慈光通信 第254号
2024.12.8
健康と医と農 Ⅷ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】
農薬
現在農薬は5000種近く許可されています。良く使う農薬だけでも殺虫剤が100種、殺菌剤が70種、除草剤が50種位あります。随分良く使います。そして低毒性農薬と云いますけれど、低毒性というのは決して毒が無いというのではありません。あれは急性中毒が起こりにくいという事で、一発でころりと死なないというだけです。毒性の強弱をわけるのには、特殊毒物、毒物、劇物、普通物となっています。分ける基準は何かというと、鼠が急性中毒で死ぬその量によって分けているだけで、急性中毒の話です。しかし毒性というのは慢性もありますし、癌が起こる、奇形が起こる毒性もあります。ですから低毒性農薬は無毒とか害が無いとか決して思ってはいけません。恐ろしい物です。現在かなりの劇物、ランネートとかマリックスとか、こんなものは相当な強い毒性をもっていますが、どんどん使われていますからね。農業の専門の方とは、また別にお話することにします。
農薬の害
皆さん農薬は沢山使われています。特に多い物を申しますと果物類です。それから季節はずれのものに多く使われますからご注意下さい。これから夏になりますと、高冷地からやってくる白菜やらレタス、キヤベツが吃驚するくらい農薬を使います。安全なものは土から下の物、まあこれはいいだろうという事にして下さい。それから緑の菜っ葉は農薬を使う量が割合少ない。玉葱、芋、豆などは少ない方です。多いのは今云った果物類、それから茄子、キュウリは消毒をよくしますね。市販の茄子は恐ろしい、キュウリもかなり殺菌剤を使いますね。こういう物はあまり沢山あがらない方がよいですね。
それからついでですから、夏になると家庭用の殺虫剤が使われますが、これはみな農薬ですから気をつけて下さい。例えば蚊が多くて困っても夜通し蚊取り線香をたいて寝たり、その他いろいろ化学的な物を使うのは良くない。蚊が死んでしまうような空気の中で人間が一緒にいる事はいい事ではないですね。もし使うなら早くから締め切って蚊取り線香をたくなりして、寝る1時間前位に網戸にして空気を通してガスを技いてからそこでやすんで下さい。蚊帳を吊ったら簡単ですね。私は未だに蚊帳を吊っています。
これについてはいろいろな話がありますよ。一例をいいますと10年近くなりますが、ある時隣街から生まれて4ヵ月位になる赤ん坊をお母さんが抱いてきた。本当に弱っていて吐いて、おう吐ですね、仕方がない。いろいろ検査して原因を調べたが分からない。けっきょくこれは脳腫ようではないかというので脳を開くことになった。CTをやったらその疑いが多分にあるといわれた。ひょっと噂を聞いたので診察を受けに来たのです。随分脱水して弱っていました。ふと蚊取り線香をたいていないかと聞くと、たいています、蚊が多いので枕もとに二つ蚊取り線香をつけて足もとにベープをおいているという。それじゃないか、大人でもそれだけしたらまいってしまう、赤ん坊ですから一日寝ていますからね。それを直ぐ止めるように云って、とりあえず応急処置、強心剤、ビタミン、リンゲルをしたり水分をいれて帰した。蚊取り線をやめて蚊帳吊ってそれで治ってしまった。そんな例があります。その後もそんな極端な例ではないけれど、類する例を私は毎年みています。もう一つの例は私の街の恵まれた家庭、大金持で何も云う事がない家なのですが、その家の主人がね、無類の蚊嫌いでした。金持だから家が大きく、木立が多くて蚊が多い。たまたま昔の殺虫剤、アースでもフマキラーでも人畜無害と書いてあった。人畜無害なら体に塗ったら蚊がこなくて良いだろうと思って塗ってみたら蚊が止まらない。これは良いと云うのでずーと塗り続けた。毎日アースやフマキラーをですよ。するといつとはなしに足がヨコヨロしてきたので、私のとこへ診察に来た。これはいけない、農薬中毒だというと、農薬はさわっていないといわれる。色々調べてみたらそれだと分かって直ぐに止めたが、時既に遅く脊椎がやられてしまっていて、だんだん足の麻痺がひどくなり足が立たなくなって16年間寝たきりで亡くなった。こんな例もありますから気をつけて下さい。今スミチオンとかマラソンが家庭の色々な殺虫剤に使われています。そうそうこの間も、岐阜県の方で、ダニにたいして過敏症だといわれ、ダニを防ぐ薬を薬局で買って来て畳の下へ入れた、これがスミチオンだったのです。そこの家が大変な害を受けた例もあります。くれぐれも農薬に気を付けて下さい。
(以下、次号に続く)
農場便り 12月
間もなく秋祭りを迎えようとする10月中旬、緑色から黄金色に色を変えた稲が秋風を受けて重そうに揺れる。爽やかな秋晴れの夕方、西に沈む夕日が、頭(こうべ)を垂れた稲穂をオレンジ色に染めた。山の農場では金木犀の花の美しい香りが畑を包み込む。
まもなく夏の猛暑で散々な目に遭った秋作の畑は冬作へと移り、地表を埋め尽くした金木犀の花も消え、代わりに大根の大きな葉が育つ。柿の木の高い枝から冬の使者「モズ」の鳴き声が聞こえ、真っ赤に染まった柿の葉がヒラリヒラリと舞い落ちてゆく。温度の変化に敏感な雑木が化粧を始めた。私の好きなフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの作品に「落葉」がある。
落葉 (上田敏訳)
秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し。
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。
秋の訪れを詠う、耕人には似つかわしくない寂しい詩である。これからの季節、大自然は人を心静かな詩人にさせる。
少し話は逸れるが、一か月前のまだ残暑の日々が続く朝、農場へトラックを走らせる途中、道路の脇に美しく輝く鳥を発見。生き物大好き人間の耕人は興奮の血が一気に湧き上がり、朝からボーッとしていた頭の中の霧が一気に晴れる。近づいても一向に逃げる気配がなく、それどころか走るトラックに向かってまるで闘鶏のように戦いを挑んでくる。最初は中国の金鶏かと思ったが、帰ってからPCで調べてみると赤茶色に金をまぶしたようなこの鳥は山鳥の雄であることが判明した。キジはよく見かけるが、山鳥を見たのは初めてである。近代文明の頂点を極めた自動車に戦いを挑んだ侍(さむらい)鳥は、翌日も他の車に向かって行った。「返り討ちに遭わなければいいが…」との思いも届かず三日後、道の端に武田信玄張りの光り輝く赤地の鎧を纏った山鳥侍が戦いに敗れ、横たわる姿が。そこへ死肉をむさぼるハイエナのようにカラスが群がり、その恐ろしい光景に目を背けた、という出来事があった。近代文明により犠牲になる生物は数えられないほどいる。社会の進歩により絶滅の危機に瀕している生物は3772種と言われ、時すでに遅し、ではあるが、今一度考え直すことが必要である。しかしながら鹿や猪が事故に遭っていた時、かわいそうと思う心と、作物が食べられなくてすむなと思う二つの心に揺れる小さな心の耕人である。
今年一年の農業を振り返ってみる。毎年代わり映えのしない話ではあるがお付き合いいただきたい。本年のキャベツ栽培は気候の良い春先から目もくらむような暑さの7月中旬まで続いた。異常に上がる気温に上部の葉が日焼けを起こしながらも何とか順調に育ち、大きな球のキャベツを夏本番までの間、途切れることなくお届けすることが出来た。4~5月下旬の高温多湿になるまでの間、キャベツの隣には瑞々しいレタスが育つ。結球レタスは高温多湿を苦手とするため、それ以降は腐りが発生する。涼しい時期の栽培は、元気いっぱいに力強く育ってくれるが、初夏が近くなると少々作りにくくなる。何とか6月中旬まで収穫は続き、次のリーフレタスまでつなげることが出来た。この結球レタスは昨年11月から12月に播種を行いビニールトンネルの中で寒さから身を守り春の陽光の下で成長、収穫に至った。長年リーフレタス栽培を行い、久しぶりの結球レタスの栽培となったが、何とか無事に栽培を終えることが出来た。
春先の3月下旬、とう立ちを警戒しながら播種をした小松菜を幼苗の間はトンネルの中で育て、その後は露地栽培に切り替え栄養価高い小松菜をキャベツ、レタスと共に同じ畑から収穫。それから先の真夏以外の小松菜は周年栽培を行った。4月に播種をしたきゅうりは張り巡らせたネットに絡みつき、上へ上へとツルを伸ばしてゆく。
続いて夏、初秋用の苗も育ち定植、収穫や管理、他の作物の管理作業もあり耕人の小さな目が回る。7月中旬、秋冬用作物の播種が始まる。日射しは異常なほど強く、きゅうりの水も絶やすことはできない。その中、キャベツやブロッコリーの播種をするが、高温障害が出たためほぼ全滅となった。その後もお盆まで色々な種類の播種を行い、22℃位の中発芽まで進むが、その後の高温の中での生育が進むことなく「播けど暮らせどこの想い‥」となってしまう。それでも懲りずに何度も繰り返し播種をしたが、秋、冬用の苗はほとんど全滅となった。9月に入り、まだ間に合う種類の白菜を播種、その後ネットの中で元気に育ち、10月中旬には防虫ネットも外し元気に大きく育つ。
9月初旬に播種をした小松菜、大根、サラダ水菜などは元気よく育ち、耕人はホッと胸を撫で下ろす。畑の地作りをしながら、毎月2度の幾種類もの種を次から次へと大地に落とし、その間の除草作業は否が応でも付いてくる。
以前書かせていただき役立たずで終わってしまったトマト栽培、その後放置してあったが、何と気候と害虫が落ち着き、トマトの木が育ちジャングル状態となった。「親の心子知らず、耕人の想いトマト知らず」である。そんな役立たずのトマトを横目に順調に育つ大根、こうなると「大根可愛や」となりトマトの林には目もくれなくなり、と至って現金な耕人である。
ようやく暑さの中で育った小松菜の収穫が始まる。第一弾は見事畑から消えてしまったが、続く第2弾、3弾も控え、年内に途切れることのないようにと次々に種を落とす。
9月中旬になると栽培地には招かれざる客が土足のまま上がり込んで来る。雑草である。この無法者たちが一気に芽を切り、冬の作物は最高の条件下ですこぶる元気に育ってはいるものの、この雑草の勢いには到底足元にも及ばない。中でもパスタの国イタリアよりお越し下さった憎き「イタリアンライグラス」、その生命力は、うどんには宿らない力を持つ。一度種を落としてしまうと畑一面が緑の絨毯となり、強くたくましく育つ。少々劣悪な環境でもお構いなしである。イタリアンライグラスは芽を切ると同時に除草作業を行わないと後々泣くに泣かれぬことになる。畝の条間はほぼ三角グワで除草を行い、小松菜など葉菜の株元は手抜きとなる。時間的に完全に抜き去ることは出来ず、10~20%の草は取り切れず放置するが、作物たちは耕人に感謝の言葉を告げ順調に育ってゆく。
12月中旬までにはまだ小さな葉物やリーフレタスにビニールを掛け、幼い作物を北風から守り、一冬かけて成長を促す。午後から風が吹き出すことが多いため、北風のない穏やかな午前中に一気に張り終える。ビニールの長さは一本50m、一人で作業のため順序を守り手抜きはご法度である。手を抜こうものなら真冬の強い北風が50mのビニールを舞い上げ、空中を自由奔放に踊り狂い、悲惨なことになってしまう。今までほんの少しの手抜きをしたために何度泣かされたことであろう。11月中下旬、木枯らしの中トレイに本年最後のキャベツとレタスの播種を行う。かじかんだ手が細かい種をよりいっそう扱い難くする。既に収穫を終え空になった山の畑を北風が吹き抜けてゆく。
管理室のチョモランマの机の上に家人が朝に持たせてくれたクッキーが一つ。寒い部屋にたった一つ残されたクッキーが一抹の寂しさを感じさせる。管理室でしたためる農場日誌には2024年早春より播種を行った種類、数量、収穫予定日などが記入され、そこに作柄の良し悪しが〇×でチェックされている。猛暑の続いた本年は×印が多くなっている。大雑把な性格の耕人ではあるが、次の作付けの参考になるようにとこの農場日誌だけは事細かく記し、これを何十年も一日も欠かすことなく書き続けている。何度も何度も播き直した愚痴も時間が経てば一つの結果の記載だけとなる。本年ただ一つ残念で心残りであるのがセロリの栽培である。何十年と栽培を行ってきたが全滅は初めての経験で、5月に播種、11月からの収穫を目指し努力したが、自然の猛威には何の手立てもなく枯死してしまった。400株のセロリ達、クリスマスに太い茎にマヨネーズをつけ、大きな口でガブリと食べるシーンを想像しながらも皆様にお届けできなかった事への無念を思うが、これもまた致し方がないと諦める。
冬の入り口となる12月には空になった畑にトラクターを持ち込み、冬起こしをしてから土地を休める。トラクターは力強く大地を耕し進んで行く。その後には機械が大地に線を引く。その線が曲がることなく真っ直ぐに進めるのが耕人としてのプライドであり、一点を見つめアクセルを踏み込む。作業の途中でトラクターの前方を横切る虫を発見、草むらの中からクモがトラクターの音に驚き逃げ出すところであった。トラクターを止めクモの横断を見守り、無事に渡り終えたのを確認し作業を続行。本年最後に情を掛けたのがクモであった。平素は無意識にどれほどの小さな生命を奪っているのかと農をすることへの罪を考えさせられる。しかし、またもやそこから妄想が始まり、先程の助けたクモが一本の糸で耕人を地獄から救ってくれることを願い、芥川の世界を想いながら畑を起こす。しかしその途中に、「先程のクモは確か地クモ、地クモはおしりから糸を出すことはない」という事にはたと気付く。愕然と肩を落とすと同時に冷たい北風が耕人を包み込む。
本年も当会をご利用いただきましたことを心より感謝申し上げます。毒にまみれた世の中ではありますが、清らかな大地より与えられし作物を、来る年も皆様にお届けできる喜びを感じ、耕人としての使命を全うして参ります。一年間ご協力いただきましてありがとうございました。
どうぞ良き年をお迎えくださいますよう、農場よりお祈り申し上げます。
クリスマス 主忘れ 酒の縁の耕人より