます。石川先生がおっしゃっている眼の症状につきましても、低毒性有機燐剤によって起こることが非常に多い、ということが報告されているのです。
そもそも農薬中毒は、体に多量の農薬が溜まるから中毒が起こるのだ、体内に残留が少なければ中毒は起こらないのだ、という考えは、誤りだと私は信じています。
人間の体を一つの水槽に例えてみます。ここへ五センチメートル径のパイプで水を入れ、10センチメートル径のパイプでそれを汲み出すという水槽には水は溜まらない。こういう例を頭に思い浮かべるわけです。だから低毒性の有機燐剤ですと、すぐに体内で分解し、排泄してしまい、残っていないから害はないのだ。有機塩素剤、水銀剤、砒酸鉛等は排泄が悪くて溜まるから悪いのだと考えます。ところがこれは、あくまでも水槽のような空の容器を人間に譬えるから出てくる考えです。人間の体というものは、こんな単純な器ではないのであって、何千という歯車がお互いにかみ合ったような複雑な酵素系が、私たちの生命体なのです。農薬はこの複雑な歯車系の回転の阻害者です。したがって最終的に排泄されるとしても、その途中で歯車の回転を平滑にさせないのです。
私は、農薬の害には農薬自身の蓄積による害の他に、排泄される過程中に起こす作用の蓄積ということが、臨床的に見られることを申しております。作用が蓄積するのです。
すなわち最終的には、我々の体の中で分解され、我々の排泄機能によって排泄されるにしても、すでに酵素系統に障害を与えているのです。
悲しいことに、日本の農薬使用量は、単位面積にしてアメリカの七倍、ヨーロッパの六倍という驚くべき量であります。数で七倍と申しますと、お米にしてみますと二合のご飯を食べる人が、一升四合のご飯を食べるとすると、米でもお腹がパンクしてしまいます。体に入る毒物が七倍といったことになりますと、これは実に、薬用量から一気に致死量になってしまうと考えられるわけです。だから我々の民族は、世界で最も早く、農薬公害による没落民族になってしまう。日本民族は世界最初の農薬害による没落への道を歩んでいると考えられるのです。これが日本の酸性土壌と、日本の高温多湿の、アジア式モンスーン気候と結び合いまして、ますます多量の化学肥料、ますます多量の農薬を投入しなければ、農業が経営できないような事態に、追い込まれつつあります。先ほど申しましたような悪循環が、ヨーロッパのような水成岩性のアルカリ土壌、あるいは雨がまんべんに降る、空気の乾いた地方に比べて、はるかに速いスピードで行われている、と考えなくてはならないのです。
日本に於いては、ますますもって、この近代農法を恐れなければいけないのであります。
工場公害について
それから、私たちは、その他に毒物といたしましては、植物の中に含まれております、様々な工場排泄物による毒物にも、もちろん気を付けなければなりません。これは今日の議題からそれますので、一言だけ付け加えて終わらせて頂きます。
先ほども触れましたように、この工場公害を受けるにつきましても、正しい食生活をしている人は、害を避けやすいという事実があるわけです。イタイイタイ病は実に悲しい事件ですけれども、しかし全員がかかったわけではない。わずかの人しかかからなかった。このことは、我々に重要な示唆を与えてくれるものです。
応急措置として我々は、ともかく欠乏食を防がなければならない、ということをよく考えなくてはなりません。

 

以下、次号に続く

 

 

黄砂って?

 

今年もまた黄砂が屋根や車を黄色く染め上げました。黄砂が日本にやってきたのはこの10数年程のように思われていますが、実は数万年前から既に日本に飛来しています。江戸時代の書物には、「いにしえより黄砂は霾る(つちふる)と呼ばれる」と記載され、「つちふる」は春の季語にもなっています。
黄砂とは、タクラマカン砂漠やゴビ砂漠の乾燥・半乾燥地帯に広がる細かい砂粒が風に乗って空高く吹き上げられ、大気中に広がり空一面を覆う現象をいいます。冬の間はゴビ砂漠の地面が雪に覆われているので砂が舞い上がることはありません。しかし、春になると雪が溶け、風速十数メートルという強い風がシベリアから吹くと砂が上空へ舞い上がり、東へ流れる偏西風や低気圧が日本まで黄砂を飛ばしてきます。夏になると半乾燥地に下草が生え、砂が舞い上がりにくくなるので黄砂が減少する、というわけです。
黄砂はたいてい大気汚染物質と一緒に飛来してくるので、黄砂が増えると喘息患者の通院の頻度が高くなるといわれています。風邪でもないのに喉がいがらっぽくなったり、咳が増えるなどの健康被害が多くなることで黄砂の飛来を知ることもあります。
最近、新聞のコラムでこんな記事を見つけました。

福岡に広島、大阪各地をくすんだ景色に換えた黄砂はきのう、東京など東日本にも及んだ。洗濯物は干せないわ、視界がかすんで運転が危なくなるわ‥‥迷惑なものとばかり思っていたところ、KODOMO新聞の先週号で意外な記事を読んだ。地球の生命を支える役割もあるらしい。海の小魚のえさとなる植物プランクトンは黄砂の運んでくる鉄分を栄養に育つという。微生物を運んでくることもある。近畿大学教授の牧輝弥さんは、能登半島沖の上空で採取した黄砂から納豆菌を発見した。空から海から恵みを運んできてもらっているかと思うと、つちふる景色が違ったものに見えてくる。大陸から吹く季節風のもと、大いなる春があるのだろう。
(読売新聞 編集手帳より抜粋)

黄砂が増えると視界が悪くなったり、洗濯物を外に干すことができなくなるなど、嫌なイメージが多いのですが、黄砂にもいい面があるという記事です。黄砂はアルカリ性の土壌のものなので、雨に混じると酸性雨を中和します。さらに、沿岸から遠い太平洋は普段、貧栄養状態ですが、黄砂の飛来によって鉄分・ミネラルを海水にもたらし、プランクトンの生育を助け、それが魚のエサになり、海を豊かにする、という効果もあります。
普段の私たちの生活には迷惑な黄砂にこんな働きがあったとは、驚きですね。

 

 

農場便り 6月

八十八夜の別れ霜、美しい春の景色から力強い初夏の景色となってゆく。大地では植物が重い土を持ち上げ、クレバスのような割れ目が地表に現れる。引き抜かれ、刈り取られ、蹴散らされる雑草とは違い、作物たちには柔らかくふかふかの大地が与えられ、発芽に必要な水分をたっぷり掛けられ、花よ蝶よと育てられる。
早春に播種を行った2種類のゴボウが、我先にと土を持ち上げて芽を吹き、畑に真っ直ぐな緑の線を引く。4月中旬に発芽し芽が出揃うと、緑の線の際まで除草を行う。成長の早さが違う雑草にはゴボウですら太刀打ちが出来ないため、鋭利な除草鍬で土と共に草の芽を削ってゆく。4月も下旬に近くなる頃、青空の中に最後の山桜の花びらが舞い、やさしい風に乗って畑の中に降ってくる。桜吹雪とは違い、ハラハラと舞う花びらが何とも優雅である。地上では今芽を出したばかりのゴボウの赤ちゃんが、ニコニコ顔で上空を舞うピンクの花びらを見上げる。
しかし、そんな美しい光景の中、真っ黒な玉のような昆虫がホバリングを繰り返し、自分の縄張りに侵入してきた他の虫を一撃のもとに追い出してゆく。大きな羽音を立てて忙しなく飛び回るのはクマンバチ、ロシアの作曲家、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」まさにそのままである。しかし、クマンバチを見て私がまず思い浮かべるのは、ドラえもんに出てくる暴れん坊「ジャイアン」。「おーれは ジャイアン♪」と思わず口ずさみ、発想の次元の低さが露呈することとなった。至極残念である。
日本人を狂喜乱舞させるゴールデンウイークもこのコロナ禍では醒め気味の長期休暇となった。毎年、日本中が西へ東へと移動するこの休み、今一度時間のあり方を考え直す時期に来ているのではないか。耕人にとってこの春の時期は作物の栽培の始まりであり、晩秋がほぼゴールとなる。農業の一年では、心身共にいかに良いスタートが切れるかが成功への決め手となる。
美しき青空の下、農作業は続く。賑やかに埋まってゆく畑を見る時、これからの管理作業が頭の中を駆け巡り背中に冷たいものを感じる。春キャベツよりバトンを受けた初夏のキャベツが大きな畑一杯に育つ。キャベツの周りにはモンシロチョウが優雅に舞うが、度を越した数は少々気持ち悪さが先行する。土深く眠っていた里芋もこの暖かさ、というよりも暑さで目を覚まし、白い芽を持ち上げた。生まれたばかりの白い芽を見るだけで、里芋料理アラカルトが頭の中を駆け巡る。どれだけ食いしん坊なことであろう。今から栽培し、秋本番の10月中旬には大きく育った株を掘り起す作業が始まる。イモ類が続く隣の畝に目をやると、この時期まだ発芽の気配すらない山芋が、未だ目を覚まさず、土の中でじっと時を待つ。本年は2種類の山芋を栽培する。一つは今まで通りの大和イモ、これは本年も外すことのできない種類である。他には長芋のテスト栽培を行う。「何だ、長芋か」となる山芋ではあるが、普通に栽培(畑に直接植え込む)したところ、長芋というだけに土中深く根を伸ばし、収穫時には特に粘土質の当農園では、深く掘ることの大変さを心ゆくまで楽しませていただいた昨年の暮れであった。本年は長芋に関する色々な情報を頭一杯に詰め込み、数量を増やしてテスト栽培を行う予定である。その出来栄えは本年暮れの12月の慈光通信でのお楽しみとさせていただく。話を倍に尾ひれをつけて発表させていただければ、試作は順調に進んだ証、もし一行たりとも文中に顔をのぞかせることがない時には、失敗したなと忖度していただきたい。「どうか太く長い山芋を」と神頼みのみで作業は進んでゆく。
5月上旬、まだ青々とした葉が天をも突く勢いの赤玉ねぎは今年が初めての栽培となった。昨年、まだ暑い日が続く9月に播種、11月中旬に畑へと定植を行った。初ものには目がない軽い心の持ち主、赤玉ねぎへの関心は日増しに高まってゆく。はまるスピードたるや尋常ではないが、時間と共に醒めるスピードはもっと速い。大地に大量の堆肥を入れ、後は過湿を嫌うため高畝で手抜き用の黒マルチを張り、糸のような苗を土に挿して完了。後は苗の植穴から顔を出す雑草を取るだけだが、その頃にはすでにオニオン熱は平熱へと戻っている。素晴らしい栄養価を持ち備えているこの赤玉ねぎは、他の野菜とコラボしてサラダにするも良し、薄くスライスしてポン酢でいただくのも良し、しっかり赤玉ねぎを食べて夏の暑さに負けぬ体力を養っていただきたい。アフガンの戦士は玉ねぎの原種を現地調達して生で食し、あの大国ソ連に、そしてアメリカに屈しない体力と気力を維持するという。この赤玉ねぎは5月最終日に無事収穫を行った。
赤玉ねぎに続いてニンニクの収穫も始まる。異常な暑さの春から初夏、早くも耕人は毎年恒例の夏バテが始まる。頭の中は年中バテているが、体力のみの耕人も暑さに慣れるまで年のせいか少々時間がかかるようになった。慣れた頃には心地よい風が吹き赤トンボが飛ぶ季節となる。
太いネギもたくさん栽培し、次から次へと小苗を定植してゆく。ネギには天下の殿様ネギと呼ばれる下仁田ネギがあるが、それを今風に改良して良いとこ取りをした品種を栽培し、その収穫が続く。何となく白ネギと言えば、冬のイメージがある作物ではあるが、この太いネギを使った焼きネギやねぎま等は四季を通じて「うまし」の声が上がる。
ネギの畝の近くには小松菜が育つが、この時期は少々生産過剰気味。播種機での播種はリズムよく、ついつい播きすぎる傾向にある。葉菜の無い時期には重宝されるサラダ水菜も、時期によっては見向きもされないこともあるなど、なかなか調整が難しく、季節にあった作付けが今後の課題である。
ブロッコリーの初夏栽培は今まで何度となく行ってきたが、あまり良いデータを得ることはできない。害虫による食害などは、栽培法で何とかなるが、何ともならないのが気温の上昇である。高温期に入ると「花の乱れ」が起こり良い作物を栽培することが難しいため、毎年研究が続く。いつも「今年こそは」と気合は十分であるが成果が出ないため、今シーズンは思考もメーカーも変え新たな品種の栽培へと着手した。現在、外葉は大きく育ち、モンシロチョウと共に栽培の楽しみを感じる日々を送る。
チンゲン菜は春からの第一弾の収穫を終え、次々と定植を行う。後はいつまで栽培ができるのかは暑さ次第となる。夏の果菜の代表「きゅうり」は早春、湿度が低い時期に第一弾の播種を行うが、低温が災いし発芽が悪く焦り気味。すぐにビニールトンネルをかぶせて発芽を促し、ようやくトレイからポット上げにまで至った。何とか夏・秋きゅうりはキープ出来そうである。少量ではあるが、インゲンも播種を行う。毎年7月に入るとウナギ上りの気温に、いんげんの花は咲けども実が付かず、花落ちが始まる。せめて8月初旬まではとの願いを込め栽培を行う。
これらの山積みとなった作業と同時に当会の農園の生命である堆肥作りも手を抜くことなく行う。今更ではあるが、有識者が堆肥について色々書かれているが、その堆肥作りがどうも複雑である。世の中、物事は複雑になればなるほど人と人との間に深い溝ができる。余計なものを省き単純に考えれば、それが平和へとつながる。我が農園は水分量と好気性バクテリアが好む酵素を十分に入れ、後は土着菌にすべてを任せる、至って単純な堆肥作りをモットーとする。そうして良質の堆肥を作ることにより、必要最低限の労力で健康で栄養価の高い野菜を栽培することができると考えている。
夏に向かうにつれ、畑では様々な野菜が自分達の存在をアピールする。ゴボウやズッキーニ、大根、カボチャ、ゴーヤ、青じそ、トウモロコシ、リーフレタス等々多くの野菜が育っている。八百屋じゃあるまいし、よくもまあこれだけのこれだけの品種を植えたものだ。後の管理を考えもせずに‥‥。カボチャの苗の定植が近づいた5月上旬、昨年のカボチャ栽培を思い出す。長く伸びたつるが害獣除けのフェンスを伝って上り、大きな実を付けた。その身に目を付けたのが野生ジカ、同じ奈良でも春日の鹿は神様の使いで天然記念物、こちらの鹿は憎き害獣。そんなことを考えている間に野生ジカはぶら下がるカボチャの実を次々と食べていった。一晩のうちにカボチャは無残な姿となり、暑い暑い夏の日、後は私の怒りだけが畑に渦巻く。同じ轍を二度と踏むまいと、ささやかな我が知恵を振り絞り新たな栽培法を取り入れた。その名も「ただフェンスから離すだけ作戦」である‥。
農場の裏手にある水槽の方からすざまじ
いカエルの鳴き声が聞こえる。本年も始まったモリアオガエルの恋のシーズン。水槽に覆いかぶさる雑木の枝には真っ白な提灯の形をした泡のかたまりがぶら下がる。恋に破れた雄ガエルは寂しく万感の思いで深い山の中へと帰ってゆく。「負けるな耕人 これにあり」ここまでが春から初夏にかけての農場の様子である。
ひまわりの苗が育ち、畑に植え替える。東日本の震災ですべてを海水に飲み込まれた地に咲いた一本のひまわり。昨年の冬、その種が現在沖縄で島民のためにと頑張っておられる高校の恩師から送られてきた。他の作物と共に播種をし、この春定植に至る。東北より沖縄、そして大和の地へと受け継ぎ、大きく咲く花がこの混沌とした生活の中で一服の清涼剤になれば、と今から楽しみに世話をする。大輪が灼熱の太陽を追う姿を夢見て、災害の犠牲となられた多くの人々の事をいつまでも忘れることのないようにと。

 

素晴らしき農の美しさを上手く表現することができず頭を抱える耕人より