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慈光通信 第183号

2013.2.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 6

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

疲れ ― 回転が悪くなる原因

 

 

ところが、この素晴らしい機械の回転が悪くなる原因を考えてみるとどうか。皆様のエンジンがうまく回転しない時は、ひとつは油切れでしょう。油が切れたら回転しないですね。欠乏です。この欠乏とは何かといいますと、我々の生命のエネルギーを持ったこの生命体が活動するについて常に自然から食べ物という形、空気という形、いろんな形で、いわゆるオイルとしてのエネルギーをいただかなければならない。これが十分に入らない時に欠乏が起こるわけです。
もう1つは機械のギアの間へ砂ぼこりだとかいろんなほこりが入ったら回転しないんです。それと一緒で人間の体に入ってはならない毒物が入ると回転が悪くなります。こういう2つの回転の悪くなり方があります。

 

 

近代農法・近代栄養学の盲点

 

 

食べ物について主として申し上げます。人間の体に必要な食べ物の栄養が入ってこない時は、油切れの状態ですから、回転が悪くなってきます。これには2つの型があります。
1つは皆様もよくご存知であり、保健所でもいつでも指導してくださるように、野菜が足りなかったからビタミンやいろいろ欠乏したとか、肉が足りないから、タンパク質が欠乏したとか、あの欠乏です。いわゆる食事の食べ方、食事パターンが悪いために起こってくる欠乏ですね。これは今もっぱらやかましく言われている欠乏のコースです。
ところが今、この食事のことをやかましく言っておられる方すらも、案外気がついておられない事実が1つあります。これは何かといえば、医学者は農学をご存知ない。農学者は医学をあまりご存知ない。従って、両方の盲点に当たる場所にある問題です。何かというと例え正しく食べてても材料自身に欠乏がある場合です。このごろ、たくさんミネラルやビタミンがいりますから野菜を食べましょうとおっしゃいますけれど、その野菜が化学肥料やあるいはハウス栽培のものにはその成分が非常に欠乏しているという事実です。同じ菜っぱでも栽培方法によって内容が違うということは明らかなんです。今、端境期で何もないのですが、ちょっと見本に持って参りました。これは完全に無農薬で自然栽培したものですが、このホウレン草なんか、すでに3日たっております。けれどいまだにあまりしぼんでいません。化学肥料で作りますと、この根元のところの赤いところができません。ホウレン草の赤いところは甘いのです。ところが化学肥料で作るとホウレン草はあまり甘くないですよ。ほろ苦いです。こういうふうに同じホウレン草でも、甘い、甘くない、根元の赤いもの、赤くないものがでてくるわけです。こういうように内容が違うのです。
またこのハッサクは、ほっておきますと(ミカンでしたらもっとはっきり分かるのですが)皮がコチコチになってしまいます。だけど自然栽培したミカンは皮をむいてみると、実はパチッとはって味は変わっていません。ところが化学肥料で作ったミカンは、ワックスをかけてありますから皮はつやつやしています。しかし、むいてみると、中でしぼんでしまっています。そして食べるとまずい。内容が違うんです。
農作物というものは作り方によって内容が変わってくる。この事実が栄養学の世界で忘れられています。こういう材料自身の欠乏、これは化学肥料とかハウス栽培とか近代農法の欠点からくるものです。

 

 

進む毒物の浸潤と社会

 

 

それから毒物について申しますと、先ほどから度々申しますように、石油化学から作った合成化学薬品が農薬とか、食品添加物とか、あるいは合成洗剤、あるいは医薬品の乱用とかいう形で、我々の体に入り込んでくる。これは、人類がかつて経験しなかった重大な事態なのです。これが現在、起こってきているのです。前述のようにオイル切れが起こって、しかもギアの間に色んなホコリが入っていく。現在、日本人は世界に類のない毒物の侵潤と欠乏の害を受けているのです。この2重のパンチの影響が、この頃出てきているのです。
例えば、この頃若いお母さんは子供を持ってない人が多いのです。また、1人は産んでも2人目は、もうよう産まない人が多いんです。流産が非常に多くなって、出産率はずんずん減ってきたでしょう。また、40歳、50歳の若い人が死んでいくでしょう。今、明治を生きてきた方々が公害を受けかかってから30年ですが、この方々は一応80?90年の寿命を終える。あとは急にがっさりと日本人の寿命は短くなるだろうと考えるのです。
こういうことを農林省の西丸震哉先生がコンピューターを使って、ずいぶんいろいろな研究をされ、ショッキングな発表をなさったことがあります。あの当時から30年ですから、今からだったらもう20年余りでしょうか。20年位先には日本人の人口は5千万人になってしまう。平均寿命は40年を割るということをおっしゃって、みんな驚いたわけですが、こういうことはあってはならないのです。もしこういうことがあれば、もう日本民族は、民族として自立し得なくなると考えられますので、是非、われわれは心しなければなりません。
(以下、次号に続く)

 

 

農場便り 2月

 

 

カーテン越しに光が射しこみ、窓の外からは鳥の鳴き声が聞こえる。けたたましいヒヨ鳥の鳴き声で美しい空間はかき消された。緩やかな日差しに風もなく、静かな元旦を迎えた。窓の外に目をやると、いつもの年なら大峯の山々は白く美しい雪景色であるが、今年はまだ木々の緑が山々を包んでいる。大晦日に菩提寺で1年の感謝と反省、来る年への願いを込め力強く撞いた梵鐘の音が、今も耳に残る。清らかな心は元旦のテレビの雑音によってかき消されてゆく。数日の緊張感のない過ごし方が私の体に染み込む。日が経ち、残り少なくなる休日をカレンダーで見るたび、ため息が出る。
新しい年を迎え1週間がたった。頭の中を支配していた正月ボケも消え去り、本格的に作業が始まる。
平素雑然としている倉庫も暮れの大掃除できれいに掃き清められ、農具は所定の位置に整然と並ぶ。泥まみれのトラクターもきれいに水洗いされ、庫内で新年を迎えた。昔の人は農具にも魂が宿っていると大切に扱ったが、現代人の私は日頃道具を粗末に扱うことが多く、反省しきりである。年間を通じ、幾種類もの農具を使用する。せめて年の終わりだけでもと農具を倉庫の壁一列に整列させてみる。
よく手にする鍬の1つに除草鍬がある。3角形で両面に軽く刃が付けられた小型で軽量の鍬である。次に平鍬、昔からこの地方では、何をするにも便利で1番よく使われていた鍬であったが、今ではそれに代わる便利なものがあるため、以前ほどには使われない。平鍬の隣が3本の刃をもつ3本鍬、形そのままの名がつけられた鍬で「備中鍬」と呼ぶ地方もある。主に荒起こしに用いられ、当農園では今は機械掘りであるが、それまではじゃが芋の収穫には欠かせない鍬でもあった。手掘りをしていると手元が狂い、大切なじゃが芋をよく串刺しにしてしまったものである。今では寂しいかな、この鍬もほとんど活躍する機会がなくなってしまった。次に重量級の1本鍬、唐鍬(とんぐわ)とも言い30数年前、農場開墾の時には雑木の根を起こす作業に使用し、大活躍した鍬である。来る日も来る日も重いこの鍬を振りおろした日々が懐かしく、見る度にこの農場の歴史が思い起こされる。が、今は隠居生活、使用されることはまず無い。次にスマートな形で隅に立てかけられているのがフォーク、洋食の際手にするフォークをバカでかくしたもので、刈った草を片付けるのに使用する。他には、最近参加した畝上げの時に上部の土をきれいに均すレーキ(トンボ)、他に木杭を打ち込むかけや、鉄杭を打ち込む鉄ハンマーなど所狭しと道具が並ぶ。これらの道具によって農業は成り立ち、立派に育った作物を収穫させていただく。しかしながら、罰あたりなことに1本1本手洗いされることはなく、ホースで洗い流す程度のもので、正月のしめ縄も飾られることなく、新年を迎えた。多少罪悪感に駆られるものの「道具さん、この1年どうぞ宜しくお願いします。」と手だけは合わせる。
1月も下旬に入った。1時期、暖かい日もあったが、そうはさせぬとシベリアからの寒気団が農場を包み込む。今年になってからの農場の最低気温はマイナス6度まで下がり、畑土は凍土となり、重量級の私が上を歩いても足跡すら付かない。寒気は周りの景色までも変え、まだ見たことのない死の世界のように感じさせ、背筋に寒気がスッと走る。
農場の周りに目をやると、雑木林にはたくさんのカラスが集まる。鬱蒼とした風景の中、真っ黒な体とこだまする鳴き声、何故か厳冬の風景にカラスはしっくり修まる。日が沈む頃、群れは一斉に飛び立ち、空を埋める。あまりの数に手を止め、空を見上げる。
作物も寒さに耐え、不織布のトンネルの中で育ってゆく。今冬は厳しい寒さに見舞われると耳にし、昨年10月、いつもより多く播種を行った。小松菜、ビタミン菜、サラダ水菜、大根が今収穫を迎えている。小松菜、ビタミン菜は寒さに強いが、サラダ水菜は寒さに弱い。1月、何とか他の野菜の励ましや不織布のおかげで食卓にお届けすることが出来た。大きな体の白菜は、寒さに負けじとギュッと体を固く引き締め、北風に向って畑で鎮座している。金剛おろしが強い日は、ビニールや不織布が飛ばされていないか見回るのも大切な仕事の1つである。強風にあおられ、作物から外れたままにしておくと、朝方に起こる放射冷却が作物に襲いかかる。夜空に輝く満天のお星様が大気の熱を吸い取る。氷点下に下がった空気は大気中の水分を凍らせ、霜となり、野菜の葉の上に舞い下りる。野菜の葉の細胞は破壊され、霜やけとなり変色してしまう。もみじのような私の手に出来るしもやけと同じである。
大地は凍りつく。深く息をすると鼻が針で刺されるように痛い。胸の奥まで入った冷気は体から体温を奪う。1日の作業を終える頃カラスの群れも姿を消す。静寂な世界に戻る。薄暗い倉庫に明かりを付け、作業日誌を書き留める。周りの果樹園に既に人の姿はなく、寒風が枝を切る音だけが聞こえて来る。
帰途につく。雑木林にそって車を進ませる。車のライトに動物の姿が映し出された。心無い人が山中に猫を捨てる。それでも生命力のある猫のみが野生化し生き延びる。車を止め、フロントガラス越しに目を凝らす。薄茶色と黒い毛、猫ではなくタヌキの子供である。タヌキは車のライトを恐れることなく、愛くるしい顔でジッとこちらを見ている。思わず見つめ返す。これで夕食の際の話のネタにしようと思いつく。もちろん話にはかなりの尾ひれがつく。そのうちにタヌキの顔が誰かに似ていることに気づく。その顔が、安倍首相の顔とダブる。ちょっと垂れ気味のまん丸お目々。寒空の下、強く生きる子ダヌキ、たぬきは人を化かすと言い伝えられる。長年に亘り政治は国民を化かしてきた。どうぞ安倍首相、国民を化かさず、素晴らしい国に・・・などと思い浮かべる。子ダヌキは暗闇の中へと姿を消した。「大寒の寒さに負けるな。子ダヌキ君」思わず車中よりエールを送る。
本年も全力で土を耕し、種をまく。これから迎える春、皆様の心に美しい花が咲きますように。そしてこの1年を健康に過ごせますように。

 

 

寒風に負けない農場の古タヌキより