TOP > 慈光通信 > 慈光通信 第205号

慈光通信 第205号

2016.10.1

患者と共に歩んだ無農薬農業の運動 5

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

 

農法を勉強したきっかけ

 

ここでもう一つ、臨床医だけが気のつくことがありますのでお話しします。
どの本にも「野菜をたべろ」と書いてありますが、野菜はよく噛む必要のある事を書いていません。人間の胃は牛の胃ではないのですから、よく噛んでおあがりにならないと胃炎を起こしますので、くれぐれもご注意願いたいのです。海草も同じです。「海草はいいから」といって、メチャメチャにとろろ昆布を食べて、胃の中にたまって難儀をした例があります。(会場笑い声)
ところが昭和二七年の秋、私、気がついたことは、私の家の裏で家内が作っている野菜と、山手の農家の方が私に下さる野菜とは味が違うのです。例えばナスの味が違う。また、しなび方が私の家では早いということです。家内は、いつも忙しいので「いいことを教えてもらった」といって硫安を薄めに掛けていました。確かに違うのです。
「お前の作っているナスビは少し苦くてまずいなあ」というと「そんなことは絶対にない」といって怒られたのですが、確かにそうなのです。
そのことに気がついて、それから文献をあちこち調べてみますと、そういうことは書いてなかったけれども、ある農業誌に「化学肥料でつくった野菜はまずくて、腐りやすくて栄養価が少ない」と書いてあったので、ハッと思いました。
「野菜をおあがりなさい」というのではなくて「どのように栽培した野菜をおあがりなさいと言わなければならないのではないか」と気がついたのです。それから私も興味を覚えて、家内の百姓の手伝いをするようになったのです。
そのうち、「これはひとつ、農業の勉強をしなければならない」と思い、それから農業の勉強をしたのです。
それは二七年の暮れに近い頃です。そして一生懸命やりました。と同時に私は考えたのです。
それは、篤農家に教えてもらったら非常に近道だろうということです。それからは往診に行くたびにそういう方と農業の話をして、いろいろと質問したり、お話ししたりして往診時間が長くなって叱られたこともありました。そしてだんだんと農業の知識を得てまいったのです。

 

はじめて農薬禍の患者を診る

 

ところが、昭和三二年ごろ、ボツボツ私が農業の知識を得た時分から、私の家に奇妙キテレツな患者さんが訪れるようになりました。
病名は肝炎なのです。私の地方で肝炎がはやっているのだということが、医師会に出るといつも話題に出ました。
しかし、よく観察すると、この肝炎の患者さんは「おかしい」と、私は思ったのです。何がおかしいかというと、肝臓障害の重さに比して、あまりにも精神障害、神経障害(不眠、人生がいやになるとか、ヒステリー症状、手がしびれるとか)の症状が強すぎるのです。それから口内炎を伴う患者さんが非常に多いのです。更によく観察すると、ことに女の方に激しいのは口のまわりに色素沈着が出るので、私は、「これは何かわれわれが、教えてもらった肝炎とは違った病気だ。これは何か毒物からきたものに違いない」と感じたのです。
それで、これに罹る率を調べてみると、お好み焼きをよく食べる人がなるのに気がついたのです。当時、お好み焼きが非常にはやったのですが、どうも症状から考えると何か砒素かリンに違いない。「さては、メリケン粉の中に砒素かリンのようなものが混じっているのに違いない」と思って、メリケン粉の分析を私の友人に依頼したのですが、何も出ないのです。ではソースを作る時に砒素でも入ったのかと思ってそれも調べてもらったのですが、そんなことはない。そのうち患者さんがどんどん増えて、私の家族までなったのです。私とご一緒に食事改良運動をやって下さったグル―プのメンバーにも、たくさんそういう奇妙キテレツな病気が出ました。私の子どもも腹がポンポンに張ってしまって苦しがるのです。「これは一体何だろう、何が悪いのだろう」と思っていろいろ調べてもわからなかったのですが、その当時往診に行って小鳥がたくさん死んでいることを知りました。
あるお宅へ行くと、小鳥が死ぬところに出会ったのですが、バタバタと羽を震わせて神経マヒを起こして死んで行くのを見て「これは小鳥が食べる野菜が原因だ」と思ったのですが、昔から「野菜と果物は当たらない」と教えられていましたので「まさか野菜が当たるはずはない」と思ってそれを否定したのです。
以下、次号に続く

 

暮らしの「MOTTAINAI(もったいない)」を見つけて

暑すぎる夏、都市を機能不全にするほどの水害、生態系の破壊。これらに深く起因するのが地球温暖化です。先日、ドイツのマックス・プランク研究所により、このペースで温暖化がすすんだ場合、今世紀中に人間が住めなくなる地域が出ると発表されました。地球温暖化は無秩序な森林開発や、人間が大量に出すゴミが大きく関わっています。
日本では一年で4400万トン、一人あたりにすると一日約1?のゴミを出しています。
昔のゴミは、調理くずや紙など、造られたものであっても、天然の素材が原料のものがほとんどで、時間がたてば分解されました。それに対し、今のゴミの多くは石油製品(ビニールやプラスチックなど)で、自然では分解されにくいものが多くなっています。
「かゆいところに手が届く」便利な商品の多い日本ですが、生活が豊かになるにつれ、物を大切にする、不便を工夫でカバーするという心が失われて、使い捨て商品やビニール、プラスチックなどの容器があふれ、ごみの種類もずっと増えています。
家庭のごみの量は、一人一人の心がけで、ぐっと減らすことができます。
「5R」という言葉をご存じでしょうか。
少しでもゴミを減らすには、この「5R」を実行しましょう。

 

?REDUCE(減らす)
ゴミになるものを減らすこと。まずは家庭にゴミを持ちこまないようにしましょう。
・スーパーでお箸をもらわない→家ではもちろん、外出先にもマイ箸を持ち歩きましょう。
・買い物袋を受け取らない→エコバックを持って行きましょう。
・過剰な梱包は断る
・無駄な印刷はしない。必要なものだけを選びましょう。

?REUSE(再使用)
すぐに捨てずに、繰り返し使用すること。
・フリーマーケットやバザー、リサイクルショップを利用する。
・詰め替え商品を利用する。
・用途を変えて使い続ける。→古くなったバスタオルを雑巾に造り変える。

?RECYCLE(再利用)
再資源化。資源の有効利用に努めること。
・スーパーなどの店頭で回収しているものは回収ボックスへ
・再生品を購入して利用する→ゴミを分類して出すだけでは、リサイクルとは言えません。再生品を利用して初めて、リサイクルになります。

?REFUSE(やめる)
不要なものをもらわない、買わないようにすること。
・本当に必要なものだけをもらう。→街で配られているチラシをもらって、一度も見ないで捨てることはありませんか?

?REPAIR(修理する)
修理して使えるものは、何度でも直す。
・壊れたら修理する→電化製品やおもちゃが壊れても、直せるなら修理して使いましょう。
・長く使える工夫をする→昔は服に当て布をする人もいました。靴下に穴があいても繕って長く使いましょう。
・メンテナンスを怠らない→壊れて修理する前に、壊さないようにするのが大前提です。日ごろからこまめにメンテナンスをし、大切に使いましょう。

 

2005年、環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したアフリカの環境副大臣、ワンガリー・マータイさんが訪日した際、「MOTTANAI(もったいない)」という言葉に出会い、感銘を受けました。マータイさんはこの美しい日本語を、環境を守る世界共通語として広めることを提唱し、MOTTAINAIキャンペーンがスタートしました。「MOTTAINAI」には前述の「5R(当時は3R)」と、「RESPECT(かけがえのない地球資源への尊敬)」の意味が含まれています。
毎日の忙しさについつい利便性を求めてしまいがちですが、今一度、生活を見直し、自分にできる「MOTTAINAI」について考えましょう。

 

 

農場便り 10月

 

9月 南太平洋に発生した雲の塊が日増しに大きく成長し台風や熱帯性低気圧に姿を変える。9月に入ったが、作物の成長に適する日はほとんどなく、今までになく力を入れ育てたキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜、リーフレタスの苗は日光不足がたたり、日を追うごとに葉の色があせ、何となく弱々しく目に映る。中秋の名月も雲の中に姿を隠したまま、お月さまはお飾りしたススキや団子を見ることなく寂しい秋の始まりとなった。
9月22日秋分の日、彼岸の入りとなる。彼岸とは彼の岸、死後の世界を指し、彼岸に対して此岸とは今生を表す。彼岸はもう少し先の話とさせていただき、農場の此岸について書かせていただく。昔から秋作は「彼岸の種まき」といわれる。この時期に種を蒔くことにより自然の災いから逃れられ、秋冬の作物を無事に得られるということを経験から得た知恵である。
しかし、異常な高温多雨や豪雨など近年の気象では経験からくる知識では対処しきれないところまできている。特に夏秋まきには細心の注意を払い、あまり持ち合わせていない知恵や知識を総動員して行動に移すがその甲斐もなく、ということが多く幾度か散々な目に合う。それでも、生まれついてのオプチミスト(楽天家)、これも天からの授かりものとして日々大地に立つ。協力農家も同じく、共にこの気象条件の中、労を惜しむことなく農に励む。
農場に目をやる。夏作の野菜は生命のピークが過ぎたもの、すでに枯死したものなどがまだ畑に残る。2mの緑の壁を作り出したきゅうりも今は茶色く枯れたツルだけが残る。根元には次の生命、セロリが30?までに成長してきた。セロリの苗は8月初旬の盛夏に定植するため、間もなく収穫を終えようとしている早出しのきゅうりの根元に植えてきゅうりの葉で影を作り、強烈な太陽光から幼いセロリを守るという浅き知恵から出たアイディアで、きゅうり最後のご奉公である。
きゅうりは水分を切らすことがないため、常に土は湿った状態、しかも多肥を好むきゅうりの余った肥料がたっぷりあり、セロリにとって最高の生育環境である。本年も8月初旬に定植、水分をしっかり吸い上げ元気に育つ。
隣の背丈ほどもあるナスも一時期たくさん実を付けたが、後半は花の咲きが悪く、収穫量がかなり落ちてしまった。「ナスの花と親の意見は千に一つも無駄がない」とは一昔前の話で、現在はそうでもなさそうである。二十八星テントウの幼虫によるナスの葉の食害は何とかしのいだが、この高温ではナスもバテ気味である。今後、この高温に耐えうる品種の選択を余儀なくされる。
体が葉に触れるだけでプーンと涼しげな匂いを出す青ジソ、夏には薬味として食卓を飾るが、その青ジソも1.5mぐらいに育ち、枝はまるで木の枝のようになった。先々には細かい真っ白な白い花を咲かせ来年へと種子を実らせる。
夏に繁茂した全ての作物は今、最後を迎えようとしている。もの悲しさの漂う夏作畑である。畑の一角でコオロギが鳴く。すべての夏作物さん、お疲れさまでした。
秋冬作の作付けが始まった。7月から逐次トレイに蒔かれたキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、8月に入るとお盆前から白菜の播種も始まる。キャベツの播種は暑さに強い品種から冬の寒さに耐えられる種類へと順に播種してゆく。ブロッコリー、カリフラワーも同じく逐次播種を行う。1?の網目のネットの中で外敵から守られ過保護に育った苗が8月下旬より圃場へと定植されてゆく。周りは手ぐすねを引き待ちわびる虫たち。その中に一本一本丁寧に植え付けてゆく。定植は日が傾く頃から暗くなるまで続き、定植後、苗のあたまからシャワーをかける。一般の農業はそこで一息つけるが、無農薬栽培における7・8・9月は、近年の自然環境の激変で、定植後そのままでは一晩のうちにかなりの数の苗が虫の犠牲になってしまう。そこで登場するのがネット、苗床で使用するのと同じく幅180?、網目1?のネットを定植した苗の畝ごとすっぽりとかけてしまう。1,5m間隔で支柱を入れ、3mおきに同じ支柱で上からネットを押さえ風から守る。これでほとんどの小さな苗は守られ、涼しくなり、虫の活動がおとなしくなる頃までネットの中で育てられる。
9月下旬現在、本来なら涼しくなる頃であるが、本年はいつまでも高温で、作業中は滝のような汗が滴り落ちる。お盆頃に播種をした早生白菜はサルハ虫などの甲虫類に攻められ、少々苦戦を強いられている。その一方で中手、晩生も定植してゆく。一週間もしないうちにネットのトンネルの中には雑草が芽を出し、高温多雨も手伝い、作物より速いペースで日々成長してゆく。高温期の栽培では元肥を極力抑え、涼しくなってから一気に追肥を行い、収穫へとつなげてゆく。完熟した堆肥を用いても時に害虫を呼ぶことがあり、初期の減肥料栽培により害虫の食害のリスクを軽減させる。あくまでもこの方法は土が出来ていることが前提であり、未完全な土ではお勧めすることはできない。
蝶々が産卵に来るもネットの上を舞うばかり。時間が経つと我慢できず他に飛んで行く。それを横目で見ながら「ザマアミロ」と心の中で呟く。酷暑の残暑の中、体は悲鳴を上げるが、小さな心だけは夏バテ知らずでいたって健在である。白菜の中手・晩生の栽培は圃場に最初に少しの完熟堆肥を入れる。キャベツの肥料の吸収はぴかいち、それに比べ白菜は初期の生育で出来栄えがコロリと変わる。育苗も出来るだけ短期間で、日数をかけず、長くても20日でトレイから圃場に定植できるよう育てる。ここで一つ注意しなければならないのは、育苗土壌の水分調整である。水分過多は根が育たず、弱々しい苗になる。出来るだけ控え目に水分管理を行う。育苗トレイでの苗作りは一日も目を離すことが出来ない大変な作業である。何百何千の苗が無事育つことを願い祈る。
彼岸が過ぎると、畑に直播きをする。早生大根はすでに播かれ、小松菜、大根、ほうれん草などの種が逐次畑に落とされてゆく。丸い小さな種が水分、酸素、そして光により発芽する。その中のどれひとつが欠けてもそこに生命は発生しない。全てが大自然からの恩恵を受けている。種を落とし、土を被せ4?5日で発芽、双葉は黒々とした土の上で空に向け光り輝く。雑草の陰からコオロギの目が光る。夜間、おいしそうにスプラウトサラダをモグモグ食する。平年では10月中旬、夜間の気温の低下と共に虫たちはおとなしくなる。が、今年はどうであろうか。「天道人を殺さず」それを信じ日々の作業に明け暮れる。9月に入ると農業の作業倉庫の周りの草むらで鈴虫が鳴く。それも1匹だけ。日が短くなるこの時期、うす暗い山の中でたった1匹の鈴虫が奏でる羽音は寂しく耳に聞こえる。雨天続きの9月、天候に左右される作物が気にかかる。
先日、未来技術遺産に日本の合成洗剤「トップ」が選ばれたという喜びの記事を目にした。どうやら合成洗剤の中に酵素を配合して洗浄力を高めたということらしいが、その記事に心も腰も折れそうになる。世界で最も美しい水を有する日本の河川をドブ川に変え、美しき歴史あふれる文化を持つ琵琶湖もかつて赤潮が発生し、何百万人の生命の元である水が危ぶまれたことが頭に浮かぶ。汚水を浄化するため莫大な費用を投資する。日本の河川の汚れ(一見透明度が高く清流のように見える)の原因は家庭排水、中でも合成洗剤が諸悪の根源となっている。その合成洗剤が未来技術遺産に、これを見ても「化学とは何であるか」と考えざるを得ない。「せめて自分だけでも河川を汚すことのないように」と心に誓う。
美しき日本の秋は始まる。春、陽光に新芽を輝かせ、夏、強烈な日の光のエネルギーを葉に受け大きく育ち、秋、美しく色付き着飾りそして地上へと落葉し、大地を生かし水に力を与える。これが大自然の摂理であり、幾億年ものサイクルである。

 

秋の夜長、農への研鑽が続く農場より