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慈光通信 第176号

2011.12.1

すべての患者に聞いた食生活の傾向から  6

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は日本有機農業研究会主催第四回全国有機農業大会における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

生かし生かされる関係

 

結局生命体である我々は地上にある限り物理化学的法則にも支配されると共に、更に「生命の法則」にも従わなければいけない。
これはいわゆる「生態学的な循環の輪廻の法則」である。植物が生産し、動物が消費し、微生物が分解し、そして好気性の完熟堆肥となって土中に入って土中生態系を養い、土中生態系では再び植物にその産物が吸収されて、そして有機物を作る。この循環が行われなければいけない。
そして、土中生態系の土の性質が植物の健康と種類を決定する。土が植物を決定し、植物がそれを食べる動物の健康を決定する。それで人間が間違った食べ物を食べておると人間の体を媒介として存在しておる微生物の生態系が壊れてくる。いわゆる病原菌と非病原菌のバランスが壊れて、普通僅かしか存在しない病原菌が異常に繁殖してくる。従って私達の健康と植物の性質とは非常に関係が深い。
従ってどうしても完全無農薬有機農法をしなければいけないという理由は、もし化学肥料を使うと必ず土中生態系が壊れる。これは微量を堆肥と共に使っておっても実験しておりますと、10年たつと壊れてくる。そして必ず植物が変わってくる。その植物を食べている人間が変わってくるというわけで、完全な無農薬・完全有機農法こそ唯一の農業の基本形態である。この様に信じておるわけなのでございます。
そして、結局はお互い、あらゆる地上の生命体が生かされて、そして生かそうと努力してまた生かされていくという共存共栄の上にたつということである。だから人間関係にしろ、人間と他の動物にしろあらゆる関係にしろ、共存共栄という原理を守っていかなければいけないのだと、そのようなことを考えております。
現在、私は害虫は悪いやつだと思っておりません。いろいろ農業の勉強をさせていただいて害虫とは、私達の食物が正しい人間の食物でないという指示者であるというふうに考えております。
完全無農薬農法で私達はお米作りを19年の間やっております。それから野菜は17年間、完全無農薬有機農法でやっております。その間いろいろの試行錯誤とか失敗もありましたが、お米はみな無事でございます。
現在、慈光会という財団法人の会を主宰しまして、17軒の協力農家と1900軒の消費者と間をつないで全部を完全無農薬・完全無化学肥料の有機農法の農作物を皆さまにお分けいたしまして、大変喜ばれています。これは、絶対可能であります。
【完】

 

 

食生活を見直して

 

今年の冬、慈光会にはたくさんの種類の野菜や果物が所狭しと並んでいます。りんごやキウイフルーツは不作のため収穫量が減っていますが、幸いみかんは豊作のようです。白菜やセロリなど昨年はあまり店頭にも並ばなかった野菜も今年は青々とした元気な葉を広げて並んでいます。他にも色々な種類の青菜や根菜類、キノコなどバラエティ豊かです。
近年、現代人の野菜不足が懸念されています。あなたは毎日どれだけの野菜を摂っているでしょうか。「野菜を食べなくてもサプリメントで代用できるから大丈夫」と言う声を耳にすることがありますが、それでは野菜不足を補うことは出来ません。サプリメントの売り上げが医薬品を抜いて延びているといわれていますが、そのサプリメントによる健康被害も多くなっているのです。いくら食品から抽出したといってもその食品を食べた時と同じ効果はありません。化学的に食品の特定の成分を抽出し、それにカプセルにするための添加物や着色料などが加えられています。自然でない食べ物は肝臓にも負担をかけます。食品というよりは医薬品の性質に近いものなのです。
青汁療法の創始者遠藤仁郎博士(倉敷中央病院元院長・故人)にも次のような著述がありますのでご紹介します。

 

 

保健薬より食事に心配りを

 

 

日本は現在、世界一の薬消費国です。その中心をなすのが、いわゆる市販薬、保健薬のたぐい。ちょっと疲れたからビタミン剤、精力の衰えを覚えたから精力剤、イライラするから精神安定剤というように、すぐ薬局に走って薬を求めてくる人が、私たちの身の回りには大勢います。中年になりますと、3、4種類もの薬を連日服用している人も少なくありません。
薬は顕著な症状があった場合に、医師の診断を受け、その処方によって飲むべきものです。そうでない場合の保健薬の服用は『保健』どころか、長い目で見ると、体をそこなうのにしか役に立たないのです。
イライラする、疲れる、どことなく体の調子が悪い、などの症状は、生活の改善、食生活の改善によって、その大半が消え去ってしまうはずです。
そうです。毎日の食事こそが健康の土台なのです。体の不調を訴える人の多くは、その食生活を点検してみると、たいてい、栄養の摂り方が偏っていたり、不適切な食品を食べていたりします。つまり、バランスのとれた食事をしていないのです。

 

 

それでは、実際にどのような食生活を心掛ければよいのでしょうか。梁瀬前理事長はこのように書いています。

 

 

御注意!

 

 

日常のたべものに野菜類(イモ、マメ、ナッパ)海藻が不足しますと新陳代謝障害が起り万病の本になります。(例えば種々の化膿症、種々の結石症、太りすぎ、心臓血管系疾患、リューマチ等々…)最近日本人の食事は欧米型になり肉類が多く野菜海藻が少なくなりました。火成岩性の酸性土壌で大地にも水にもカルシウムやその他のミネラル類の欠乏する日本の土地に住むものは、水成岩性のアルカリ土壌の外国と違って、穀物と肉だけではいけません。必ず十分に慈光会の完全無農薬有機農法の野菜類、無添加の海藻を召し上がって下さい。
小魚もよいカルシウム・ミネラル源です。尚甘いものの食べすぎも野菜海藻欠乏と同じ結果になりますから御注意下さい。

 

 

未だ放射能汚染は、終息の目処が立たないばかりか、さらに汚染は日本列島に広がっています。ストロンチウム90は、カルシウムと同族なので、カルシウム欠乏を起こしている体には、即、吸収されてしまいます。現代人のカルシウムの不足している体では、放射能の害を受けやすく、将来、白血病や癌の出る恐れがあります。しかし、たとえ放射能がやって来ても(特に食生活に注意することによって)抵抗性のある体には、害が少なくてすむ、ということは以前にもお知らせしましたが、こういう時こそもう一度原点に返り、日常の食生活を見直していきたいと思います。

 

 

 

農場便り 12月

 

立冬が過ぎ、小雪(しょうせつ)を迎えた。紅葉した木々の葉も残り僅かとなり、晩秋から初冬に降る雨は、周りの景色を重くする。雨具を着込み、野菜を収穫する。次第に手がかじかみ、家を出る時に持たせてくれた温かいお茶が冷え切った体に力を与えてくれる。遠くに目をやると、山柿の枝にコガラがとまり、残りわずかとなった実をついばむ。本年も残された日は数えるほどとなり、無駄に過ぎ去った多くの日々を思い返すと、鉛色の冬空のように心が重くなる。この自己嫌悪は毎年恒例の行事となり、反省するものの、また同じ過ちを繰り返す。
この1年を農場から振り返ってみる。2010年度の秋はいつまでも暖かく、虫害は終わることを知らず、1月から2月に出荷予定の白菜を網目にしてしまった。会員の皆様にはご迷惑をお掛けしてしまったが、虫害から逃れた残りの白菜たちを守り、例年の出荷量には満たないながらも何とか収穫にこぎつけた。正月には大雪が降り、畑に残された野菜たちは深い眠りに入った。2月にも寒波が押し寄せ、路面は鏡のようになる中、農場へ向かったオンボロ2tトラックが途中で滑り出しそのまま後退、ドカンと側溝へ落ちようやく止まった。年を考え、無茶をしてはいけないと知人にレスキューを求め事なきを得た。2月上旬、吹き晒す風の中、3月に植え込むじゃがいもの土作りを始める。完熟堆肥を前面にまき、軽く土を起こしておく。
3月に入って農作業は忙しくなり、冬季堆肥を入れ土作りをしておいた畑に春の日差しが降り注ぎ、地温は一気に上がる。細かく耕された畑の土を高い畝に上げ、水はけをよくし、播種を始める。播種機を使い、小松菜、ビタミン菜、大阪しろ菜、ほうれん草の小さな種子を、きれいにメーキングした土の上にやさしく寝かせてゆく。播種をする時期を少しずつずらしていき、野菜が途切れることのないように栽培してゆく。同時にトレイにも夏キャベツ、少し遅れてその他夏野菜の種子を蒔いていく。畑で使用している播種機の名は『ゴンベイ』。民謡そのままの名前がついているが、カラスがほじくることはない。
5月上旬からは、温度とともに湿度も上がっていく。ほとんどの葉野菜は、ある程度の湿度は好むが、多湿には弱く、病気のリスクがグンと上がる。反対に、きゅうり、なす、ゴーヤ、里芋は高温多湿で一気に成長し、みるみる私の身長ほどにもなる。大きな葉を天に向かって広げ、落ちてくる雨を根元に集める里芋の隣では、冷涼を好む葉レタスやキャベツが、不機嫌な顔で天を見上げている。
7月に入ると、夏野菜の収穫が本格的に始まる。下旬にもなると、毎日毎日、灼熱の太陽が辺り一面を焦がし、その間約20日、私の最も苦手な季節であり、じっと我慢の日々である。取れども取れども絶えることのない雑草たち、この時期その勢いはとどまることを知らない。大地は乾き、作物の葉はしんなりと垂れ下がる。それでも容赦なく、日は照りつける。夕方、水を与えると、ヒグラシの声が聞こえる頃には元気を取り戻し、短い夏の夜に一息つく。
お盆を越える頃、夜間は少し楽になり、大きく成長したコオロギが、畑と草むらを行き来する。休む間も無く、秋冬用野菜の播種が始まる。まず手始めに、かたや東の横綱「白菜」、こなた西の横綱「大根」を播種。日中はまだまだ日差しが強いため、水分と温度管理に注意する。
9月に入ると、小松菜、サラダ水菜、ビタミン菜、ほうれん草などを、春作と同じように真夏の間に土作りをしたところに播種する。赤子にお乳を与えるように、芽を出したばかりのか弱い野菜たちに毎日水を与える。8月下旬から9月下旬までが、一年で一番虫害が多く、一度虫が発生すると、手の施しようがなくなる。栽培手順は一緒でも、うまくいく年、食害で全滅する年、さまざまである。これもまた、自然の摂理なのだと受け入れ、次にチャレンジする。くよくよしない、けれども反省点は忘れない、それが農業に携わる者のあるべき姿である。が、現実は、害虫が目の前でちらつき、眠れぬ夜を過ごす。
10月、空は真っ青に晴れ渡り、風はさわやかに吹く。圃場では秋作物が順調に育ち、生育したものから順次収穫していく。大きく育った小松菜の中にそっと手を入れ、一本一本間引いていく。じっと潜んでいた虫が太い手に驚き、飛び出す。この時期は一年で一番心地よく、鼻歌まじりに作業は続く。白菜も大きな葉を広げ、秋の日差しをいっぱいに受け、早生種は早くも中心部の葉を持ち上げてくる。これが結球の始まりである。
霜が降りる頃から朝夕、大気に冬の匂いがするようになる。今年はいつまでも暖かく、虫の音も、周りの空気と合致しない。作物の成長はとどまることを知らず、大きく育つ。冬野菜も陽気に誘われ、どんどん成長し、このままでは年を越す頃には、畑がからっぽになってしまう恐れがある。白菜もここ最近にない出来映えで、11月中旬頃には収穫が始まる。残念なことに10月下旬から出荷予定だった白菜は、若くして猪の犠牲となってしまったが、その次の白菜が順調に育っている。白菜は3月初旬まで出荷予定、野菜をたくさんいただくことのできる鍋料理などで思う存分お楽しみいただき、健康で寒い冬を乗り切っていただきたい。
11月、温度は下がらず、紅葉には程遠い。猪だけが月夜を楽しみ、美食にふける。12月、木枯らしが吹き、いよいよ本格的な冬の到来である。残された日で野菜の冬囲いを行う。不織布を頭からすっぽり掛けられ、暖かい中で野菜は眠りに就く。
この一年、今までに経験したことのない災害が日本を襲った。多くの尊い命が一瞬にして奪われ、目に飛び込んでくる映像の無残な光景になすすべもなかった。当会も発会以来ずっと反対運動に参加してきた原発を震災が襲い、とんでもない事態を引き起こした。また9月には台風12号が古き文化を持つ山間の村を襲った。この災害も自然災害ではなく無謀な道路の拡大、植林等による人災ではないか、という地元の人の声を耳にした。災害地に入る自衛隊の勇気、そして彼らの素朴で温かい行動を映像で見、感動と共に今までの生活を反省する。一日も早く災害地に暖かい春が訪れ、笑顔で生活する姿を見る事が出来るよう惜しみない協力をと思う。
年の最後にTPPの声も耳に入った。専門的なことは私にはわからないが、農作物には生命が宿る。無機質な工業製品と人類の生命を育む農作物を同じ次元での扱いでは問題が起こるのは必至であり、経済の中に入れ込むのはいかがなものであろうか。二千年前、ギリシャもローマも主食をおろそかにして国が滅亡している。二千年たった今もまた、怪しい影が見え隠れする。アフリカ、アジアは先進国の指導のもと換金作物の生産に走り、飢えに苦しむ難民を作った。今こそ世界中が生命の原点に帰るべき時ではないだろうか。
私事ではあるが、先日農作業で手の指が化膿し、診察を受けた。病院に行くのが苦手で、怪我をしても放っておいたため、爪の間が化膿し、仕方なしに行った病院であったが、治療の時、先生が私の固い指先に触れ、「よく働いている指をしていますね」と声をかけて下さった。その言葉が耕人にとっては何事にも代えがたい賛美の言葉に聞こえた。ささやかなことではあるが、本年一番うれしい出来事である。
この一年、ご理解ご協力いただきましてありがとうございました。来る年も本年以上、謙虚な心で野菜作りに邁進してゆきたいと思います。皆様におかれましても良い年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

まだ指先が痛む農場作業員より