慈光通信 第256号
2025.4.14
健康と医と農 Ⅹ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】
健康法公害
健康に気をつけておられる皆さんは色々健康法を聞いた事がおありでしょう。最近健康法公害と云うのがありますのでご注意申し上げておきます。ある時私はこういう質問を受けました。ある所では生水を飲んでは悪いという、一方では生水を一日一升以上飲めと云う、どちらが本当でしょうかと尋ねられたのですが、教祖さんが水を飲んで良くなった人は飲めというでしょうし、飲んで悪くなった人は飲むなというに違い無い。だから飲みたい時飲んで、飲みたくない時は飲まないのが一番良いと、この様に云った事があります。時々ね、一つの健康法、僕が漢方の先生に逢って栄養失調になって大きくなりそこねた話をしましたが、あれも一種の健康法公害です。その先生は砂糖のことでは大恩人ですけれども、低カロリー、栄養失調状態が健康だと信じきっておられる。こういう方もあります。これも決して嘘ではない、そのようにして旨くゆく人もある。僕と反対に赤ら顔でよく太った人はそういう状態にしたほうがよく、健康になる。こういうタイプの方は徹底的に実行なさらんのですよ。ところが僕みたいに馬鹿正直に実行するタイプのものがその通りにすると栄養朱調になる。ムチャクチャに肉ばっかり食べよという先生もいるし、色々ありますよ。しかし先程申した原理を良く考えていだいて、そしてそれぞれの体にあったようにして下さい。生まれつきの体質があるのです。胃腸の文夫な人、弱い人、横に張った人、縦に長い人と色々あるでしょう。そして同じにはいかないのです。時々健康法に一生懸命になって、健康のためなら命もいらないという人があるのですよ。いや本当の事ですよ。もうヒョロヒョロになってやってきて、その健康法をやめとけと云っても止めない。そんな人もおりますから気をつけて下さいよ。やってみて悪い時は、先程の自然から足を離さないという原理に照らして適当に取捨選択して下さい。これは老婆心ですけれど申し上げます。時々そういう人がおります。いや時々でなく、かなり多いのです。悪ければ適当に止めるというそれだけの余裕を持ってください。
農薬の悪循環
最後に農業の話をしてみます。現代の近代農業というのは、今もう一般農家の方はこの近代農法しかご存じないのですが、化学肥料をやって育て、病気がでたら薬をかける。それだけの事です。至って簡単なようですけれど、こうやっていますと農業が出来なくなって来る。アメリカでも現在広汎な地域が砂漠化してしまって大問題になっています。広い農地の3分の1が砂漠になった。化学肥料と農薬を使う農法をやっているとこうなって来る。化学肥料を使うと土が駄目になり弱ってしまう。物理的にはフワーとした柔らかい土、団粒組織が堅くなってしまって通気性、保水性、保湿性が無くなってしまう。化学的には土が酸性化して、元々少ないミネラルが流出したり、植物が吸収できない状態になってしまう。そして微生物学的には、土の中にいる大事なバクテリヤがいなくなり、そのために植物が充分に発育できない。こういう悪い土になってしまい植物の生命力が非常に弱い作物ができるのです。化学肥料を吸って、ちょうどインスタント食品ばかり食べている子供みたいにブクブク太って、味の悪い、生命力の弱い農作物ができます。こういうものに病虫害がつくのです。健康に育ったものには病虫害がそんなにつかない。そして病虫害がつきますとこの原因をいわずに、結果だけをみて農薬という―これは第二次大戦の時、毒ガス研究の知識からできてきた毒物―これを使う。大体毒を使って食べ物を作るというのはおかしな話ですよ。浸透するから洗ってもとれないのですから。例えば毒を使って作ったお菓子は誰も食べる人はいないでしょう。
恐ろしい毒物を使うと最初は益虫も害虫も皆死んでしまつて人間が取れます。ところが害虫というのは草を食べる昆虫、草食性の昆虫でしよう。益虫というのはその草食性昆虫を食べる肉食性昆虫なのです。地上で最も生命力が強く、抵抗性を発現するのは草食性昆虫であるという事は昆虫学の常識なのです。だから害虫、草食性昆虫は4、5年もすると、いわゆる抵抗性昆虫が必ず現われます。一方肉食性の益虫はそういう力がありませんから滅亡してしまいます。したがって益虫がいないから害虫が幾らでもふえる事になります。例えばアブラ虫を食べるテントウ虫も殆どいなくなりましたね。トンボも、それから畑に今までは秋になると稲の上に真っ白になるほど、クモが巣を作っておりましたが、それも一遍に全減してしまつた。クモは一反当たり四万匹位おりましてね、一日にウンカを二十万匹位食べてくれるのです。これが全滅してしまって抵抗性のある害虫だけ残る。だからよけい病虫害がふえます。こういうふうに悪循環が起こり、農薬を使えば使うほど害虫が増えてくるのです。
(以下、次号に続く)
山菜の農薬にご注意!
店頭で山菜を見かけることが多くなってきました。春は、ふきのとうやワラビ、ぜんまい、よもぎ、タラの芽、こごみ等々…美味しい山菜がたくさんあり楽しい季節です。でもそんな山菜にもちょっと注意が必要です。山菜は自然豊かな山深いところに生えているもの、というイメージがありますが、種類によっては栽培されているものもあり、その多くは農薬が使用されています。また、自生しているものでも、農薬を散布している果樹園や畑のそばで摘んだものであれば注意が必要です。
以前、慣行栽培(農薬や化学肥料を使用した栽培方法)の農家の方に伺ったお話です。自分たちの畑がある山に行き、果樹に農薬を散布していたところ、山菜取りの人たちが中に入ってきた。ちょうどワラビがたくさん生えている時期で、毎年その畑には多くの人がやってきていたが、ちょうどその時、農薬を散布したばかりであったため、「そこは、今農薬を散布したばかりなので、まだ乾いてもいないでしょう。わらびを取るのは危険ですよ。」と言ったところ「そんなことは大丈夫。これは自分が食べる為ではなくて売るためのものだから」と返事が返って来て、せっせと山菜を採る手を休めることはなかった。農家の人は驚いてしまったという話でした。
慈光農場にも山菜採りにやって来る人が後を絶ちません。畑を荒らし、果樹の枝を折られ、栽培している作物を持って帰られた事がありました。あまりにそのようなことが続いたため、現在は立ち入り禁止の札を立てています。しかし、未だに不法侵入はなくならず、帰りにお弁当の空き箱やジュースの缶を捨てていく人もいるようです。
皆が人の事を考え、住みよい世の中になればと願うばかりです。
農場便り 4月
3月初旬の早朝、職員がいつものように出勤し、朝の挨拶をかわす。その後、各持ち場へと移動し販売、自社配送、宅配などの打ち合わせを行う。朝一番の活気ある中、耕人は一人カヤの外で、寂しく農場へとトラックを走らせる。また今日も夕刻6時まで無言の行となり、胸のポケットに入れた小さなラジオを友に作業が始まる。
本日の作業は、まず幼苗への水やりから。まだまだ寒い中ではあるが、小さな芽は敏感に春を感じ取り、ゆっくりとしたペースで成長してゆく。水やりを終え、次の作業は昨年の春に栽培した畑のあと片付け。本来なら収穫を終えると同時に片付けるとよいのだが、耕人は「風林火山」の山の如く動かず、今日に至る。前作の春キャベツのあとに栽培したリーフレタスの収穫後には招かれざる客「雑草」が育って根を張り、地上部を包み込んでいた黒マルチをめくり上げるためにはかなりの労力が必要となってしまった。「もっと早くにやっておけば」と毎年後悔するが、何十年もの間この繰り返しで、この分では一生この作業から抜け出すことは出来ないだろうとあきらめの境地である。仕方なく、成長した雑草と土に覆われたマルチを引き剝がす。10メートル位進んだところで、本年初の農場の住民と出会う。体にブツブツがあり、寒さのため体が強張り動く事は来ないが、深く鋭い目が耕人を睨みつける。まだ早春、深い眠りの中を無理に起こされ、いささか不機嫌なご様子。機嫌の悪い主はガマガエル、夏期なら耕人を敵と見做し全身から悪臭のガスを発するが、今はまだ気温が低いため思うように体が動かず、手のひらいっぱい位の体はじっとしたまま。気の毒なので隣で栽培している初夏キャベツの地を覆った黒マルチの中に「夏にまたお会いしましょう」とそっと入れる。
3月26日はベートーヴェンの命日、いつも耳から勇気と力をいただく楽曲に感謝し手を合わせる。当時の権力者や貴族の前で「ブタに聞かせる曲はない!」と力いっぱいピアノのふたを閉めたことはあまりにも有名で、権力に迎合することのない彼の生き様はお手本として常に記憶の中に留めておきたい。
東大寺のお水取りも無事終え、春は南大門を下り大和の地にやって来た。友人がお水取りの最大のクライマックスである大たいまつの火の祭典を動画にして送ってくれた。燃え盛るたいまつから落ちる火の粉が闇夜に飛び、美しい光景が映し出される。幻想的なこの行事は千年以上一度も途切れることなく続いているという。送ってくれた友人へは、一首「二月堂は火の祭典 僻地の我が家は火の車」を添え、礼を送る。
春の季語に「春笑う」がある。耕人は畑の宿題があまりにも多く「春泣く」となるが、放置していた冬作の跡地にはびこる雑草の花の香りに敵であることも忘れ、つい顔を綻ばせる。育って行く苗に畑の準備が間に合わず、春なのに冷や汗。前作のトマト(失敗)やきゅうりのネット栽培の片付けに尋常ではない手間と時間がかかる。まず、ポールからネットを外すため、止めているビニール紐をカッターナイフで切ってゆく。紐はポールの中央部、最上部、地上部スレスレにあり、それを順番に切る。次に上部のメインロープを伝ってネットを寄せてゆくが、その際色々なところにネットが引っ掛かりながらも集めたネット約50メートルの最上部をカマで切り取り、ロープからネットを外してようやく一丁上がりとなる。それからメインロープを巻き取り、1・5m間隔で立つポールを抜いて20本ずつ束ね、倉庫の中へと。トマトもネットはないが、50センチメートル間隔のポールから紐を切り離し同様にしてゆく。トマトを片付けている間ずっと栽培の失敗の原因となった「タバコガのバカヤロウ!」と呪いの言葉をつぶやく。ようやくそこまで片付けたものの、まだまだ地上部には黒マルチが張ってあるため、それを隅からめくり上げてゆく。そしてまたレタスの時と同様、途中で雑草が邪魔をし、それにいら立つ未熟な耕人である。
三カ所にある畑では春キャベツを筆頭にニンニク、赤玉ねぎなどが育ち、リーフレタス、結球レタスは過保護にトンネルの中で育っている。そんな路地の野菜の成長を横目に、苗場ではたくさんの野菜苗が育つ。真冬に播種を行い大きく育ったキャベツ苗は間もなく山の畑へ定植予定、2種のレタスと春菊、水菜、畑への定植は5月に行う。春作、夏作にと空いた畑に堆肥を散布、石灰でpHを整える。
4月上旬には戦友ゴンベイが畑に種を播き、そのあと低温にさらされないようビニールを掛ける。山の畑には、昨年10月中旬に播種したゴボウの赤ちゃんが幾度も降りた霜や深く積もった雪にも敗けることなく、ようやく春が来たと確信し、柔らかな色の芽を伸ばし始めた。赤ちゃんゴボウの周囲には初冬に除草をしたにもかかわらずまた雑草がはびこり、4月中旬までには2度目の除草に加え、第2弾のゴボウの播種を予定している。前作は夏から秋作、これから播くのは11月から2月の冬ゴボウとなる。
2月下旬、暖かい日が続き、野菜のとう立ちが気にかかる日を送る。ある日、突如として冬型の気候が舞い戻り、山の農場は一瞬にして銀世界となる。農場へと走らせたトラックも到着まであと僅かという所でスリップが始まった。仕方がなく、長靴に履き替え、リュックを背に山道を歩く。木の細い枝に積もった雪が朝日に輝き、音を立て地上へと落ちてゆく。舞い戻った雪影が新鮮に目に映る。雪が積もる地上から目を外し、パノラマに広がる金剛の山脈に目をやる。真っ白な着物で美しく着飾る山脈を目にしながら、長靴男は力強く雪を踏みしめ進む。その瞬間、鉛色の雪雲は去り、晴れ渡った青空が眼いっぱいに飛び込んできた、と同時に鈍い音が響く。路面の輝く雪の下には私のノンスタッドレスの長靴の踏みしめを拒否するアイスバーンがびっしり。年甲斐もなく雪にはしゃいでいた大男は見事にひっくり返り、瞬間的に痛みを感じるより先に周りに人がいないかキョロキョロ。いないことを確認すると雪上にかがみ込み、殴打した膝を抱え込む。美しい銀世界のひと時も悲惨な事態で幕が閉じた。
2月某日、春夏の種が当園に届く。開封し中の種を確認、トマトの種もあり、果菜、葉菜と東西の種苗会社の自慢の種が雑然とした管理室に一堂に会する。しかしこの後、このたくさんの種の管理栽培は誰が?と何も考えず、集めた多くの種を前に愕然とする。いよいよ播種が始まった。葉物は、彼岸を待ち中日を越えてから、これはとう立ちを見据えての事で、はやる気持ちを押さえての播種となる。この時期は、夜間の温度はまだ低く発芽に時間がかかる。そしてまた凝りもせず播種をしたトマトの発芽には温度が必要なため、夜間に温度があまり下がらない場所を探していたところ、店舗の中の冷蔵・冷凍庫のコンプレッサーの放熱を利用してはどうかという事に思い当たる。その結果、今は店舗の中にトマト苗が鎮座し、トマトの細かい種から芽が吹き、双葉を広げている。
そうしたある日、耕人の農場での唯一の友であるラジオから寒波が来るとの情報を耳にする。早速ビニールトンネルの中で育つレタス類の見回りに行き、トンネルが強風にあおられ飛ばされないよう、押さえのポールを今一度力いっぱい土中に差し込んで行く。隣のキャベツ畑に目をやると、キャベツは大きく育ち、周りの木々の中からヒヨ鳥がじっとキャベツに目線を合わせているのを感じる。明日は仕事始めにこのキャベツにネットを掛け、何としてでも鳥の食害から守らなければならない。このところ暖かい日が続いていたため、一過性ではあるがこの寒さは必要以上に堪える。人は一度楽を覚えると厳しさは何倍にも感じるという事であろうか。あの小さなゴボウでさえ寒空の下、新芽を震わせながらもじっと耐えているというのに、耕人の口から出る言葉は「寒い、冷たい」だけで、情けない、の一言に尽きる。
畑の片付けも他の仕事の合間に行っているうちにようやく片付いてきた。中でも一番手のかかるのは山芋のあと片付けで、山芋が土中深く進まないよう薄いプラスチックの板を敷いた上での栽培しているため、収穫をしながら掘り起こし片付けてはいくのだが、イノシシの食害に遭い、収穫にいたらなかったため、板はそのままになっていた。涙が出そうになりながら作業をするが力が入らず、口から出る不満は平素の何十倍となる。3月に入ると山芋と共にイノシシの襲撃を受けながらも残った里芋を本年の種芋用に掘り上げる。種芋不足により、今までなら種芋には使用しないような小さなサイズのものも使用する。親芋から子芋を切り離したところに石灰を塗り倉庫内で干す。この里芋の種は4月上旬には畑に定植、一年かけて初冬にはとろける里芋をお届けさせていただく。またトラクターが活躍するシーズンとなった。何よりも頼れる私の相棒である。ボンネットを撫でて感謝とねぎらいの言葉をかける。トラクターは「お褒めの言葉なんぞ要らない。望むのは使用後の隅々までの洗浄である」と。
大和五條の里は梅の花に包まれた。その後を追うように桜も五分咲きとなった。学びの学舎では卒業式や入学式が行われ、若者は希望を胸に各自の道を歩む。以前、新聞のコラムに前東大総長の祝辞が紹介されていたのを思い出す。「肥えたブタより痩せたソクラテスになれ」現状に甘んじることなく常に前を見据える。例えに挙げられたブタにとっては大迷惑な話で、勝手に人間が肥やそうとしているだけで、決してブタは満足していないであろう。ソクラテスは自由を求め哲学の道を歩む。ブタは肉となり人のエネルギーにと。自由を求めたソクラテスも最期は有罪判決を受け死刑となった。私のポッコリブタ腹は家人からの愛情を受けてのこと、と一人勝手に思い込む。
春になり、目覚めた大自然は大きく息をし、自らが持つ力で芽を大きく膨らませた。雑木林は、沈んだ冬の色から林全体にモヤがかかったように白く変化した。美しい花を咲かせることのない枝先の芽もほころび始め、百花にも負けることのない美しさを醸し出す。遠い異国の戦いの地では、一握りの鬼畜の所業のため、これから訪れようとする春を目にすることはないであろう。一日も早く皆が移ろいゆく季節の美しさを感じることが出来るようにと祈る。
夜中、いつものように床の上で寝てしまう。夜中、突然ひどい顔面痛で目が覚め、それからは地獄の苦しさ。いつかは治るだろうと一週間我慢の日々を過ごしたが、痛みが続いたため耳鼻咽喉科へ行く、が治らない。そこに登場したのが日ごろの私の天敵、長女。「診察を受ける病院の順序が違う」と一言。「確かに」と思い歯科へ行くと親知らずが虫歯になり、副鼻腔ギリギリまで化膿が進んでいるとのこと。この年まで一本の歯も欠けることなかった私の口から親知らずを抜歯し、ウン十年を共にした歯とお別れ。抜かれた歯をじっと見入っている私に看護師さんが「記念に持って帰りますか?」という。よほど哀れな姿に映ったのであろうか。春は別れと出会いの季節、冬の野菜とは別れ、春夏の野菜との出会いの季節となった。歳には勝てないことを思い知った早春であった。
親知らず、いや親不孝の耕人より