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慈光通信 第167号

2010.6.1

食物と健康と農法 6

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和53年(1978年)4月15日 くらしの研究会主催 寝屋川市で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

農法
化学肥料も農薬も戦争の落とし子

 

 

このような生活をしていても、困ったことに今の農業ではだめなのです。これが問題なのです。皆さんもなるべく無農薬の野菜を入手するようにしてほしいと思います。
農業がなぜだめかというと、今の農学も工学と同じように分析から出てきています。生命とか生態学的存在という事が抜けているわけです。
今の近代農学の話をします。今から120年前、ドイツの科学者にリービッヒという方がおりました。彼は立派な方だったのですが、彼のやった誤った実験が、この地上への一つの呪いになったのです。学者程恐ろしいものはないと思います。彼は植物を引き抜いて乾かし、焼いて灰にして分析し、チッソとリンとカリを見つけたのです。これらの化合物を根に施せば植物は出来るのだ、とこういう植物無機栄養説を立てたのです。
これは植物は生態学的存在であって、これを枯らして生命を無くして灰にして分析し、その出てきたデータを集めれば元になる、という機械と同じような考え方です。そして化学薬品で植物はできるのだという説が世界に広まったのです。
ところがちょうどドイツで空中のチッソを固定する方法が工業的に成功したのです。そしてドイツは第一次世界大戦にふみきったのです。なぜかというと空中のチッソを固定してこれから出てくるアンモニアから、ニトログリセリンという爆薬がいくらでもできる。それから一方ではこれから硫安を作れば植物はいくらでもできる。火薬と肥料があれば大丈夫ということで第一次大戦をはじめたわけです。そしてドイツが負けたのです。
ところが第一次世界大戦の時に作っ
た火薬工場が戦後、化学肥料工場に転化され、どんどん化学肥料が作られるようになり、これを消費するような体制を農村に持ってきたのです。工業のために人間の生活が変わってきたのです。
一方戦争の時に毒ガスの研究が発達して、その知識が戦後農薬となって農業に入ってきました。化学肥料といい、農薬といい、これは戦争の落とし子であって、恐ろしいものです。これが現在の私達の食糧生産をする農学の柱になっているのです。悪魔の落とし子が人間を呪っているようで悲しい事です。

 

 

量産だけの農法
栄養も味も香りも二の次

 

 

私はある時、化学肥料で作ったものは栄養が足りないということに気付いたのです。何故気付いたかと申しますと、私は家の裏で少し畑を作っていました。教えてもらって、うすい硫安をかけていたのですが、こんなことでいいのかと反省をはじめました。その折、よそからいただいた野菜がとてもおいしいのです。それから置いておいてもしぼまない。その家の方に聞くと、牛に踏ませた堆肥をうんと入れてあるというのです。そしてその方は「今のように化学肥料で作っていたら本物は出来ないのだ。堆肥でやらなくてはだめなのだ。」と云われました。そのことに大変興味をもちまして農業の勉強をしようと思いました。
それから篤農家を尋ねまわって色々なことを教えていただきました。ところが、家畜が化学肥料で作った牧草を食べると下痢しやすく、乳房炎など起こしやすい、受胎率が悪くなる、ということを教えてもらい、これは一大事だと思いました。
いろいろ調べているうちに気付いたことは、農学も医学も工学的発想のもので、これは生命と生態学的存在という事実を忘れている。そして農産物の本来の目的は、人間の健康のためにある。また味とか香りとかが人間にとって大事なことであるのに、現在の農法はただ量をたくさんとるということだけに目標をしぼっているという所に誤りがあるということに気付いたのです。

 

 

化学肥料、農薬による悪循環

 

 

そこで私は、医学で生活を探求したのと同じような方法で、植物の生活探求をやったのです。例えば方々廻ってよくできている所とできていない所の作り方を聞いたり、或はウンカが大発生している地区に行ってみます。今の農学ではウンカが悪いのだからウンカに農薬をかければよいのだという論法です。わたしはそうでなく、ウンカが発生するのは、その植物の生活が悪いからだ、だからどうしたらウンカが発生するのか、しないのか、という発想のもとにウンカが発生した所としない所に行き、肥料のやり方、作り方などを研究しました。そうして共通点をみると、どうしたらウンカが発生するのか、植物の生活をどうしたら病気が出るのかということがわかってきます。その他イモチにしろ他の病気もみなその方法で調べました。
そうしていろいろと調べている中に農薬の害に気付いたのです。農薬の問題を調べながら、農家の人の健康状態も調べて回りました。
現在、皆様がおあがりになっている食べ物は、量産ばかりを考えて、生命を忘れた近代農法で作られたものです。この近代農法の基礎になるのは化学肥料と農薬であります。化学肥料を使いますと土が固くなり、空気が通らなくなってしまいます。土はくわを入れますと、バラバラとくずれるようでないとだめなのです。そして空気が通らないと、保水性、保温性がない、スポンジ作用のない性質の悪い土ができ、化学的には酸性になります。そしてミネラルが流れたり吸収不可能になって、土がだめになってしまいます。それからもう一つ土の中のバクテリヤなど微生物が死んでしまうのです。
そうなると植物が健全な栄養が取れない。植物のビタミン、酵素、ミネラル、香り、コクなどは土の中の微生物が作ってくれるものなのですが、これを吸収できなくなるのです。つまり土が死ぬのです。こんな土には植物は出来ないのですが、化学肥料によってインスタント食品を食べた人間みたいに、弱い生命力のない植物ができるのです。こういうものに病虫害が出るのです。これに農薬という恐ろしい化学薬品を使うということは、間違った生活をして出てきた病気を化学薬品である薬で解決しようとする今の医学と同じことなのです。
農薬を使うとどうなるかと申しますと、益虫がまず滅びます。不思議に害虫はそれに抵抗するものが必ず出てきます。こうして余計病害虫の発生になるわけなのです。

このような悪循環をしているのです。
一般に栽培されている梨は非常に農薬を使うものですが、今は十数回薬をかけないと出来ない。食べない方が安全です。柿も専門家でも二回で済んだのが、今は六?八回薬をかけています。これは非常に減産です。農薬を使う時に短時間の間見ると、如何にも増産に見えます。しかし二十年という期間をとってみると減産作業です。それだけの労力と費用をかけなければ同じ収穫が取れないのですから。
(以下、次号に続く)

 

 

フリーライスをご存じですか?

 

 

ほんの数十年前まで、限られた技術者のデータ整理の手段にすぎなかったパソコンも、今や各家庭に普及しています。日本での普及率も60%を超え(2008年のデータによる)、携帯電話と同様、一家に1台のパソコンから一人に1台のパソコン時代も遠い先のことではないのかもしれません。
また、インターネットの普及で、世界中のパソコンがネットワークでつながれ、国を越え、時間を越えて地球規模で情報交換が可能となってきています。自宅に居ながら、膨大な情報を得たり、コミュニケーションを取ることのできる環境は、活用方法によって、良くも悪くもなります。
今回は、そんなインターネットを使った寄付サイト「Free Rice」を紹介します。
「Free Rice」とは、米国のネット上での募金活動の先駆者と言われているジョン・ブリーン氏の発案によるもので、英単語クイズに答えながらボキャブラリーをふやすと同時に飢餓に対する寄付もできるというサイトです。
内容は、言葉の意味を選択肢の中から答えるクイズが出題され、1問正解するたびにお米10粒を世界食糧計画(WFP)に寄付することが出来ます。2007年の開始初日に寄付された米はわずか830粒でしたが、某動画共有サイトなどを通じて、爆発的に広まり、今では総計940億粒以上になっています。人間が一日に必要とするお米は平均1万9千粒なので、490万人以上の一日分のお米が寄付されたことになります。寄付の費用は、ページ上に表示されている企業広告によってまかなわれ、私たちは単にクイズに答えるだけで、実際にお金を支払うことはありません。
さっそく挑戦してみると、問題として提示される単語と同じ意味を持つ単語を4つの選択肢の中から選ぶ形式ですが、英語圏の人を相手にしているサイトのようで、かなり難易度が高い問題です。ただし、出されるクイズのレベルが動的に変化する仕掛けとなっており、正解ならレベルアップ、不正解だとレベルダウンしていきます。
また、英単語の他にも絵画や算数の問題などもあり、飽きずに学ぶことができます。
ただ、サイト内は全て英語で説明されているため、少しわかりにくいかもしれませんが、日本でもこれと同様の取り組みが行われているサイトがあるので、そちらで挑戦してみるのもいいかもしれません。
一人でできることは限られても、参加する人数が増えれば、その影響力は結構大きなものとなります。空いた時間に楽しみながら挑戦してみてはいかがでしょうか?

 

 

農場便り 6月

 

桜前線が日本列島をかけ抜け、津軽海峡を渡り北海道で消えた。桜はソメイヨシノから始まり、山桜で終わった。平年よりも低い温度の中で多くの人の心に美しい花を咲かせた桜の木は、今、濃い緑の葉を初夏の日差しに輝かせ、その先に赤い新芽が空高くへと枝を伸ばしていく。山桜の枝葉の陰には小豆粒ほどの実をたくさん付け、日を追うごとに赤く色づき、完熟時には深い紫色に変化していく。いたずらな風が枝を揺らす度、地上へと実を落とす。野鳥も枝から枝へと渡り、大きな鳴き声を上げながら実をついばんでいく。毎年同じ光景を目にし、私の心にはチャレンジ精神がフツフツとわき上がる。「市販のサクランボは甘酸っぱく美味、本を正せば山桜が先祖である。」と勝手に決め、足の踏み場もないほどたくさん落ちている実の中から大きく美味しそうな実を選び、帽子の中に拾い集め持ち帰る。中でも最高であろう大きな実を口の中に放り込み、ひと噛み。頭の中では天にも昇る味が口の中いっぱいに広がるはず、が、広がったのは渋味と苦味。思わず口から吐き出すも苦味は口の中に長く残ることとなった。今までに自然の色々なものにチャレンジするも、その度にはかなくも夢敗れた事は数え切れず。卑しさゆえ、食欲の誘惑、悪魔のささやきに思考能力を乱し、欲へと猛進してしまうのである。世の中、そう甘く美味しい話はないものである。
現在、直営農場では、夏野菜、多品種の葉菜や果菜、根菜類を栽培している。畑は作物で賑やかになり、日々大きく育っている。前回紹介させていただいたスイートコーンも大きく育ち、長く大きな葉は強い日差しを受け、日増しに力強さが宿っていく。日々頭を悩ます夏草(雑草)も作物以上に力強く育ち、取れども削れども絶えることなく、新しい芽が頭を持ち上げる。それでもスイートコーンは、雑草に攻められても敗れることなく育っていく。しかし、中にはすぐ白旗を揚げてしまう作物もある。その一つに生姜がある。一見、強靭そうに見えるが、雑草に囲まれるとすぐ萎縮し育たない。そのため、猛暑の中で3回、4回と草取りを強いられる。今回はその生姜を紹介させていただく。
生姜は、熱帯アジア原産、根茎部を食用に用いる。現在の大生姜は、明治以降より栽培されるようになった。生姜栽培は、まず土を肥沃にし、4月下旬、1.2mの畝に40?間隔で2条に親株を植え付ける。熱さを好む植物で、芽が地上に上がるまでにかなりの日数を必要とするが、その間も雑草は果敢に芽を吹き挑んでくる。生姜の芽が出ると追肥を2回ほど施し、後は水分と雑草管理をマメに行う。現在、一般で市販されている生姜の8割は中国から輸入されており、加工品も年間28190トン輸入されている。中国では、紀元前500年から薬用として用いられ、17世紀イギリスでもブレイクした。日本には3世紀に中国から入り、生薬として使われ、現在も尚、使用されている。成分の中にタンパク質分解酵素が含まれており、肉料理には欠かせない香辛料でもある。すりおろした根生姜に梅干しを入れ、お湯で薄めていただくと風邪に効果があり、咳を鎮め、痰を切り、嘔吐を抑える。また腹痛や胃痛にも効果があるとされる。生姜を上手に使い爽快感を得、漢方の力で日々健康に過ごしていただきたい。しかし、外国産、国内産に拘わらず、生姜の消毒は半端なものではないのでご注意いただきたい。
6月10日は時の記念日。大正時代、西洋文明に思いを馳せ、生活の中に時を入れることにより近代化を図るため政府が定めたそうである。近代化の中にあり、時を刻んだ時計の針が無機質な社会を作り出すことになるとは誰も想像できなかったのであろう。ある時、一人の母親が発明王エジソンに子どもの将来についてアドバイスを求めた。エジソンは「時を忘れて仕事に打ち込める職業に就くことが大切である、と共にその事が幸せへの近道です。」と答えている。
私の体内時計は、お日様が昇ると土を耕し、南中する頃に空腹を覚え、夕方、お日様が傾く頃、泡立つ麦酒が恋しくなり、日暮れと共に心地よい疲労を覚える
時計が刻む「時」ではなく、生かされている大自然が刻む「時」の中での生活はどれ程幸せであろう。しかし、現代社会では、それも夢のまた夢となってしまう。「人生は短い。無駄に時間を過ごしてはいけない。時を大切にと思う心を常に持ちなさい。」前理事長が日頃口にしていた言葉である。私のような凡人はついつい無駄な時間を過ごしてしまいがちである。時の記念日を自身を見つめ直す日にと思う。
夕刻が迫る。今日も無事一日が暮れようとしている。西の空は茜色に染まり、爽やかな風が私を包み、平和な時が流れる。時々狂う私の腹時計が終業の時を伝える。

 

 

 

桜の実に未練が残る農場より